前提条件
引き継ぎは、簡単になった。
「ここは氷あり」
それだけで、
説明が一行減る。
新人は、頷く。
疑問は出ない。
手順書のページ数も、
少しずつ削られていく。
「この確認、要ります?」
「氷区画なら、飛ばしていい」
「前もやってない」
前。
誰が決めたかは、
もう分からない。
隔壁の向こう。
氷は、
見えないまま、ある。
(……ある……)
それだけが、
残る。
《凍理:周辺維持》
《反応:継続》
継続。
変化は、
小さい。
温度が、
一瞬だけ下がる。
圧が、
ほんの少し整う。
数値は、
帳尻が合う。
「……助かってるな」
「だな」
「正直、楽だ」
楽。
その言葉が、
仕事の評価軸に、
混ざる。
別の区画。
別の班。
「ここ、氷ないんだっけ?」
「……あ、そうか」
「じゃあ、確認増やそう」
一瞬の、
面倒。
その顔を見て、
誰かが言う。
「こっちに移せば?」
冗談のつもりだった。
だが、
否定はされなかった。
「物理的には、可能だな」
「管理上も……まあ」
「予算、後で考えよう」
後で。
つまり、
今は止めない。
(……増える……)
氷の中で、
言葉にならない何かが、
重なる。
《凍理:対応範囲》
《拡張:未定義》
未定義。
それは、
制限がない、
という意味だった。
作業が終わる。
今日も、
何も起きなかった。
誰も傷つかない。
誰も怒られない。
評価表には、
小さな丸がつく。
「安定」
「有効」
「実績あり」
その下に、
誰かが書き足す。
※氷前提で問題なし
前提。
もう、
仮ではない。
氷は、
何もしない。
ただ、
起きない状態を、
起こさせない。
そして人は、
それを
「自然なこと」だと思い始める。
――この施設で、
最初に壊れたのは、
装置でも、
人でもなかった。
「氷がいない場合」を考える、
その習慣だった。




