7
昼休みの教室。
窓の外に広がる青空は、昨日と変わらないはずなのに、
どうしてこんなにも“遠く”見えるんだろうと思った。
澪の席は俺の前。
その背中を、いまもこうして見ていられることが、
かえって残酷だった。
彼女はときどき、後ろを振り返る素振りをする。
でも、俺とは目を合わせない。
――たぶん、合わせられないんだと思う。
俺も、合わせたくなかった。
“もう他人になった人”と目を合わせるのが、
こんなにもしんどいものだとは知らなかった。
「ハルくん、おにぎり食べる?」
と、声をかけてきたのは、クラスメイトの結花だった。
「……え?」
「なんか顔色悪いし。塩分、足りてないでしょ」
「いや、それ医学的にどうなん……」
「文句言うな、恋に敗れし者よ」
そう言って、笑顔で小さなラップ包みを差し出してくる。
「……ツナ?」
「正解」
「ツナマヨだったら100点だったな」
「今度グレードアップしとく。で、元気出た?」
「……ちょっとだけ」
結花の気遣いがありがたかった。
けど、心の奥底では、
「こういう優しさすら痛い」と感じてる自分がいた。
澪と別れて、まだ一日。
そんな簡単に、元気になるわけがない。
笑ってるフリをしてるだけ。
いつも通りのフリをしてるだけ。
でも、それでも。
「……ありがとな、結花」
その一言は、たぶん本音だった。
* * *
放課後。
教室で一人になって、ノートに視線を落とす。
内容なんて頭に入ってこない。
それでもページをめくってしまうのは、
何かをしていないと、崩れそうだったからだ。
「……」
ふと、目に留まったのは、
澪が貸してくれていた蛍光ペン。
細くて、ラメが入ってて、
「字が可愛くなるから使ってみて」って、嬉しそうに言ってた。
そんな些細なことまで、覚えている自分が、
情けなくて、苦しくなった。
もう手元から消えた彼女の存在が、
こんな形でまだ残っているのがつらい。
「全部、捨てられたらいいのに」
そう呟いたけど、ペンはゴミ箱に投げられなかった。
“思い出”ってやつは、案外しぶとい。
* * *
帰り道。
イヤホンで音楽を聴きながら、
ただ歩いていた。
流れてきたのは、昔、澪が送ってきたお気に入りの曲。
――「歌詞、めっちゃハルくんぽい」って笑ってた。
サビに入った瞬間、急に足が止まった。
その言葉が、脳内に生々しく蘇ってきて。
「……ばかやろ」
そう言って、イヤホンを外す。
風の音だけが耳に残った。
音楽も、声も、笑いも、全部消えた。
でも、その静けさに、少しだけ救われた気がした。
* * *
家に帰って、スマホを開くと、未読の通知がひとつだけあった。
――紘からだった。
《澪、たぶんまだ自分を責めてると思う》
《でも、もしお前が話したくなったら、いつでも声かけてほしい。……俺は今でも、お前のこと友達だと思ってるから》
まったく、どこまでも正直で、
どこまでも“いいやつ”だな、紘。
でも、それが余計にしんどい。
お前に、怒る理由がないから。
お前を、憎める要素がひとつもないから。
「全部、俺の負けだよな……」
ふと鏡を見た。
そこには、やつれた顔の自分がいた。
だけど、その目は――
不思議と、濁ってはいなかった。
泣いてもいない。
笑ってもいない。
ただ、まっすぐに何かを見ていた。
“自分の感情”と、ちゃんと向き合っている目だった。
ああ、そうか。
俺、ちゃんと失恋したんだな。
恋が壊れた。
信じてたものが崩れた。
それでも、まだ“人を好きになること”を嫌いになれていない自分がいる。
だから、きっと――
「……忘れなくていいや」
記憶なんて、そう簡単に消えるもんじゃない。
だったらせめて、忘れずに、ちゃんと痛みを抱えて生きていこう。
この痛みは、きっと、
次の“好き”に向かうための道しるべになるから。