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第86話 恋愛ドラマと揺れる心

 リビングに、切ない音楽が流れている。

 テレビの画面では、美男美女が見つめ合っている。

 ネトフリの恋愛ドラマの一場面だ。


 そして結衣はといえば、ソファに寝っ転がり、テレビの画面に見入っていた。

 足を投げ出し、すっかりリラックスモード。

 いつの間にか、我が物顔でリビングを占拠している。


「またそのドラマ見てるの?」


 レイがキッチンから現れる。

 手には氷の入ったグラスがふたつ。

 琥珀色のアイスティーが、午後の光に美しく輝く。


「ずっと同じ番組ばかり見てて、飽きない?」


 レイがグラスを差し出した。

 結衣は画面から目を離さずに受け取った。


「んー、元の世界にいた時からもう何周もしてるよ。セリフも覚えちゃった」


 結衣はアイスティーを一口飲む。

 アールグレイの香りが鼻をくすぐった。


「ちょうど失恋してヤケになってたしね。なーんもやる気起きなかったし」


 結衣は苦笑いを浮かべる。

 レイは隣のソファに腰を下ろした。


「ふーん」


 レイは何気なく口にした。


「……君を振った彼氏って、どんな奴だったの?」


 結衣が驚いたように振り返る。


「え、気になる? レイってそういうの興味ない人だと思ってた」


「…………」


 レイは言葉に詰まった。


(なぜこんなことを聞いているんだろう? 僕には関係ないはずなのに……)


 自分でも理由がわからない。

 ただ、なんとなく気になってしまった。

 胸の奥に、もやもやとした感情が渦を巻く。


 結衣はレイの沈黙に気づかず、再びテレビに視線を戻した。


「まー顔も思い出せないくらいだし、たぶん最初からどうでもいい人だったんだよ、きっと」


 結衣の言葉には何の感慨もない。


「それに今は、ジークやミリア、カインの方がずっと大事だしね」


 レイの表情が複雑に歪んだ。

 アイスティーのグラスを握る手に、わずかに力が入る。


「……結衣」


 レイが静かに口を開く。


「もしかして本当は、元の世界に帰りたくなかったりする?」


「え、どうして?」


 結衣は不思議そうに首をかしげた。


「帰りたいに決まってるよ。家族や友達もみんな心配してるだろうし」


「……そう」


 レイは戸惑いを隠せなかった。

 ジークたちの方が大事だと言いながら、元の世界に帰りたいと言う。

 彼女自身は、その矛盾に気がついているのだろうか?


 その時、テレビから聞き慣れない台詞が流れてきた。


『行かないでくれ! 君はまた、僕を置いて、遠い世界に旅立ってしまうのかい!?』


「あれ?」


 結衣が首をかしげる。


「ここ、こんなセリフなかったよね?」


 画面の中で、男性俳優が今まで聞いたことのない言葉を口にしていた。


「……番組表の情報から、僕が再生してるだけだからね」


 レイがさらりと答える。


「細かい違いはどうしても出てくるよ」


「へー」


 結衣が感心したように頷く。


「レイの力も万能ってワケじゃないんだね」


「……本当に何でもできるなら、今ごろ君を元の世界に帰してあげてるよ」


 レイの声に、わずかな自虐が混じった。


「僕のできることなんて、実は限られてる」


 目の前の女の子の願いひとつ叶えてあげられないチート能力に、いったい何の意味があるというのだろう――


「そっか、それもそうだよね……」


 結衣が申し訳なさそうに呟く。


「ねぇレイ、私なにも手伝ってないけど本当にいいの? この世界の謎を解いて、元の世界に帰る方法を見つけるんでしょ?」


 結衣がソファの上で姿勢を正し、レイに向き直る。

 その表情は、真剣だ。


「私にできることがあれば、力になりたいよ」


「うーん。気持ちは嬉しいけど、君に手伝ってもらえることは特にないかな」


 レイはこともなげに言った。


「いまは何もせずにここに居てくれた方が助かるよ。僕が安心できるから」


「そうだよね……」


 結衣の肩が落ちる。


「ごめん、役立たずで」


「君が気にすることじゃないよ」


 レイの言葉は優しい。


「必ず帰してあげるから、僕を信じて」


「うん……」


 結衣が小さく頷く。

 そして、ぱっと顔を上げた。


「あ、じゃあ代わりに私がごはんを作るのはどう?」


 結衣の表情が明るくなる。

 だが、すぐに曇った。


「って私、料理できないんだった……」


「まあ、そこら辺は気にしなくていいから」


 レイが苦笑いを浮かべる。

 結衣はさらに肩を落とした。


「私、ホントになんにも役に立ってないなあ……」


「そんなことないよ」


 レイは少し、表情を和らげる。


「君がここにいてくれるから、たぶん僕は……」


 レイの言葉はそこで途切れる。

 わずかな異変が走った。

 その表情が急に変わる。

 何かを感じ取ったようだ。


「レイ、どうしたの?」


 結衣が心配そうに尋ねる。


「いや、大したことじゃないよ」


 レイは、ここではないどこかを見て立ち上がった。

 さっきまでの和やかな空気が霧散する。


「君はここでちょっと待ってて」


「えっ……待ってよレイ!」


 結衣も慌てて立ち上がる。


「私も行く!」


 だが、レイの姿はすでに消えていた。

 まるで最初からそこにいなかったかのように。


「レイ……?」


 結衣が呟く。

 リビングには、彼女一人だけがとり残されていた。


 アイスティーのグラスが、テーブルの上で静かに汗をかいている。

 氷がカランと音を立てて溶けていく。


 結衣は急に不安になった。

 手のひらが冷たい。

 心臓がドクンと鳴る。


 レイの表情が、いつもと違っていた。

 何か良くないことが起きているのではないだろうか?


 窓の外を見る。

 偽りの青空が広がっている。

 それが際立って、ますます不自然に感じられた。


「レイ……」


 結衣は再び呟く。

 胸の奥に、じわじわと嫌な予感が広がっていく。


 静寂が部屋を支配する。

 時計の針だけが、規則正しく時を刻み続ける。


 いつの間にか、テレビの恋愛ドラマが消えて砂嵐になっていたことにさえ、結衣は気づかなかった。

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