第73話 鞭と灰の奴隷労働
灼熱の大地を踏みしめ、一行はついにドラゴンズスケイルの城壁の前に立った。
岩肌は黒く焼け、巨大な石壁が空を切り裂くようにそびえている。
壁の上には鋭い鉄柵と見張り台。
どこまでも続く灰色の壁の向こうには、火山の煙がもくもくと立ち上る。
「……でかいな」
ジークが額の汗をぬぐいながら呟いた。
「これが、鱗王の城壁……」
結衣は思わず息を呑む。
石の隙間から立ちのぼる熱気が、顔を焼くようだった。
「ここまで来たんだ。慎重に行こう」
カインが低く言う。
道中の苦難の記憶がよみがえる。
カーライルの地図を握りしめて進み、獣人のアドバイスに助けられてフレイムスコーピオンの巣を大きく迂回した。
大サソリの毒針の音が、今も生々しく耳に残っている。
「エルフさんの薬草茶のおかげで、火山ガス地帯も無事に抜けられましたね」
ミリアもここまでの旅路を思い出す。
火山ガスに耐性をつけるというエルフの薬草茶は喉に苦い後味を残したが、全員の命を救ってくれた。
「今回も偵察が最優先だ。俺たちは奴隷に紛れて情報を収集する。戦闘は極力避ける。いいな」
カインが改めて念を押した。
「情報を持ち帰る。それが一番大事です」
ミリアも頷く。
「死んだら元も子もねぇからな」
ジークが拳を固める。
「大丈夫。みんなで帰ろう」
結衣がそっとその手を握った。
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奴隷の列が城門前に集まっているのが見える。
若い男女、そして子供。
老人や病人の姿はない。
みな一様に土埃にまみれ、無表情でうつむいている。
「……攫われた奴隷たちか」
ジークが唇を噛む。
オークの兵士が怒号を飛ばしていた。
鉄の棍棒で地面を叩き、奴隷たちを急かす。
「動け! さっさと並べ!」
声が地響きのように響く。
「俺たちも行こう」
カインが短く言い、四人は奴隷の列に紛れた。
列の進みは遅い。
灼熱の石畳に立たされ、汗が背中をつたう。
オークの兵士がひとりひとりを睨みつけ、荷物を取り上げていく。
「名前!」
「……カルロ」
カインが用意していた偽名を答える。
「出身!」
「……南の村です」
結衣も小さく嘘をつく。
「荷物を出せ!」
ジークは無言で睨み返したが、オークが棍棒をちらつかせると、渋々荷物を差し出した。
武器をはじめ、ミリアの薬草や結衣の小石まで、全て没収された。
体を調べられ、髪や口の中まで確認される。
蒼は結衣の肩に小さく身を潜め、気配を消していた。
「荷物、全部取られちゃったよ……」
結衣が唇を噛む。
「後で取り戻せばいい」
ジークが小声で囁く。
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奴隷居住区は、石壁に囲まれた広い広場だった。
地面は乾いた土。
簡素な木の寝台が並び、隅には水桶と粗末なパンが置かれている。
若い奴隷たちが、ぼろぼろの服で無言のまま座っている。
人間、エルフ、獣人……
誰も目を合わせない。
全員が、諦め切った顔をしていた。
「全員、若くて健康な奴隷ばかりだな」
カインが辺りを観察する。
「……使い物にならない奴は、最初から連れてこないってことか」
ジークが吐き捨てる。
オークの監督が棍棒を振り回しながら歩き回る。
「おい、そこの新入り! 喋るな!」
怒号が飛ぶたびに、奴隷たちはびくっと肩をすくめる。
結衣たちも、木の寝台に腰を下ろした。
やがて食料が配られた。
パンは固く、噛んでも粉のように崩れる。
水はぬるく、鉄臭い。
「これ、本当に食べ物なの……?」
結衣がパンを見て顔をしかめる。
「……食わなきゃ、死ぬだけだ」
ジークは無表情でパンをかじった。
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夜になると、広場の隅に死体が積まれているのが見えた。
奴隷たちが死体を引きずり、外へ運び出していく。
そう遠くないうちに、今度は自分たちが運ばれる側になるのだ。
「……これが、奴隷の現実か」
カインの表情は厳しい。
「逃げた奴は?」
「見せしめだ。あそこに吊るされてる」
ジークが顎で指す先、石壁に縛られたまま干からびた死体が晒されていた。
ミリアが震える声で呟く。
「こんな……こんなことが、毎日……」
「……ねぇ、私たち、偵察に来たんだよね?」
結衣が自分に言い聞かせるように呟く。
「そうだ、今はここで情報を集める。辛いだろうが、耐えるしかない」
カインが静かに答える。
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朝は、オークの怒号と鞭の音で始まる。
「起きろ! 働け!」
奴隷たちは叩き起こされ、列を作って広場に並ぶ。
炎天下の中、火山灰を掘り返して農作業。
石を運び、要塞の壁を修理する。
手袋もなく、素手で石を持ち上げるたびに手のひらが裂け、血がにじむ。
「……重い、です……」
ミリアが額の汗をぬぐう。
「辛かったら言ってくれ。俺がなんとかする」
カインがそっと声をかける。
「大丈夫です。皆さん、もっと辛そうですから」
ミリアは無理に笑う。
ジークは石を積みながら、隣の奴隷に声をかけた。
「ここに来て、どれくらいになる?」
「さあな。よく覚えてねぇ」
男は虚ろな目で答える。
「お前たちに希望はあるのか?」
「希望? そんなもん、ここにはねぇさ」
男は乾いた笑いを漏らした。
作業中、オークの監督が鞭を振るう。
「遅い! 死にたいのか!」
鞭が空を裂き、奴隷の背中に赤い線が走る。
ミリアは思わず駆け寄ろうとするが、オークに睨まれ、足を止める。
「治してあげたいのに……」
ミリアが泣きそうな顔で呟く。
「下手に動くと目をつけられる。すまないが我慢してくれ」
カインが低く諭す。
結衣も、何もできない自分に歯を食いしばる。
(何か、何かできることは……)
ジークはオーク兵士の動きを観察して隙を探るが、常に誰かの目が光っている。
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夜、寝床に戻ると、全身が痛む。
手のひらは血と泥でぐちゃぐちゃだ。
パンは相変わらず固く、水はぬるい。
「これが毎日続くのかぁ……」
結衣が天井を見つめて呟く。
「でも私たち、必ず情報を持ち帰るんですよね」
ミリアが小さく言う。
「そうだ。絶対に情報を掴んで、ここから出る」
カインが力強く答える。
「……ああ」
ジークが短く頷いた。
外で、また死体が運ばれていく音がした。
炎のような夜風が、奴隷たちの間を吹き抜けていった。