第72話 ドラゴンズスケイルの脅威
アジトの広間は、夜の焚き火の明かりに照らされていた。
エルフが作るハーブの煮込みの香りが漂い、ドワーフの焼いたパンがパチパチと音を立てる。
獣人たちが狩ってきた肉のグリルが、じゅうじゅうと焼ける音を響かせていた。
人間が笑い、エルフが歌い、ドワーフが酒を酌み交わす。
種族も年齢も違う者たちが、同じ火を囲んで賑やかに語り合う。
やがて食事が一段落したころ、カーライルが静かに立ち上がる。
焚き火の炎が、灰色の毛並みと金色の瞳を照らす。
その声は、広間に集まった全員の心に、じわりと重く染み込んだ。
「……鱗王グラドラスと、ドラゴンズスケイルについて、知っていることを話そう」
広間のざわめきが、ぴたりと止まる。
「鱗王領は、火山地帯に囲まれた天然の要塞だ。中央には巨大な石造要塞――『鱗の玉座』がそびえ、周囲には階層ごとに居住区が広がっている。最上層は鱗王と戦士名家の住まい。下層には奴隷のための居住区がある。そこでは、人間もエルフも獣人も等しく、ただの労働力として扱われている」
カーライルの声が低く響く。
焚き火のぱちぱちという音が、やけに大きく聞こえた。
「ドラゴニュートは、人間の三倍、いや五倍はあると言われる筋力と反射神経を持つ。その鱗は刀剣を弾く天然の鎧だ」
結衣は思わず息を呑んだ。
「奴らは『力こそ正義』を信じて疑わない。強い者が上に立ち、弱い者は徹底的に踏みにじられる。奴隷の命は、石ころよりも軽い」
ミリアが手をぎゅっと握りしめる。
「ドワーフは、工房で武器や防具を作らされている。新しい武器は、必ず人間の奴隷で切れ味を試す。基準に達しなければ、その武器で作った本人が処刑される。それが奴らのやり方だ」
ドワーフの親父が、黙ってグラスを握りしめた。
エルフの女が、そっと隣の子供を抱き寄せる。
「人間やエルフ、獣人は、火山灰の農地で農作業、深層の鉱山で採掘、要塞の拡張工事などに従事させられる。過酷な労働で、三年経たないうちに半数以上が死んだという。また獣人は娯楽のために、闘技場で殺し合いをさせられるとも聞く。反抗の芽は、徹底的に摘まれる」
広間の空気が、じりじりと熱くなる。
焚き火の炎が、まるでドラゴニュートの吐息のように見えた。
「鱗王グラドラスは、最強の戦士だ。直属の『竜鱗騎士団』は一人で軍隊と互角。奴らの戦い方は磨き抜かれている。集団戦においても、個の力でも、全てが桁違いだ。弱者は徹底的に叩き潰される。力のない者に、人権はない」
カーライルの声が、焚き火の上で重く沈む。
住人たちの顔が、炎の陰で引き締まる。
「……そんな場所に、私たちは行くの?」
結衣が小さく呟いた。
ジークが、結衣の手をそっと握る。
「怖いか、結衣。でも、オレたちにしかできないことだ」
「うん、分かってる。ありがと、ジーク」
珍しく結衣を気遣うジークの手を、結衣も握り返す。
カインとミリアも、静かに頷く。
カーライルは四人を見つめ、優しくも厳しい声で続けた。
「君たちの活躍に期待している。ブラッドヘイブンでの勇気と知恵を、ドラゴンズスケイルでも発揮してほしい。情報を持ち帰ることができれば、我々全ての希望になる」
だが、すぐに表情を和らげる。
「だが、危険があればすぐに戻ってきてくれ。君たちの命が最優先だ」
リリアンが微笑む。
「無理はしないで。あなたたちが無事でいてくれることが、私たちの希望になるのよ」
結衣は仲間を見回した。
四人の心はひとつだった。
結衣はカーライルに向き直った。
「必ず情報を持って帰ります。絶対に、諦めません」
カインが力強く頷く。
「命を賭してでも、必ず」
ジークとミリアも、決意の色を浮かべた。
---
夜が更けていく。
四人はそれぞれ旅の準備に取りかかった。
結衣は小石をひとつひとつ点検し、蒼と小声で囁き合う。
(鱗王って、どれくらい強いんだろう……)
(そりゃ、今までの敵とは桁違いだろうねー)
(でも、やるしかないか……)
結衣は自分に言い聞かせる。
ジークはドワーフの鍛冶師から、丹念に研がれたスクラマサクスを受け取る。
「……ありがとな」
「おう、無事に帰ってこいよ。刃こぼれしたら、また研いでやる」
ミリアはエルフの薬師から、火山ガスの毒に耐性のつく薬草茶を受け取る。
「これで、少しは安心ですね」
「道中気をつけて。帰ってきたら、また薬湯を一緒に作りましょう」
カインは獣人の戦士と地図を広げ、鱗王領への最短ルートを確認する。
「この道を通れば、オークの巡回を避けられる。ただし、火山帯は危険だ」
「心得た。細心の注意を払う」
カーライルとリリアンが、食料と水、そして鱗王領までの詳細な地図を四人に手渡す。
「気をつけてな」
「絶対に戻ってこいよ」
住人たちが、ひとりひとり声をかけてくれる。
---
翌朝。
朝日が岩山を赤く染める。
アジトの広場に、住人たちが集まっていた。
カーライルが最後に、四人の前に立つ。
「鱗王領は灼熱の地だ。火山ガスと熱に気をつけろ。道中、必ず仲間と助け合え」
リリアンが、そっと手を握る。
「無事を祈っています」
アジトの入口で、住人たち全員が手を振る。
「絶対戻ってくるからね!」
結衣が大きく手を振る。
「皆さん、ありがとうございます」
ミリアが深く頭を下げる。
「オレたちはそんなにヤワじゃねぇ」
ジークが照れ隠しに呟く。
「必ず任務を果たす」
カインが静かに決意を口にする。
朝日を背に、四人は灼熱の大地、鱗王領ドラゴンズスケイルへと足を踏み出した。
背中には、アジトの温もりと皆の願いが、確かに残っていた。