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日曜の午後。

カーテン越しに差し込む陽の光が、部屋の床に淡く広がっていた。


ベッドに寝転がったまま、ぼんやりと天井を見つめていた。

特に何かを考えているわけじゃない。

でも、何も考えていないわけでもない。


静かすぎる部屋の中で、自分の呼吸音だけが聞こえる。


澪との通話から一晩。

心の中は、不思議と穏やかだった。


寂しさはまだある。

でも、その奥に、なにか“納得”のような感情があった。


「……終わったんだな」


口にしてみると、少しだけ喉が詰まった。

けれど、涙は出なかった。


それだけで、もう十分だった。


* * *


スマホに届いたメッセージ。


《ヒマならカフェ来い。課題やるの手伝え。by 結花》


つっけんどんな文面なのに、

なぜか少しだけ、笑ってしまった。


俺の失恋を知ってて、こういう距離感で接してくれるのはありがたい。

干渉しすぎず、放ってもおかず、無理に明るくもしない。


そういうのが、ちょうどよかった。


《今から行く》とだけ返信して、ベッドから起き上がる。


鏡を見る。

昨日より、少しだけ顔色が良かった気がした。


* * *


日曜のカフェは、意外と空いていた。


入り口近くの席に、結花がいた。

大きめのトレーナーに、メガネをかけていて、学校のときとは少し雰囲気が違う。


「おそーい。死んだかと思った」


「寝てただけだよ。てかその格好、誰?」


「カフェモードの私。レアキャラ」


笑って、手元のプリントを差し出してくる。


「これ、わかんない。助けて」


「……結局、課題じゃん」


「だってハルくん、成績いいじゃん。頼れるでしょ?」


「そういうときだけ頼られるの、地味に傷つくんだけど」


そう言いつつ、俺は椅子に腰を下ろした。


隣に誰かがいる。

声が聞こえる。

それだけで、少し救われる気がした。


プリントを眺めながら説明を始める。


結花は、思ったよりも真面目に聞いていた。


「なるほど……でもこの公式、意味わからん」


「前に似たやつやったろ?ほら……」


「うーん……あ、あれか!……あれ?」


「違う。全然違う」


「くっそぉ、記憶喪失になりたい」


「それは俺に効くからやめろ」


そう言った瞬間、ふたりとも黙った。


数秒の沈黙のあと――


「……ごめん」


「いや、別に。冗談だってわかってるし」


「でも、あんまり引きずってるようには見えないね」


「……引きずってるよ。見えないだけ」


そう言った俺を、結花はじっと見つめた。


「そっか」


それだけ言って、またプリントに目を落とす。


ああ、そうか。

この人は、ちゃんと“わかってる人”なんだなと思った。


「無理して切り替えなくていいよ。

ちゃんと引きずってる方が、人間味あって私は好き」


「それって褒めてんの?」


「わかんない。気まぐれでしゃべってるだけ」


また笑った。


この笑顔は、“俺を励まそうと作っているもの”ではない。

ただ、隣にいる人間として、自然に向けられたものだった。


だからこそ、あたたかかった。


* * *


カフェを出る頃には、日が傾き始めていた。


並んで歩く帰り道。

ふたりとも無言だったけど、重苦しさはなかった。


「ねえ、ハルくん」


「ん?」


「忘れたくない記憶って、どうすれば消えないかな」


不意に聞かれたその言葉に、立ち止まる。


「……どうして?」


「ううん、なんとなく。

忘れたくないって思ったら、逆に薄れていく気がして」


「俺は逆だな。忘れたいって思ってる記憶ほど、残る」


「それって、皮肉だね」


「うん、めちゃくちゃ皮肉」


夕陽が、彼女の横顔をオレンジ色に染めていた。


「でも、ハルくんの中に“澪”が残ってるなら、

きっとそれって“嘘の恋”じゃなかったって証明だと思うよ」


「……」


その言葉は、やけに優しくて、痛かった。


「じゃあ、結花は? 忘れたくない人、いる?」


「……いるかもね。でもまだ“その人”が、自分にとってどういう存在かはわかんない」


「そっか」


「うん。たぶん、もう少し一緒に過ごしたら、わかるのかも」


何気ないようで、少しだけ含みのある言葉。

でも俺は、まだその意味に気づかないふりをした。


今はまだ、誰かを“新しく好きになる”準備ができていないから。


それでも――


「……ありがとな」


その言葉だけは、心からだった。


結花は、黙ってうなずいた。


夕陽の中で、少しだけ笑った気がした。


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