好きって、どっちの“好き”?
月曜の朝。
教室に入ると、ふたりの姿はなかった。
澪も、紘も、どちらも。
「……なんで、同じタイミングで遅刻なんだよ」
無意識に呟いたあと、自分の中の“疑心”が少しずつ形になっていくのを感じた。
別に決定的な証拠があるわけじゃない。
けど、“彼氏の勘”というやつは、時に残酷なほど当たる。
俺は、スマホを開いて澪のLINEを確認する。
……既読、ついてない。
日曜に送った「明日、学校で話せる?」というメッセージが、ずっと放置されている。
普段は即レスだった彼女が。
その沈黙の理由が、どこかのタイミングで“俺の手の届かないところ”にあるのだとしたら――
怖い。たまらなく、怖い。
* * *
1時間目が始まる直前、澪が教室に入ってきた。
「遅れてすみません……」
息を切らせた彼女の姿を見て、ホッとした。
……けど、すぐにその安心感は霧のように消えた。
「紘くんは、まだ?」
「さっき先生に呼ばれてたよ。保健室の手続きらしい」
女子がぽろっとそう答えた瞬間、澪の表情が曇った。
……知ってるふうだった。
つまり、朝から会ってたってことだ。
目が合いそうになって、俺は咄嗟に視線を逸らした。
見たくなかった。彼女が“気まずそうな顔”をするところを。
俺たちって、まだ付き合ってるんだよな?
“彼氏”と“彼女”って関係、まだ終わってないよな?
なのに、どうしてこんなにも“部外者”みたいな気分なんだ。
* * *
放課後。
俺は校門を出たあと、意を決して彼女に声をかけた。
「なあ、ちょっと話せるか」
「……うん」
ふたり並んで歩いた通学路。
ほんの数週間前までは、何気ない会話を交わしながら帰ってた道。
だけど、今は……一言一言が、まるで地雷原。
「最近、紘のこと……どう思ってる?」
唐突すぎたかもしれない。
けど、もう遠回しに言ってる余裕はなかった。
「え……」
彼女は驚いたように目を見開き、それから口を開きかけて――閉じた。
その沈黙が、答え以上に雄弁だった。
「いや、責めたいわけじゃない。ただ……気になってるなら、俺に言ってほしい。はっきり、正直に」
「……そんな、はっきり言えるようなことじゃ、ないよ……」
「でも、言わなきゃわからないだろ。俺は、ずっと君のこと信じてる。だから……」
「“信じてる”って言われるの、しんどいよ」
彼女の声は、震えていた。
「信じてくれるのは、うれしい。でも……期待されると、それに応えられない自分が嫌になるの。私、ずっといい子でいなきゃって思ってた。だけど……」
言いかけたその先を、彼女は飲み込んだ。
「……まさか、紘のこと好きになりそうだとか、そういう話じゃないよな?」
俺の声が少し掠れたのを、自分でも自覚した。
「……“なりそう”じゃない」
「……え?」
「もう……とっくに、好きになってた」
崩れた。
何かが、ボロボロと。
「ごめん……でも、ハルくんのことも、大切で……。どっちの“好き”か、自分でも、わからないんだよ……!」
「わからないって、なんだよ……」
そう言った瞬間、自分の中の感情が制御できなくなるのを感じた。
「俺、なんだったんだよ。付き合ってたのに、ずっと君の横にいたのに……! “思い出した”幼馴染が戻ってきたら、それで全部ひっくり返るのかよ……!」
「違う……違うんだよ……!」
彼女は泣きそうな顔で、必死に言葉を探していた。
「私、ハルくんのこと、ちゃんと好きだったよ。でも、紘くんが戻ってきて、昔の記憶が蘇って、それがずっと私の中にあったことに気づいて……! ずっと、忘れてただけだったんだよ……!」
……なら、どうしろっていうんだ。
“彼女”が“幼馴染”に惹かれる展開なんて、ドラマやマンガの中だけだと思ってた。
まさか、自分がその当事者になるなんて。
「……もう、無理なのか」
その一言が、彼女の涙腺を壊した。
「……ごめん、本当に……」
謝らないでくれ。
それ以上、何も言わないでくれ。
その謝罪が、俺の“彼氏”という立場の終わりを意味してる気がして――
たまらなく、惨めだった。
* * *
夜。
スマホが鳴った。
通知は――“紘”からだった。
《話せるか? ハル》
何の用だよ、今さら。
そう思いながらも、既読をつけた。
すぐに、通話がかかってきた。
「……なんだよ」
「……ごめん。奪うつもりは、なかったんだ」
「……」
「でも、気づいたら……俺、澪のこと、好きになってた」
正面から、真っ直ぐに言いやがった。
悪意も、後悔も、遠慮もない――まっすぐな“好意”の告白。
ああ、そうか。
コイツは記憶をなくして、全部リセットされたんだ。
だから、何も背負っていない。
俺と澪の関係すら、ただの“結果”としてしか見てない。
「勝てるわけねぇよな」
俺が絞り出すようにそう呟いたとき、紘は返した。
「勝ち負けじゃないよ。……ただ、好きになった。それだけなんだ」
その“それだけ”が、俺から全部を奪っていく。