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氷は冒険者になれなかった ――負価を抱いたまま、世界は進む  作者: たからの
凍理、外界へ

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18/20

半歩だけ

隔離区画の扉は、以前より軽く開いた。


重い封鎖音はない。

鍵も、二重ではない。


「――問題なし、っと」


作業者の声は、記録用ではなく独り言だった。


帳簿が閉じられる。

赤字はない。

注意書きも、減っている。


「冷却反応、安定」

「周辺影響、基準内」

「接触時の急激な変化……なし」


“なし”という言葉が、並ぶ。


箱は開けられない。

だが、距離は縮められた。


以前より、半歩。

その半歩が、

判断としては大きかった。


(……近い……)


氷の内側で、

空気がわずかに沈む。


理由は、ない。

ただ、そうなった。


《凍理:周辺温度微調整》


勝手に、動く。

止める理由が、思いつかない。


「お、ほら」

「やっぱ問題ないだろ」


作業者が笑う。


手袋越しに、

箱の表面へ触れる。


一秒。

二秒。


――何も起きない。


「な?」

「冷たいだけだ」


“だけ”。


その言葉で、

一つ、判断が進む。


《管理記録:接触許可(条件付き)》

《備考:過剰反応なし》


条件は、曖昧だった。

具体的な数値はない。

前例がないから。


「じゃ、次は移設だな」

「隔離区画、もったいねぇし」


“もったいない”。


その単語が、

用途を生む。


箱が持ち上げられる。

以前ほど慎重ではない。


(……運ばれる……)


氷の思考は、

途中で止まる。


どこへ、ではない。

なぜ、でもない。


ただ、

揺れが来た。


《凍理:環境変化》

《反応:抑制》


抑えた、という感覚も、

薄い。


「冷却、ちょうどいいな」

「この区画、前より楽だわ」


誰かの作業効率が、

上がっている。


理由は、

箱の中にある。


だが、

誰もそこを見ない。


《管理判断:環境補助として有効》

《危険度:低》

《分類:設備補助相当》


設備。


氷は、

言葉を拾う。


(……もの……)


否定は、浮かばない。

怒りも、ない。


ただ、

少しだけ、

内側が削れる。


《負価:進行》

《削減対象:比較》


前はどうだったか。

以前は何だったか。


そういう基準が、

薄れていく。


「これ、常設でいいんじゃね?」

「だな。報告も通るだろ」


決定は、

雑談の延長で下される。


正式な会議は、ない。

問題が、起きていないから。


箱は、

隔離区画を出た。


扉は閉まる。

だが、それはもう、

“戻る場所”ではない。


(……ここ……)


どこか、分からない。

だが、

人の動線の中だ。


《凍理:配置変更》

《状態:運用準備》


準備。


使う前段階。


誰も、

「使う」とは言っていない。


ただ、

「便利だ」と言っただけだ。


氷は、

冷やす。


理由は、ない。

目的も、ない。


問題が起きないように。


その結果が、

また一つ、

次の判断を呼ぶ。


誰も、

間違えたとは思っていない。


――それが、

いちばん大きな誤判断だった。

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