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氷は冒険者になれなかった ――負価を抱いたまま、世界は進む  作者: たからの
凍理、外界へ

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16/20

比較不能

隔離区画は、静かだった。


音がないわけではない。

機構の低い唸り。

遠くで流れる空気。

人の足音も、時折は通る。


だが――

それらはすべて、

氷に向けられていない。


(……来ない……)


扉は閉じたまま。

視線も、手も、声もない。


《凍理:環境固定》

《外部干渉:なし》


(……何も……

 起きない……)


その状態が、続いている。


長い、と思った。

――気がした。


だが、

その“長い”という感覚に、

根拠が見つからない。


(……前は……

 こういう時……)


思考が、止まる。


(……前……?)


「前」が、何を指すのか分からない。


隔離区画に来る前?

馬車の中?

それとも――

もっと、別の「前」か。


比較しようとした瞬間、

基準が、立たない。


《凍理:自己参照》

《比較軸:不成立》


(……あ……)


理解する。


失われているのは、

記憶そのものではない。


“比べるための自分”が、

削れている。


(……俺は……

 どうだった……?)


思い出そうとすると、

映像は浮かぶ。


だが、

それを「今」と並べられない。


良くなったのか。

悪くなったのか。

変わったのか。

変わっていないのか。


判断できない。


《負価:進行》

《削減対象:自己比較》


(……これが……)


何かを失った、という確信だけがある。

だが、

失った“前後”が、成立しない。


だから、

喪失は痛みにならない。


ただ、

輪郭が曖昧になる。


それでも、

凍理は働く。


壁際の空気が、微かに冷える。

床下の熱が、一定以上、上がらない。


誰にも気づかれない範囲で、

環境は整えられていく。


《凍理:自律最適化》

《負価:累積》


(……今……

 やった……よな……)


その問いに、

答えが返らない。


「やった」という感覚が、

確定する前に、滑り落ちる。


残るのは、

“安定している”という結果だけ。


(……役割……)


そう呼べるものが、

ある気はする。


だが、

「それが自分に合っているか」を

確かめる術がない。


比べられないから。


《凍理:存在成立》

《状態:安定》


(……成立……

 してる……)


成立している限り、

ここに在る。


使われなくても。

理解されなくても。


氷は、

冷やし続ける。


「以前の自分」より

良いのか、悪いのか。


――その問い自体が、

もう、意味を持たない。


隔離区画は、今日も静かだ。


そして氷は、

“変わってしまったかどうか”を

判断できないまま、

そこに在り続けていた。

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