第83話 健康な生活は和朝食から
シャワーから出ると、キッチンからいい匂いが漂ってきた。
醤油の香ばしい匂い。
味噌のいい香り。
結衣は鼻をひくひくさせながらリビングに向かう。
「……え?」
結衣は目を丸くした。
テーブルには、完璧な和朝食が並んでいた。
ふっくらと炊けたご飯。
しじみとワカメの味噌汁。
きれいに焼き色のついた鮭。
小皿に盛り付けられた納豆。
冷奴にはネギがたっぷり。
フルーツサラダまである。
「うわあ……すごい……」
結衣は目を輝かせた。
久しぶりの和食に、胸が躍る。
キッチンでは、レイがエプロン姿で料理をしている。 洒落た濃紺のエプロンに、銀髪のショートヘアがよく映える。
まるで料理番組のイケメンシェフだ。
「もうすぐできるから、座って待ってて」
レイが振り返る。
「レイってば料理もできるの!?」
「まあ、ちょっとした嗜み程度には」
レイは器用に卵焼きをひっくり返す。
黄金色に焼けた卵焼きが、フライパンの中で踊った。
「いやいやいや。こんな豪華な朝食、私には絶対作れないから」
「そう? 慣れれば誰でもできるよ」
「そんなワケないでしょ……」
結衣は地の果てまで落ち込んだ。
得意料理のレパートリーといえば、カップラーメンと冷凍食品。
目玉焼きすら焦がしてしまう自分には、こんな本格的な和朝食など、夢のまた夢である。
「さ、食べようよ。ご飯が冷めちゃうから」
レイが焼きたての卵焼きを運んでくる。
結衣の腹が派手に音を立てた。
さっそくテーブルにつき、両手を合わせる。
「いただきます!」
箸を手に取り、まずは卵焼きを一口。
甘くて、ふわふわで、口の中でとろける。
出汁がよくきいた上品な味だ。
「おいしい……!」
「そう、よかった」
レイも箸を取り、静かに食べ始める。
その仕草はどこか、育ちの良さを感じさせた。
「ねぇ、聞かせて。レイは何者なの?」
結衣は味噌汁を飲みながら尋ねた。
「ここはどこ? 私たち、一体どうなっちゃったの?」
「ちゃんと説明するから、質問はゆっくりね」
レイは静かに答える。
「まず、僕のことから話すよ」
そして続けた。
「僕の名前は神狩玲。現代から来た転生者」
「ええっ!?」
突然明かされた衝撃の事実に、結衣は焼き鮭を口に入れたまま、目を白黒させた。
「転生者って、まさか……!」
レイは頷いた。
「そのまさかだよ、君と同じ。ただ僕は、一度死んでからこの世界に転生したんだ。チート能力付きでね」
「チートって……えええ!?」
「うん、チート。言葉の通りだよ」
彼は黙々と食事を続ける。
「僕はどこにでもいる日本の大学生だった。三年前の話だから、今は二十五歳……もっともこの異世界で年齢に意味があれば、の話だけど」
「日本人!? 大学生!? てか歳近くない!?」
結衣は驚愕した。
まさか、遠い異世界でこうも身近な存在に出会うとは。
「でも、その髪の色と瞳は……?」
結衣はレイの銀髪を見つめた。
「ああ、僕はアルビノなんだ。生きてる頃からこの姿だったよ。まあ、ちょっと周りから浮いてたのは確かだね」
レイはさらっと答える。
「そうだったんだ……なんか、ごめんね」
「いいよ、別に気にしてないから」
結衣は納得した。
確かに、日本人にもアルビノの人はいる。
アルビノなら、髪も瞳も薄い色になる。
珍しいけれど、不思議ではない。
「……それで、ここはどこ? 私たち、日本に帰ってきたの?」
結衣は期待を込めて尋ねた。
が、レイの答えは期待を裏切るものだった。
「残念ながら、ここは日本じゃない。日本の姿を模しただけの、元の異世界」
その言葉に、結衣は盛大に肩を落とす。
「そっか……じゃあこの部屋は?」
レイはこともなげに答える。
「この部屋は僕が一時的に作り上げた、いわば仮想空間みたいなもの。本物じゃないよ」
結衣は今朝何度目かの驚愕に襲われた。
「えっ……こんなすごい部屋を、ひとりで丸ごと作っちゃったの!? 水やガスも? 服とか家電も? 全部!?」
「まあ、そうだね」
眩暈がする。
今まで自分が過ごしてきた、異世界のあの不便な暮らしはいったい何だったのか。
「いやいやいや。こんなことができるなんて、レイのチートは反則でしょ!! もうずっとここに住めちゃうよ!?」
だが結衣の次の一言が、レイの表情をわずかに曇らせた。
「てかこんなチートが使えるなら、普通に日本に帰ろうとか思わないの!?」
「……戻れないよ」
レイは少し目を伏せて、首を横に振った。
「僕は一度死んでしまった転生者だから、もう元の世界には戻れない」
結衣は絶句した。
「え、帰れないって……そんな……」
結衣の表情が暗くなる。
箸を持つ手が、かすかに震えた。