第89話 異世界人の証
「だから彼女を、君たちに会わせるわけにはいかない」
何もかもが投げやりな青年の、おそらくただひとつの真摯な言葉。
それはふたりにとっても衝撃だった。
カインが苦しそうに言う。
「それは……確かにその通りかも知れない。これまでの俺たちの道のりはとても険しく、そして危険なものだった」
しかし、カインは顔を上げた。
「だが君の行動は、本当に彼女の意思を尊重してると言えるのか?」
「言えないかもね」
青年は素直に認める。
「だけど大切なのは、結衣を無事に元の世界に帰すこと。だから僕は君たちに彼女を譲る気はないよ」
青年からの一方的な通告。
しかし、カインは怯まなかった。
話を変え、別の角度から切り込む。
「君は結衣を元の世界に帰すと言うが、本当にそんなことができるのか? 可能ならなぜ今すぐに、彼女を帰さない?」
「確かに、結衣を元の世界に帰す方法は、まだ確立しているわけじゃない」
意外にも、青年はあっさりと認めた。
そして続ける。
「だけど、元の世界で死んでしまった僕と違って、生きたままこの世界に来た結衣は、元の世界に帰ることが理論上は可能なはず」
その言葉の底には、彼の自信と確信とが息づいていた。
「その方法を探し出せるのは今のところ僕だけ。なぜなら僕も結衣と同じ、異世界から来た転生者だから」
カインとミリアはまたもや驚いた。
まさかこの青年もまた、結衣と同じ異世界から来た存在だったとは。
次々と襲いくる情報の洪水に、頭がどうにかなってしまいそうだ。
だが、ここで交渉を放棄することはできない。
結衣を取り戻す可能性がほんの少しでもある限り、諦めるわけにはいかないのだから。
「……異世界から来たことを、君は、証明できるのか?」
カインは慎重に、青年の出方を伺う。
「できるよ」
青年は即答した。
「この世界には『魔法』が存在しない。結衣だけが『魔法』を使えることを、君たちはもう知ってるよね。それが、異世界人の証だよ」
カインとミリアはハッとした。
「『魔法』……確かに、以前からずっと不思議には思っていたが……では、まさか!」
「前にリバークラブと戦った時、結衣さんは『自分は異世界人だから魔法を使える』と言ってました……!」
青年は頷いた。
「彼女から聞いているなら話は早いね。じゃあ、ちょっと面倒だけど、君たちには特別に僕の『魔法』を見せてあげる」
そう言って、青年は荒野に向かって軽く手をかざす。
その瞬間、世界が変わった――
地響きが鳴り響く。
大地が割れ、そこから真っ赤な炎が吹き出した。
炎は竜巻のように空に舞い上がり、夜空を赤く染め上げる。
嵐が荒れ狂う。
巨大な竜巻が唸りを上げ、砂埃が舞い踊った。
雷が落ちる。
凄まじい轟音と共に、大地を焼くいくつもの稲妻が走った。
空気の焼ける匂いが鼻をつく。
カインとミリアは身を寄せ合い、その光景に圧倒された。
辺りはさながら、世界の終焉を迎えたような地獄絵図が広がっている。
もしここに生き物がいたら、残らず死に絶えたことだろう。
そして、青年が軽く手を振ると――
今度はすべてがおさまった。
炎は消え、竜巻は消滅し、雷は鳴り止んだ。
まるで何事もなかったかのように、荒野に静寂が戻った。
カインとミリアは、その一部始終を目撃した。
言葉を失い、ただただその信じがたい光景を見つめるしかなかった。
「……さて、これで話は済んだよね」
青年が無表情に言う。
「じゃあ僕は帰るから……」
「待ってください!」
話を切り上げようとする青年の声を遮ったのは、ミリアだった。
普段の穏やかさをかなぐり捨てて、彼女は必死に食い下がる。
「どうしても結衣さんに会いたいんです! 会わせてください! お願いです!」
「俺からも、どうか頼む」
そんなミリアの肩を抱いて、カインも真剣な瞳で青年を見つめる。
「結衣は大切な仲間だ。この目で無事を確認したい」
だが青年は、もはやこの場の全てに関心を失っていた。
光のない灰色の瞳は、張りつめた水面のようにどこまでも冷たい。
「……そんなに結衣に会いたければ、次は君たちから会いにくるといいよ」
青年が告げる。
その姿が、少しずつ薄れてゆく。
ふたりの希望と共に。
「それまでに彼女がまだ、この世界にいればの話だけど」
そして、青年は霧のように消え去った。
「そん……な……」
ミリアは膝から崩れ落ちた。
カインがそれを支える。
ミリアはカインにしがみつく。
その胸で泣きじゃくった。
涙がとめどなく溢れ、カインのシャツを濡らす。
カインは優しくミリアを抱きしめた。
その眼差しも、深い悲しみに彩られている。
「このままでは終われない。必ずもう一度、三人で結衣に会いに行こう」
「はい、カインさん……」
ミリアが泣きながら頷いた。
遠くで、夜鳥が鳴いた。
その声は、どこまでも悲しく響いていた。