第96話 光の檻の中で
光が全てを照らしていた。
影ひとつない、真っ白な空間。
壁も床も天井も、境界が分からないほどに輝いている。
余計なものは一切ない。
椅子もテーブルも、装飾品も何もない。
ただ、光だけがある。
その中央に、レイは静かに立っていた。
銀髪が光に溶け込み、灰色の瞳だけが鋭く光る。
その視線の先には、全身を黒い甲冑に包んだ男がいた。
重厚な甲冑が、光を反射して鈍く光る。
兜の奥から覗く瞳は見えない。
だが、その存在感は圧倒的だった。
「……さて、君には聞きたいことが山ほどあるんだけど、まずは自己紹介してくれると嬉しいね」
レイの声はあくまで穏やかだ。
「僕は君のことをなんて呼べばいい?」
甲冑の男は動かない。
しばらくの沈黙。
やがて、低い声が響く。
「……名前にさしたる意味などない。好きに呼べばいい」
威厳すら感じるその声は、まるで地の底から響いてくるようだった。
レイは肩をすくめる。
「そう。じゃあ一応『冥将軍アルドベリヒ』ってことにしといてあげる」
レイが一歩前に出る。
足音が、光の空間に小さく響いた。
「ついでにその兜も外してくれるとありがたいんだけど。顔が見えないと話しづらくて」
レイの挑発に、アルドベリヒはしばらく沈黙した。
やがて、ゆっくりと両手を兜に向ける。
カチャリ。
金属の留め具が外れる音。
兜が持ち上げられ、脇に置かれた。
現れたのは、驚くほど美しい青年の顔。
漆黒の短髪に、深い黒の瞳。
彫刻のように整った顔立ち。
「へぇ、一応お願いは聞いてくれるんだね」
レイは眉を上げた。
興味深そうに眺める。
「意外と話が通じそうで助かったよ」
アルドベリヒの瞳が、レイを見据える。
「……なぜあの娘は、お前と引き合った?」
アルドベリヒが先に口を開く。
「お前が、あの娘にこだわる理由はなんだ?」
いきなりの質問。
機先を制する意図だろうか。
レイは少し驚いたような表情を見せた。
「君はまた、ずいぶんと話をすっ飛ばすんだね」
そして、穏やかに答える。
「結衣のことなら、確かにきっかけは好奇心だった。だけど僕らは繋がっていた。だから引かれて、何度も出会った。そしてふたりで一緒の時間を過ごして、僕は変わった。そこに理由なんてないよ」
レイの瞳に、温かい光が宿る。
「いま、結衣は僕のいちばん大切な人だ。もちろん、彼女もそうであってくれたらとても嬉しい。それだけだよ」
そして、穏やかな口調が一変した。
その眼差しが、一瞬で冷ややかなものに変わる。
「……それが最初の質問ってことは、やっぱり君の目的は結衣なんだね」
沈黙。
アルドベリヒは答えない。
レイは一歩前に出る。
「彼女の仲間まで巻き込んで、君は結衣に何をさせようとしているの?」
さらに沈黙。
光だけが、ふたりの間を満たしている。
「ここまで来て、黙秘はないんじゃないかな」
レイがまた一歩近づく。
「どうせ目的は、僕の排除とかそんなところでしょ? そんなことのために、君は彼女を巻き込んだの?」
黒い瞳がわずかに揺れた。
アルドベリヒの口が、ゆっくりと開く。
「……お前はこの世界にとって、強大すぎるイレギュラーだ。存在そのものが脅威ですらある」
淡々とした口調。
だが、その言葉の意味は重い。
「だが、お前は殺すことも元の世界に戻すこともできない。ゆえに世界は、彼女を必要とした」
レイの目が細くなる。
「つまり、結衣は僕を殺すことができる。彼女は君が用意した、僕への『刺客』なんだね?」
レイの声が確信に満ちる。
アルドベリヒは否定しない。
レイは続ける。
「だから僕を『魔王』に仕立て、血紅公と鱗王を使って『魔王軍』を作り、『魔王討伐』の必要性をお膳立てした。自ら冥将軍を名乗ってまで」
アルドベリヒの表情は変わらない。
「結構大変だったんじゃない? それにしては計画がちょっとずさんな気もするけど」
レイの薄笑い。
それに応えるように、アルドベリヒが反応を見せた。
「私は神などではない」
初めて感情らしきものが声に宿る。
「この世界に対する強権的な介入は許されていない。限られた手段の中で、最善を尽くしただけだ」
「『限られた手段』、ね……」
言葉とはうらはらに、レイの声はひどく冷たい。
「確かに、この世界での君の立ち位置と役割は気になるよ。けれど今はそれより優先するべき問題がある」
レイの表情から、笑みが消えた。
「君はその『限られた手段』を使って、結衣をこの世界に連れてくることができた」
一歩、また一歩と、レイがアルドベリヒに近づいていく。
「なら、元の世界に帰すことだってできるはず。実際、君は『神』として結衣に約束している。『魔王を倒せば元の世界に帰れる』ってね」
その瞳が、正面からアルドベリヒを見据えた。
「僕が君から聞きたいことはシンプルだ」
眼差しに、危険な光が宿る。
「『結衣を元の世界に帰す方法』。それさえ教えてくれれば、君にもう用はないよ」
言外に滲み出る圧。
だが、アルドベリヒは動じない。
「それを教えるのは、娘が自分の役目を果たし終えた時だ。お前が知ることはない」
きっぱりとした拒絶。
「要は、僕が大人しく彼女に殺されれば、彼女は元の世界に帰れるって言いたいんでしょ?」
レイの声に、嘲笑が混じる。
「で、その保証は?」
「お前に保証する必要性を感じない」
アルドベリヒはレイの要求をはねつけた。
「仮に私が保証したとして、お前が信用するとも思えん」
「まあそうだよね」
レイが肩をすくめる。
「僕としては、彼女の手で殺されるなら、それも悪くないと思っているよ」
レイの本音に、アルドベリヒはほんの少し眉を上げた。
「でもそれは、彼女の身の安全と確実な帰還が保証されてこそだ」
レイの声が、一段と低くなる。
「君にはそれができない。そして、する気もない」
視界が、わずかに揺らめく。
空間に、緊張が走った。
「それに僕も、自分の都合に結衣を巻き込んで危険に晒し続けた君を、最初からタダで帰すつもりなんかなかったし……」
レイの眼差しが、殺気を帯びる。
ふたりの周囲に、冷気がまとわりつく。
「交渉は決裂ってことで、いいよね?」
レイの口元に、冷たい笑みが浮かぶ。
「それじゃ、君には少し痛い目をみてもらおうか」
光が波打ち、空間が歪む。
ふたりの間に、見えない力が充満する。
空気が震え、静寂が痛いほどの緊張をはらんで膨れ上がる。
いま、かつてない戦いの火蓋が、切って落とされようとしていた――