隣のギャルが怖い
二年生に上がって少し経つ。 出席番号順で並んでいた席は、クジ引きによって移動する事になった。
麻戸という苗字は必然的に廊下側の前から一.二番目になるから、多くは望まずざっくりと、後ろにしてくれ!と思いながらクジを引いた。
(神は、ここにいたんだ……)
最高の展開がやって来る。
窓際の一番後ろという憧れの場所。
教室に響き渡っている喜哀楽で彩られた声は、麻戸からすると優越感に浸れるBGMだ。ニヤケそうになる表情筋をグッと抑えて、持ち上げていた机を特定の場所に下ろす。
(これはすごい。天下取れたな)
椅子に座ると世界が違って見えた。 こんなにも教室は広かったのかと錯覚する。
さらにこの席は、窓の手すりの所にある小さなスペースを使っても良いという権利が得られる。
早速ペンケースを置いた………が、何かの拍子に窓から落っこちそうだからペンケースは片付けた。 肘を乗せてみる。 楽ではない事が判明した。
(まぁゆっくり考えよう。 少なくても半年くらいは席替えしないだろうし)
新天地での暮らしを祝うように、心地の良い風が前髪を揺らす。
「おっ、麻戸じゃん!」
前の席が埋まる。
「運良いよな、俺たち」
「ああ。一生分の運を使ったと思う」
「それは大袈裟すぎな!」
共感は得られるものではなかったらしく、笑い飛ばされた。
「あと重要なのは隣に来る女子だな……」
「重要? 何が?」
「分かんねーのかよ。席っつーのは女子とどんだけ話せるかで価値が決まるだろ」
「は、はぁ……」
麻戸は熱意に押されて曖昧な返答しかできなかった。
正直誰でも良い。
仲の良い人なら楽しく話せるし、普段馴染みがない人ならこれを機に仲良くなれるかもしれない。 無限の可能性が秘められている。
隣の女子によって価値が変わるなどナンセンスだ。
(っ、来た……!)
外を見るふりして横目を向けていると影が動いた。
「うっわ。あたしだけ離れてんじゃん!」
どうやら彼女は、仲の良い友達と離れたらしく嘆いている。
その声を聞いてドクン!と麻戸の鼓動は激しさを増した。 息苦しさを感じながら目を向けると、ばっちり視線が交錯した。
「麻戸……だっけ? よろ〜」
「ぁ、っす」
派手すぎなければ良いという校則ギリギリのラインをついた、おとなしめなクリーム色のミディアムヘア。 薄くメイクをしていて、第二ボタンまで開けたシャツからは鎖骨が見え隠れしている。 そして確実に注意されてるであろう短い丈のスカート。
間違いない。
高千穂 梓――ギャルだ。
「梓が後ろとか超最高ー!」
「マジでそれ。 絶対楽しいでしょ!」
「あは、期待されすぎてウケるわ。よろねー」
前の二人と話をしながら高千穂は机を動かしている。 所定の位置に微調整している時だった。
ガン、と机の横がぶつかった。
「ひ……っ」
「あ、ごめんごめん! 勢いつけすぎちゃった」
あっけらかんとした声と共に、人が横向きで通れるくらいの隙間が出来るまで机が離れていく。
これは駄目だ、これだけは絶対に駄目だ! と麻戸の脳内では警告音が鳴り響いていた。
(なにが隣の女子は誰でも良い、だ。ふざけるな! 呑気していた自分を呪ってやりたい……!!)
ようやく辿り着いた聖域は、たった数秒で変わり果てたものへと変化した。
「ねえ、さっきから何やってんの?」
「え……?」
精一杯逃げる努力をしていた麻戸は、窓の手すりに頭を突っ込んでいた。 急に声をかけられて横を見る。
高千穂は椅子を横向きに座った状態で真っ直ぐこちらを見ていた。
「………引っ張っても良い事ないから、先に言っとく」
「え、めっちゃ急じゃん。なになに?」
「俺はギャルが怖い……。だから、優しくしてくれると助かる」
女子に向かって怖いと言うことは、男としてカッコ悪いだろう。 しかもあろうことか懇願までしている。
だがこれで良いと、麻戸は思う。
見栄を張って苦しくなるくらいなら、平和のために恥をさらけ出す方を選ぶ。
「ギャルってあたしの事?てか怖いとかマジ……ッ!?」
テンションが一気に急上昇した高千穂は、必然的に声も大きくなっていた。 しかしピークに達する前に、麻戸は口の前で人差し指を立てて落ち着かせる。
「静かに。 小動物を相手にしてると思って」
アホみたいなセリフだが高千穂は頷いた。
「あのさ、なんでそんなにギャルが怖いの?」
これもギャルたる所以か。 それとも単純に人が良いのか。
気味の悪さが滲み出ている麻戸に、高千穂は平然と話しかけた。
「麻戸って立花と仲良くない? なら似たようなもんっしょ」
「あいつとは、小四からの付き合いだから今さら何も思わない」
立花透和の小学時代は年相応に純粋無垢だった。 それから一八〇度の路線変更して中学デビュー。陽キャとしての才能が開花されて、高校では男女問わずの人気者になった男だ。
「じゃあ何でギャルだけ無理なん?」
「まずそんなふうにガツガツ来るのが怖い。 圧力で押しつぶされてる感じがする」
「えっ、あー……、ごめん。そんなつもりはなかったんだけど」
「それも。 実は良い人なのかもって思うのも、感情が振り回されてるみたいでキツイ」
「リアクションに困るやつきたなー。すげー、ズバズバ言うじゃん」
「で、極め付けは」
「まだあんのかい」
麻戸は、今も鮮明に覚えている記憶をそのまま口にする。
「中学の時。すごい楽しそうに喋ってるギャルに宿題のノート回収しに行ったら、真顔で渡された」
「ん……?」
「それまで口が裂けそうなくらい笑ってたんだよ。 でも俺が話しかけたらピターッ!って止まって……。それからギャルの話すのが怖い」
「…………そん時さ、睨まれたり悪口とか言われた?」
「何も?」
「なんっにもないの? ノート触られて最悪!みたいなこと言ってたとか」
『ない』と麻戸は断言すると、
「いや理由しょっっっぼ!!」
高千穂は麻戸に顔を近づけて、小馬鹿にするみたいに吹き出した。
「友達と喋ってんだからシラけんの当たり前じゃん! てか麻戸が単純に打たれ弱いだけだし! え、ウケんだけど。 そんなんでギャルが怖いとか言ってたん!?」
テンションは上がったが、声のトーン自体はおとなしめだ。 配慮してくれているのだろう。
そんな事は、麻戸にとってどうでも良かった。
くぐもった笑い声を聞きながら、右手を高く上げる。
「先生!俺、目が悪くてここから見えないので前の席にしてください!」
決断は早い。
新天地の開拓よりも心の安定を求めて、麻戸は旅立つことを決めた。
(逃げるんだ。 ギャルから遠い所へ)
クラス中からの好奇な視線を浴びる。 これは一時的なものだ。特別珍しいものではない。 安息の地に辿り着けば、誰も彼も忘れ去る出来事だろう。
「そうか。見えないんじゃしょうがないな。誰か、麻戸と代わってやれるか?」
挙手する者は多かった。
麻戸が苦手としているだけで、高千穂は男子からの評判が良いのは知っている。
しかしあれだ。 正直に言ってしまうと高千穂に好意を持っているという噂が半日を経たずに広まってしまうから、目が悪い麻戸と代わってあげる俺優しい、という名目が欲しいのだろう。
そんな中で華奢な手が上がった。
「せんせー! あたしも目が悪いからぁ、ミキの近くの人と代わりたーい」
想定外の事が起きた。
麻戸はチラリと横目を向ける。
(俺に便乗したのか……? でもそんなハッキリ言ったら移動なんて絶対に無理だろ)
疑問が脳を埋め尽くしていると、ざわめきが聴覚を刺激した。
「それあり?なら俺も」
「え、私も目わるいんだけど」
「じゃあ俺が後ろに行くよ」
席が埋まるにつれて話し声も収まりつつあったのに、途端に無秩序な空間が形成される。
これは偶然なんかじゃない。意図的に仕組まれた事だ。
(まさか、こいつの目的はっ!!)
高千穂の言葉で教室の全員に自由な発言が許された。
場を収集させるためには、あらかじめ目が悪い人を前方に着席させて再度クジ引きをする。
もしくは、
「みんな静かに! 全員の意見聞いたらキリが無いからな……。 麻戸、申し訳ないが少しだけ頑張ってもらっても良いか? 本当にどうにも出来なかったら何とかするから」
「あ、はい……。大丈夫です」
麻戸一人の犠牲で終わらせる。
簡単で最速な解決方法だ。
「はーあ……。仲良くなろうとしてんのにそんなんされるとさぁ、マジ萎えるわー」
悪魔の囁きが聞こえる。
恐る恐る目を向けると、高千穂は薄い笑みを浮かべていた。
「ぁ……ぁぁ…………っ」
「せっかく楽しくなりそうなんだから逃すわけないっしょ」
最低半年。長くて二年生が終わるまで。
「ギャル、怖………」
麻戸はこの言葉を吐き続けることが確定した。




