第84話 元の世界に、君を帰す
「レイが転生した時のこと、詳しく教えてくれない?」
「いいよ」
レイが元の世界に帰れないという事実に驚きはしたものの、それと朝食の美味しさはまた別問題だ。
結衣は冷奴をつつきながら尋ねた。
レイも再び食べ始める。
「ある日交通事故にあって、意識を失った。気がついたら、そこは戦場のど真ん中だったよ」
レイは茶碗から白米を口に運んだ。
「血紅公と鱗王の軍勢が激しく戦ってた。兵士たちが入り乱れて、殺し合って、何が何だか分からなかった……で、とっさに手を上げてみた」
続いて卵焼きを頬張る。
「そしたら、激しい轟音と共に大地が割れて、あたり一帯に雷が降り注いだ。戦場は一瞬で壊滅して、血紅公と鱗王が瀕死で地面に転がってた。僕はその場を後にした」
壮絶な光景を語りながら、レイは納豆に手を伸ばす。
「それから各地を転々として、いろいろと自分の力を試した。その結果、この世界の中で僕にできないことは、ほぼないことがわかった。そして……」
味噌汁を一口啜り、レイは言った。
「……僕は、不死の身体になってしまった」
「……え?」
それまでご飯を頬張りながら話を聞いていた結衣は、思わず箸を止めた。
レイは淡々と続ける。
「それからはもう考えることすら面倒くさくなって、あてもなく世界を放浪し続けた。ヴァルディアの図書館で君に出会うまではね」
「…………」
結衣は一瞬、言葉を失った。
そういえば、結衣が知るレイはいつもひとりきりだった。
「……ねぇレイ、ずっとひとりで寂しくなかったの?」
レイはといえば、特に感慨に耽るでもない。
目の前の焼き鮭を平らげる。
「死ねないと知った時、絶望しなかったといえば嘘になるかな……でも、もう慣れた。日本で生きてる時から、特に親しい友人や恋人もいなかったしね」
「そんな……お父さんや、お母さんは?」
「僕が子供の頃からずっと忙しい人たちだった。不自由ない暮らしはさせてくれたけど、あまり一緒に過ごした記憶はないよ」
「…………」
結衣は言葉を探したが、見つからなかった。
レイが話題を変える。
「……ここは僕が作った特殊な空間。君を傷つけるものは誰も入ってこられない。ここにいる限り、君の安全は保証してあげられる」
結衣は不安そうに尋ねる。
「それはすごく嬉しいけど……でも、みんなはどうしてるの? ジークは? ミリアやカインは?」
「大丈夫、彼らは生きてる。安心して」
レイは結衣を安心させようとした。
だが、結衣は納得しない。
「でも私、みんなが心配だよ。それに私の無事も伝えたいし……」
そして、レイに向かって頼み込んだ。
「みんなのところに戻りたい。お願い! ここから出して、レイ!」
「ダメだよ、君は彼らのためにまた無茶するでしょ? 血紅公と鱗王が死んで、外はまだ混乱してるんだ。君はしばらくここにいて」
レイは結衣の頼みを一蹴した。
にべもないその返事に、結衣の顔色がみるみる変わる。
「そんな……勝手に決めないでよ、レイ!!」
結衣は不満を爆発させた。
「私だって、仲間のことが心配なの! 今だってみんなが危険な目にあってるかも知れないのに、私だけここでのうのうとしてるなんて、できないよ!」
結衣の剣幕に、だが、レイは静かに頭を下げた。
「……今は僕の言うことを聞いてほしい。お願いだ」
「え、レイ……?」
驚く結衣。
レイの哀願は静かだったが、いままで見たこともないほどに切実だった。
「君が傷つく姿を、僕はこれ以上見たくない」
結衣は言葉を失った。
初めて図書館で会ったあの無気力青年と、同じ人物とはとても思えない。
「自分でも理由は分からない。でも、とても苦しいんだ」
どうしてここまで、自分のことを気にかけてくれるのだろう?
同じ異世界人だから?
それとも?
「……じゃあレイは、これから私をどうするつもりなの?」
結衣は疑問を投げかけた。
レイは結衣の瞳を見つめる。
そして、はっきりと口にした。
「なぜ、僕たちがこの世界に呼ばれたのか、その理由を探る。そして、もし可能なら……君を元の世界に帰してあげたい」
レイのその言葉の中には、彼自身の確かな意志が存在した。
「僕と違って、君は生きたままこの世界に来た転移者だから。帰還の可能性はあるはずだよ」
その言葉に、結衣は希望ではなく一抹の不安を覚えた。
「でも、そんな……それじゃ、レイはどうなるの?」
「僕だけなら、どうでも良かった。だけどこの世界が君を巻き込むのなら、話は別だ」
結衣を見つめるレイの瞳に、生気が宿っていく。
何かが、彼を無気力から立ち直らせている。
その事実が、結衣を迷わせる。
レイをこのまま、ひとりにしておいていいのだろうか?
ひとりになったら、レイはまたあの無気力な青年に戻ってしまうのではないか?
「……レイがそこまで言うなら、分かった」
結衣は小さく答えた。
レイの表情は変わらなかったが、結衣の言葉に安堵しているのは明らかだった。
「君は大丈夫、きっと元の世界に帰してあげる。だから僕に任せて」
「うん……」
結衣は頷いてみせたものの、やはり不安は拭えない。
(レイ、これからどうするつもりなんだろう……)
そして、もうひとつの不安も。
(ジーク……みんな、大丈夫かな……)
結衣はまだ気がついていなかった。
仲間たちだけでなく、蒼ともまた、離れ離れになってしまったことに。