放課後、ふたりだけの“案内”
「――じゃ、俺たち、ちょっと抜けるな」
そう言って、紘は満面の笑みを浮かべながら教室を出ていった。
その腕には、俺の彼女――七瀬澪のカーディガンが、ふわりと掛けられている。
しかもそれは、彼が勝手に持っていったわけじゃない。
「はい、寒いといけないし」
そう言って、澪が自分から渡していた。
理由は簡単。
紘が少し肌寒そうな素振りを見せたから。それだけ。
いや、ほんのそれだけのことで、
なんで彼女が自分の服を渡すのか。
「……は?」
思わず、口から漏れた。
そんな俺に、誰も気づかない。
教室にはまだ残ってるやつもいたのに、
誰も咎めないし、止めない。
むしろ、「あ〜紘くん、澪ちゃんといい感じじゃん」って、
無責任な笑い声すら聞こえてきた。
おいおい、ちょっと待て。
俺の彼女だぞ?
「……はると、大丈夫?」
ぽん、と肩を叩かれて、振り返ると
幼馴染でもある女子・結花がいた。
クラスでも数少ない“事情を知ってる”友人だ。
「……大丈夫って、なにが」
「顔、めっちゃ引きつってたよ。笑」
「笑うなよ……」
俺は椅子に腰を落とし、机に突っ伏す。
紘が戻ってきたのは、たしかに驚いた。
でも、それだけじゃない。
一番の衝撃は、“彼”の変わりようだった。
昔は大人しくて、人見知りで、俺の後ろに隠れてばかりいた。
けど、今の紘は――違う。
堂々として、物怖じしなくて、誰とでもすぐに打ち解ける。
しかも、あいつ……“無意識に人を惹きつける”タイプだ。
無邪気で、嘘がなくて、距離感がバグってて――
それでいて、どこか懐かしさを感じさせる。
そう、まるで“昔の紘”を知ってる人間だけが惹かれるような、
不思議な引力を持っていた。
「……澪、何考えてんだよ……」
彼女の中で、“何か”が目覚めてしまった気がした。
⸻
放課後。
教室にふたりの姿はなかった。
俺は帰るフリをして、校舎の裏手へと足を運ぶ。
いや、ストーカーじゃない。
確認したかっただけだ。
“どこまで進んでるのか”――それを。
「あ……こっちこっち!」
その声が聞こえたのは、中庭のベンチのあたりだった。
「ごめんね、こんなとこまで。ほんとはもう少し校内見せたかったんだけど……」
「いいって、全然! てか、澪ちゃんの案内、すっげー楽しい!」
その声は、まるで小学生の遠足みたいなはしゃぎっぷりで。
「……はぁ?」
物陰に隠れて見た光景は――
紘が澪の手を握っていた。
正確には、彼がつまづきそうになった拍子に、
咄嗟に彼女が手を引っ張って、そのまま“握ったまま”になった形。
けど。
彼女の手は、離れていなかった。
「……」
「やっぱ覚えてないけどさ、澪ちゃんといると、なんか落ち着くっていうか……安心する」
「そっか……」
「これってさ、前世の記憶的なやつ? なんか運命っぽくない?」
「……ばか」
そう言いながら、澪は小さく笑ってた。
それが、俺の知らない顔だった。
俺といるときの彼女は、いつも“いい子”で、
どこか気を遣ってるような、遠慮がちな笑顔だったのに。
今の澪は――“本当に笑ってた”。
まるで、“彼女”じゃなくなったみたいに。
「……嘘だろ……」
手が震えた。
心臓の奥が、ぎゅっと締めつけられるように痛い。
紘は、なにも悪くない。
記憶がないだけで、悪気もない。
それどころか、俺とまた友達になろうとしてくれてる。
澪も、悪くない……のかもしれない。
彼のことを知ってて、懐かしくて、つい心が揺れるのも、わかる。
けど――
「俺の、彼女だろ……?」
そう言いたかった。
でも、声にならなかった。
ベンチに座ったふたりは、まだ手をつないでる。
まるで、それが自然なことのように。
俺が“知らない時間”の中で、
彼女の心は、少しずつ……俺から離れていく。
そんな気がした。