第71話 異世界温泉、心も体もリフレッシュ!
アジトの入口には、エルフの弓兵が見張りに立ち、ドワーフの鍛冶師が大きなハンマーを肩に担いでいる。
獣人の兵士や人間の農夫たちも、皆がカーライルに敬意を込めて頭を下げた。
「おかえりなさい、カーライルさん!」
「新しい仲間か?」
「おう、頼もしい連中だぞ」
結衣はさっそく子供たちに囲まれた。
「ねえねえ、どこから来たの?」
「お姉ちゃんの髪の色、変!」
「お姉ちゃんたちはねー、違うアジトから来たんだよー」
「それ、どこ?」
「他にも人がいるの?」
子供たちの無邪気な笑い声が、アジトの空気を和ませる。
ミリアはここでもエルフの薬師と、薬草の話で盛り上がる。
ジークはドワーフの鍛治職人たちに、ジノカリアから貰ったスクラマサクスを見せていた。
カインは獣人の戦士たちと真剣な表情で会話している。
やがて、カーライルが一人の女性を連れてくる。
栗色の髪、優しげな瞳。
人間の女性だった。
「紹介しよう。妻のリリアンだ」
「えっ。奥さん、人間なんですか!?」
結衣が素っ頓狂な声を上げる。
「そうだ。私は魔王軍の襲撃で妻を失った。リリアンも同じように夫を亡くしていた。ここで出会い、助け合ううちに、自然と家族になったんだ」
カーライルが静かに語る。
リリアンは微笑んだ。
「ここには、エルフとドワーフ、獣人と人間、いろんな家族がいます。戦争で家族を失った者同士、支え合って生きているんです」
エルフの女性と人間の男性が手を取り合い、獣人の男性とドワーフの女性が並んで笑う姿も見える。
「素敵……」
ミリアが感動で目を潤ませる。
「変な感じだが、悪くないな」
ジークが照れ隠しに呟いた。
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アジトの奥、岩山の斜面にぽっかりと開いた洞窟。
その奥から、もうもうと湯けむりが立ちのぼっていた。
日の光に照らされ、湯けむりは虹色に揺れる。
硫黄と鉄の混じった独特の匂いが鼻をくすぐる。
肌にまとわりつく湿気と熱気。
どこか懐かしい、でも確かに異世界の空気。
「これ……温泉?」
結衣が目を丸くする。
「おお、そうじゃとも!」
ドワーフの長老が胸を張る。
豊かな髭を湯気でしっとりさせながら、満面の笑み。
「ここの湯は火山の恵み。鉄分と硫黄がたっぷりでな、傷や疲れに効くんじゃ。ほれ、あっちは美肌の湯、こっちは筋肉痛に効くぞ。みなワシらの自慢の湯じゃ!」
「マジ!? 異世界で温泉に入れるなんてサイコー! 生きてて良かった!」
結衣が両手を挙げて小躍りする。
「こんな贅沢、考えたこともありません……」
ミリアは頬を赤らめ、そっと湯けむりに手を伸ばす。
「おい、本当に大丈夫なのか?」
ジークが恐る恐る覗き込む。
「男湯と女湯、きちんと分かれておるからのう。安心して入ってくれ」
ドワーフの長老がにやりと笑う。
それぞれ布と桶を受け取り、男女に分かれて脱衣所へ。
結衣は蒼をジロリと睨んだ。
(蒼、まさか女湯に入る気じゃないよね?)
(えっ、ダメなの? 僕、鳥だよ?)
(ダメに決まってるでしょ! アンタは男湯よ!)
蒼はしょんぼりと男湯の方へ飛んでいった。
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女湯は岩をくり抜いた天然の露天風呂。
湯面には白い湯けむりがふわふわと漂い、岩肌には赤や黒の鉱石がきらきら光る。
足を入れると、じんわりと熱が伝わってくる。
湯は少し濁っていて、肌を包む感触が柔らかい。
「わぁ……気持ちいいです……」
ミリアがそっと肩まで湯に浸かる。
「うわー、最っ高! 生き返るー!」
結衣は大きく伸びをした。肩から背中に、じわりと疲れが溶けていく。
周囲にはエルフやドワーフ、獣人の女たちも入浴していた。
エルフは長い髪を頭の上にまとめ、ドワーフは布でごしごしと腕や背中を磨いている。
「エルフさんたちの髪、どうやってそんなに綺麗に手入れしてるんですか?」
興味津々といった様子でミリアが尋ねると、エルフの女が微笑んだ。
「ここの温泉水で洗うと、指通りが良くなるの。薬湯を少し混ぜると、もっと滑らかになるわ」
「ドワーフの皆さんは?」
「アタシらは湯の成分で肌を磨き上げるんだ。鍛冶の火傷にも効くぞ」
ドワーフの女が誇らしげに腕を見せる。
「種族ごとに入浴法も違うんですね、勉強になります……」
感心しきりのミリアの腕を、結衣が引っ張った。
「ミリア、背中流してあげる!」
「え、ええっ、そんな……」
「遠慮しないの!」
結衣がごしごしとミリアの背中を洗う。
ミリアはくすぐったそうに笑い、湯気の中で頬を染めた。
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一方、男湯は岩の間から湯が滝のように流れ落ち、湯船の底には黒い石が沈んでいる。
湯気が立ちこめ、鼻腔をくすぐる鉱物の匂いが濃い。
「……湯に浸かるなんて、初めてだぞ」
ジークが恐る恐る湯に足を入れる。
「最初は熱いが、すぐ慣れるさ」
カインが肩まで浸かり、目を閉じる。
「体の芯まで温まる……これぞ温泉だな」
「……なんか、力が抜けてくる」
ジークが湯船の縁に頭を乗せ、目を細める。
「ここの温泉水で鍛えた刃は切れ味が違うんじゃ」
隣でドワーフの親父が自慢げに語る。
「ここで鍛えた武器は、どんな鎧も貫く。傷の治りも早いし、筋肉痛にも効く。まさに戦士の湯よ!」
「へぇ……」
ジークが感心したように頷く。
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女湯では、結衣が湯船の縁で足を滑らせていた。
「わっ、きゃっ――!」
ザブン! 桶がカランコロンと転がる。
「だ、大丈夫ですか!?」
ミリアが慌てて駆け寄る。
「いったー! だ、大丈夫、ちょっと滑っただけ……」
したたか腰を打ちつけた結衣の頭に桶が乗っているのを見て、女たちがどっと笑う。
「結衣さん、面白いです……」
ミリアもつられて笑い出す。
湯けむりの中、結衣とミリアは肩を並べて語り合った。
「ここに来て、初めて心から安心できた気がします」
ミリアがぽつりと呟く。
「うん。いろんな種族が一緒に暮らしてるのって、素敵だよね」
結衣が頷く。
「私、本当は怖かったんです。外の世界に出ること……でも、こうして皆さんと一緒にいて、勇気が湧いてきます」
「私もだよ。みんながいるから、頑張れる!」
エルフの女が微笑む。
「私たちも昔は争ってた。でも今は家族。温泉のおかげかもね」
「そうだそうだ!」
獣人の女が湯船で手を叩く。
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男湯でも、カインとジークが静かに語り合っていた。
「……なあ、ジーク」
「何だよ?」
「お前には、本当に感謝している」
ジークはポカンとしている。
「何だ突然。頭でも打ったのかよ」
カインは笑った。
そして一転、真面目な声に戻る。
「……これからの戦いはますます熾烈を極めるだろう。だが、背中を預けてきた者同士だから分かる」
カインはさらに続けた。
「力を合わせることで、お前とならきっと乗り越えられるだろう、そういう確信がある」
カインが言う。
「……へっ。らしくねぇな、王子サマ」
ジークが照れくさそうに笑う。
「だが、無理はするなよ。命あってこそだ」
「分かっているさ」
カインはひとつ、頷いた。
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温泉から上がると、火照った体に外気が心地よい。
「温泉といえば牛乳だよね!」
「おっ、お嬢ちゃんは分かってるな? ほれ、火山牛のミルクだ」
結衣が叫ぶと、ドワーフの長老が得意げに瓶を渡してくれる。
湯上がりの頬はほんのり赤く、笑い声がアジトに響いた。
「明日からまた頑張れそう!」
結衣が拳を握る。
「ここで出会った人たちのためにも、負けられませんね」
ミリアが微笑む。
「……悪くねぇな、こういうのも」
「ああ。この絆は、きっと世界を変える」
ジークがぽつりと呟き、カインが静かに応じる。
異世界の温泉は、心も体も、みんなを優しく包み込んでいた。