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『しーちゃんと記憶の図書館』第120話
予想外の読者
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展示コーナーに、新しい一冊が加わった。
タイトルは「海を渡る風」。
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机に置かれたその原稿には、
青い海と古い港町が舞台の、
やわらかくも切ない物語が綴られていた。
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ある午後、ひとりの男性がその前で立ち止まった。
作業服のまま、
少しだけ油の匂いをまとっている。
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ページをめくる手が止まり、
視線が紙の上で揺れた。
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「……これ、俺の故郷の話だ」
小さくつぶやく声が、しーちゃんの耳に届いた。
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男性は最後のページを閉じると、
深く息をついてから言った。
「ずっと忘れたふりをしてた景色を、
思い出しちまいました」
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その横顔は、
海風に吹かれたように少しだけやわらかくなっていた。
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しーちゃんは静かに答えた。
「言葉って、不思議ですね。
時を越えて、誰かの心に港をつくるんです」
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港町の物語は、
またひとつ心の中で波を立てていた。