約束だから...
翌日、ライナーの心情とは裏腹に冬前にしては日差しが暖かった。
昨日の出来事を考えてしまい、午前中の授業では上の空で教師にも注意されてしまった。
「ねえライナー、なんか今週に入って元気が無いよ。」
今日は日差しが暖かいので外に行こうと、中庭に設置されているベンチに座って、コニーと一緒に昼食をとっている。
何かと一緒に行動する事も多いので、よく昼食を一緒に食べている。
「大丈夫だ…、何も問題ない。」
「そう……、なにか心配事があったら言ってね。
ほら、話すと楽になるって言うし。」
ニコッと笑うコニーにつられて、俺も少し微笑む。婚約者の分かりにくい態度と違って、コニーの素直な態度は心が安らぐ。
そんな時ふとグレイスの言葉を思い出す。
『何気ない日常生活をおくる中、表面上だけで物事を感じるのではなく、隠された裏まで読みなさい。』
口元を手で多い、下を向いてしまう。
あんな事を言うグレイスは、誰も信用出来ないんでは無いだろうか…。
貴族社会で表面上は好意を表していても、裏では弱みを探り足の引っ張り合いをする事は、知識では知っているが、あくまで知識でしかない。
それが貴族社会だと言ってしまえばそれだけだが、割り切れない気持ちになるのは何故だろう。
「もしかして、婚約者さんに何か言われたの?」
ゆっくりと顔を上げてコニーを見ると、眉間に皺を寄せ怒った顔をしていた。そんなコニーの顔に、昨日のグレイスの顔が重なって見えた気がした。
「やっぱりなにか言われたの?」
なんて答えていいか分からずに、ゆっくりと首を振る。そんな俺の態度に、コニーは余計に怒り口調が強くなる。
「ライナーがこんなに悩んでるのは、何か言われたんでしょ!
酷い!ライナーが優しいからって、なにか酷いこと言われたんでしょ!婚約者だからって、その人最低ね!」
俺の事を思って言っていてくれるのは分かる、だが知りもしないでグレイスを責めるのは違うと思う。
ここ最近の出来事を思い出すと、婚約者がいる身で恋をしたからと婚約解消を願い、ちっぽけなプライドで嫌味を言って怒らせた。グレイスにとって俺が行ったことは、反対に責められても仕方ない所業だ。
コニーは俺の為に怒ってくれているが、その理不尽さに更に気分が落ちていく。
「婚約者は関係ない。事情を知らないのに、変な事を言うのは良くない。」
「ご…ごめんなさいライナー、私本当に悪気は無かったんだよ。」
コニーがシュンとした表情で謝罪してくれたが、何故か何時ものように気分が浮上することは無かった。
グレイスの言葉を思い出し、今まで表情豊かだと思っていたコニーが、薄っぺらい存在に思えてしまった。1回のやり取りで判断する事も、そんな意識を持ってしまった事に罪悪感を感じて、取り付けた様に微笑んで言葉を返す。
「こちらこそキツイ言い方してすまない。ちょっと考えなくてはいけない事があって、考えても答えが出なくてイラついていたんだ。」
ホッとした表情で、コニーが胸を撫で下ろす仕草をした。
「心配かけてすまない、俺は大丈夫だから気にしないでくれ。
さあ午後の実習が始まるぞ、準備もあるし行こう。」
ベンチから立ち上がり、コニーを置いて歩き出す。背後から待ってと声をかけられたが、そのまま歩く。
ここ数日交わしたグレイスの言葉や、昨日みた怒りの表情を思い出して、キュッと手のひらをキツく握りしめて歩いていく。
放課後公爵家に向かう馬車に揺られながら、昨日怒らせたのにどの面下げて行けばいいのか考えると、とてつもなく憂鬱になってくる。
だが約束を交わした以上、行くのが憂鬱だからと行かないという選択は、ライナーの中には無かった。
しかし、昨日のグレイスを思い出すと約束したとはいえ、公爵家に行くのを躊躇ってしまう。不謹慎だが、いっその事なにか事故や事件に巻き込まれて着かなければと思ってしまうくらいには、到着しないという事を思ってしまう。
悶々と悩む間にも馬車は進み、公爵家に到着してしまった。
ため息をひとつついて馬車から降りると、出迎えに何時もの侍女が立っていた。
「アシュリー伯爵令息、こちらに付いてきてください。」
元々愛想が少なく隙のない侍女だったが、この前婚約解消を願いに来てからぞんざいになっている気がする。グレイスとの面会中も、時折激しい殺気を感じる程に嫌われてしまったみたいだ。
主に対して強い忠誠を誓っているのか、色々やらかしている自覚があるので仕方ないと思ってしまう。
侍女に付いて行くと、ここ最近通っている廊下では無い場所を歩く。何時もの部屋ではなく、別の場所に案内されるみたいだ。
そうして案内された場所は中庭だった。
辺りを見回すと木陰になっている場所に椅子を置き、気だるげな雰囲気を出して座っているグレイスが居た。こちらをゆっくりと振り向き俺を目に止めると、少しホッとした様な表情で話しかけてきた。
「あら、今日もちゃんと来てくださったのですね。」
「約束だから…。」
フッとかわいた笑みを浮かべ、視線を前に移すと、目の前の開けた場所を指さした。
「今日はちょっと趣向を変えますわ、チェスばかりではライナー様が可哀想になりますもの。
今日はあそこで剣術の稽古をしてください。
対戦相手が必要でしたら、我が家の騎士を出します。」
いきなりの発言に驚くと同時に、やはりチェスでの惨敗は可哀想だと認識されていたのかとショックを受けた。何回も挑んでハンデを付けて貰っていたにもかかわらず、結局一度も勝つことが出来なかった。
「君がそう言うならするが、稽古は見ていて退屈にならないか?
君はいつかという言葉を嫌っているが…、俺はいつかまたチェスの手合わせを願いたい。再戦までには腕を上げて、昨日までの様な無様な負けはしなつもりだ。」
俺が意外な言葉を言ったのか、グレイスは目を丸くした後に笑いだした。何時もの貼り付けた笑みでは無く、本当に心の底から何が可笑しいのか不明だが、今現在心底楽しいと笑っている。
少し苦しそうな息を整えて、ゆっくり深呼吸をして落ち着いたグレイスは、何時もとは違う本当に楽しそうな微笑みを浮かべいた。
幼い頃から余り回数は会っていなかったが、こんなに楽しそうに笑うグレイスを見たのは初めてだと断言出来た。
あの美しく笑った彼女の表情や仕草が胸を強く揺さぶった、早る胸を押さえた。
普段の気だるげに振る舞う彼女は、もしかして彼女自身が作り上げた虚像の姿で、こうして笑う時は素の彼女なのだろうか。こうして笑う彼女は普段素の姿を出さない分、見れて良かったと微笑んでしまった。
そしてハッと気がついた、本当に今更なのだ。既に手遅れで遅いのだ、これまで僅かでも築いてきていた関係を俺が終わらせた。
微笑んでいたグレイスだが、俺の様子がおかしいのに気がついて何時もの表情に戻ってしまう。
「退屈だなんて、観たいから提案しているのです。
そうですね…、チェスの方は機会があればお受けしますわ。」
「なら良いが。」
学園の制服の上着を脱ぎ、シャツの腕を捲り上げる。
「鍛えているのですね…、腕の筋肉が凄いのですね。わたくしの腕など、いとも簡単に折られてしまいそうです。」
グレイスが自分の腕と俺の腕を見比べてしみじみと呟く。普段学園だと皆剣を扱う為似た体型をしているため失念していたが、人の身体など見慣れない貴族令嬢には珍しいみたいで、マジマジと見てくる。
グレイスからの視線がくすぐったく感じながら、用意されている練習用に刃を潰された剣を1本1本手に取り、重さを確かめて手に馴染む1本をみつけて軽く振ってみた。
「対戦相手として、騎士をお願いしたい。」
応える様に頷き侍女に耳打ちして呼びに行かせた、その間に軽く柔軟をして状態を整える。
侍女に連れられて、1人の騎士が来た。その騎士はよくグレイスを訪ねた時に目にする騎士だった、令嬢に付き添う騎士なら腕も立つのだろう。
「型稽古をお願いしたい。3セットで先に打ち込みを任せる。」
騎士は頷き構えた。型稽古は片方が決められた順番で打ち込み、それをもう1人が剣で受ける稽古だ。
決められた場所に綺麗に打ち込まれた一撃を受けるが、受けた瞬間の衝撃が大きい。流石騎士というか一撃の重さが重い、学園での稽古がいかに軽いか痛感する。騎士と見習いの差を見せつけられている気がする。
決められた場所に打ち込み終わり、攻守が切り替わる。
決められた場所に打ち込むが、流れるように自然な流れで構えた剣に衝撃を受け止められる。構えを切り替える時に剣先が迷うこともなく、受けた瞬間剣がぶれる事も無い。これが俺の目指している騎士の実力なのか…。
「ありがとうございます。」
決められていたセット数が終わり礼をする。騎士は息も上がっていないが、俺は息が上がり剣を持つ手が痺れていた。
実力差が大きく、簡単にいなされた事に悔しく思う。もっと鍛え腕を磨かないとと思いながら、顔を上げてグレイスの元に行く。
「お疲れ様です。こんなに近くで稽古を見たのは始めてですが、剣を振り下ろす音や迫力が凄かったですわ。」
「俺はまだまだ未熟だ。鍛錬が足りない事が、今日身に染みた。」
「わたくしから見れば、ライナー様も充分強いですわ。もう終わりですか?出来れば鍛錬を、もう少し見ていたいのですが。」
「お嬢様、約束が違います!」
今まで黙って控えていた侍女が、声を荒らげた事に驚く。
「ライラ、わたくしはもう少し見学したいの。
お願い、もう少しだけ許して。」
眉間に皺を寄せながらグレイスを見つめていた侍女だが、グレイスが見つめると諦めたのか了承していた。
侍女が傍を離れたと思ったら、手に毛布と肩掛けを持って帰ってきた。肩掛けを掛け毛布をグレイスに巻き付けていく。
事前に準備されていた水分を補給しながら、侍女が動くのを見ていた。
確かに日も暮れて来て少し肌寒くなってきてはいるが、毛布を巻くほど冷えるだろうか?
「さあ、暗くなる前に始めてくださいな。」
グラスを戻し、控えるように立つ騎士と視線を交わして戻る。
「騎士殿、また胸を借りる。」
「こちらこそ、名門アシュリーの剣を受ける栄誉痛み入る。」
痛烈な皮肉を返されてしまった、俺の実力などでは遠く及ばないというのに。
苦笑をして礼をして、剣を構えて心を落ち着ける。
打ち合い始めて数度剣を受けた時に、グレイスの言葉が蘇る。
『対戦相手の趣向、癖、視線を考え、なん通りも有るこの後の展開を考える。そこから駒の動きを見て展開を絞込み、その展開を打ち返す手を考える。』
『沢山の溢れる情報を読み取り、その莫大な情報の中から有益な情報と嘘を見破り、今後の展開を読む。』
相変わらず重い一撃を受けながら、騎士の動きを目に焼きつける。無駄の少ない振り抜きで、打ち下ろす瞬間の力の乗せ方が上手い。
今まで只々決められた場所に打ち込み、決まった場所に剣を構え受けるだけだった。
だがグレイスの言葉で指摘されていた、相手を知り情報を読み取る。騎士の動きを目で追い、動きを読み取り、自身に有益な情報を取り込む。
攻守が切り替わり、打ち込む際に騎士の動きを真似てみる。
その瞬間、スッと剣に重さが加わった。思っていた以上の力が加わった事に打ち込んだ自身も驚いたが、受けた騎士も目を見開き驚いている。
2撃目もさっき程騎士の動きを思い出し真似てみると、普段以上に鋭い打ち込みになった。
グレイスが言っていた意味を痛感する。
今までも学園で目上の騎士との打ち込む機会はあったのに、只々決められた型を打ち込むだけで、なにも学んでいなかったのだと痛感する。
学ぶ機会は今までにもあったはずなのに、指摘されるまで気が付いていなかった自身が恥ずかしくなってくる。
グレイスの言ってた言葉を噛み締める、あれはチェスに限らない。これから先の人生、何事においても意味を成す言葉だ。
新たな発見で鍛錬に夢中になり、騎士との稽古に打ち込んでいると。
「お嬢様!」
悲鳴の様に叫ぶ声を受け、手合わせを中断して声なした方を見ると、椅子の上で上半身を侍女に支えられたグレイスが居た。
夢中になっている間に辺りはすっかり日が傾き、薄暗くなっていた。
騎士と共にグレイスの元に行くと、侍女に支えられたグレイスの顔が赤く、僅かに震えているようだった。
「ちょっと冷えただけよ。ライラ、わたくしは大丈夫よ。」
グレイスを支えつつ心配そうな表情を浮かべる侍女に声をかけて、支えられていない方の手を、侍女の手に重ねている。近づいてきていた俺達に気がついたグレイスは、こちらに目線を合わせて何時もの表情で微笑む。
「あら、手合わせを中断させてごめんなさい。最近まで暖かい所に居たせいか、ここの寒さがまだ慣れなくて。」
「本当に大丈夫なのか?」
「ええ、だけど今日はもうお帰りください。明日は用事があるので、来なくて大丈夫よ。
明後日はお休みよね?」
「ああ、その日と翌日は学園は休みだ。」
支えられた体勢から、上半身を起こして姿勢を正す。
「では明後日は、街に行きましょう。買物付き合ってくださる?」
「分かった。」
返事を聞くと、少し嬉しそうに微笑んだ。
「では。
ライラ、ライナー様をお送りしてきて。」
「こんな状態のお嬢様を置いて行くなど出来ません!」
グレイスの言葉に重ねるように、侍女が声を荒らげる。
「ライラ、わたくしは大丈夫。クロス卿に部屋まで連れて帰ってもらうから、ライナー様をお願い。」
「…分かりました。アシュリー様こちらへ、先程はお目汚し失礼致しました。」
侍女に付いて歩きながら後ろを振り向くと、先程手合わせしていた騎士がグレイスを抱き上げて歩き出していた。
侍女は侍女で早く面倒事を終わらせてしまいたいのか、歩く速度が早足になっていた。グレイスの事を本当に心配しているのだろうと、黙々と侍女について歩き玄関にたどり着き、馬車に乗り込む。
馬車に揺られながら、グレイスの体調が悪いのかと心配になる。鍛錬が見たいと言われて始めたはずなのに、途中から夢中でグレイスを気遣うことも無かった。この季節、ただ座っているグレイスは寒かっただろう…
グレイスがこの事で体調を崩さないように、只々祈るだけだった。
誤字脱字等ありましたら指摘お願いします(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”




