第68話 炎の領域、鱗王の恐怖
夕食後のアジト。
会議室には重い空気が漂っていた。
蝋燭の炎が揺れ、集まった面々の顔に影を落としている。
ガレスが古い地図を広げる。
羊皮紙の上に、魔王軍の領土が赤いインクで描かれていた。
「使者の返事を待つ間、我々も手をこまねいているわけにはいかない」
ガレスの声が重く響く。
「魔王軍の全容を把握するため、残る二将軍、鱗王と冥将軍の領地を調査したい」
カインが地図上のふたつの領域を指差した。
「地理的に近い鱗王領から調査を開始するのがいいと思うが、どうだろう」
ガレスも深刻な表情で頷いた。
「ドラゴニュートの軍事力は脅威だ。奴らは武力に優れる危険な存在だが、情報収集は不可欠だ」
そして、恐ろしい名前を口にした。
「鱗王グラドラス・ヴァルグレン……」
その名前だけで、部屋の温度が下がったような気がした。
ガレスが鱗王について語り始める。
その声は、恐怖に震えていた。
「人間の倍近い巨体。筋骨隆々で、おそろしく鍛え上げられた戦士の肉体」
結衣が息を呑む。
「鱗の色は深紅と黒の混合。戦歴を示す傷跡が、美しい模様を描いているという」
ジークが拳を握りしめた。
「黄金色の瞳は、獲物を見定める猛禽類のような鋭さ。背中には古代竜の紋章を象った巨大な模様」
ミリアが震え上がる。
「右腕には『千殺しの証』として、無数の刻み目が刻まれている」
カインの表情も真剣だ。
「そして何より恐ろしいのは、その戦闘力だ。人間の10倍以上の筋力を持ち、素手で城壁を破壊できる」
会議室に重い沈黙が落ちる。
「巨体に似合わぬ電光石火の動き。並の武器では傷ひとつつけられない」
ガレスの声が途切れる。
「魔王軍最強クラスの化け物だ」
マーレーンが立ち上がった。
エルフの薬師の顔は、悲しみに歪んでいる。
「私の村も、鱗王の軍隊に襲われました」
彼女の声は静かに震えていた。
「オークとトロールが村を蹂躙していきました。容赦など、一切ありませんでした」
マーレーンの瞳に、恐怖の記憶が蘇る。
「祖母ソーニャは村一番の薬師で、古い知識を継承し、誰からも尊敬されていました」
彼女の声が途切れる。
「祖母は私に貴重な薬草の種を託し、西の谷へ逃がしてくれました」
涙が頬を伝う。
「そして自らは杖を持って、オークに立ち向かっていきました」
会議室の全員が息を止める。
「オークとトロールたちは殺戮を楽しんでいました。まるで狩りのように」
結衣が拳を握りしめた。
ベリンダが立ち上がる。
獣人の女戦士の目には、怒りの炎が宿っていた。
「鱗王はアタシたち獣人を『劣等種族』と呼んだ」
ベリンダの声には、激しい怒りが込められている。
「ヤツらは獣人に、奴隷兵になることを強要してきた。そして子供や若い者を何人も攫っていきやがった」
彼女の拳が震える。
「だが、獣人は誰にも従わない。誇り高き種族だ」
ベリンダの瞳が燃えている。
「アタシたちは故郷を捨てても、プライドは捨てない」
その言葉には、確かな決意があった。
「アタシたちの力で、きっと奴らを倒してみせる。そして攫われた子供たちもきっと取り戻す」
ジノカリアが重い口を開いた。
ドワーフの戦士長の顔は、暗い悲しみに沈んでいる。
「ワシの鉱山も襲われた。鍛治職人として強制連行された時、逆らった兄弟たちはワシの目の前で殺された」
彼の声が震える。
「奴らはワシらを『武器製造のための道具』としか見ておらん」
ジノカリアの手が拳になる。
「切れ味の悪い武器を作った者は、その武器で殺された。ワシらの目の前で」
会議室に重苦しい空気が流れる。
「人間の扱いはもっとひどい。ワシらの作った武器の試し切りの道具として使われる」
カインとジークが怒りに震えた。
ミリアも顔を青くしている。
「多くの同胞を犠牲にしながら、何とか脱出してきた」
ジノカリアの瞳が、怒りに打ち震える。
ガレスが地図を指差す。
火山地帯の険しい地形が描かれていた。
「鱗王領は年中高温で、硫黄の匂いが立ち込める。中央の『鱗の玉座』を中心とした階層都市だ」
結衣が不安そうに呟く。
「大丈夫かな……」
ガレスが説明を続ける。
「溶岩流による天然の防壁、有毒ガスの噴出地帯もある」
ジークが眉をひそめた。
「厄介な場所だな」
「そうだ。そして何より、ドラゴニュートの圧倒的な戦闘力が脅威だ」
ガレスは説明を締めくくり、四人に向き直る。
「君たちにはまた、命がけの任務を頼むことになるだろう。今回もできる限りの援助をさせてもらう」
そして続けた。
「ここから鱗王の領土との間に、抵抗勢力の別のアジトがある。そこに手紙を書こう。きっと、君たちを助けてくれる筈だ」
四人は頷いた。
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その夜、出発の準備が始まった。
耐熱装備、偽装用の奴隷の服、食料と水。
長期潜入に必要な物資を揃えていく。
ミリアは、ヴァンパイア技術の情報をスケッチしていた。
血液管理システムの図解、実験装置の構造メモ。
一枚一枚、丁寧に描かれた図面が並ぶ。
ペンを握る手が、わずかに震える。
あの恐ろしい記憶を、再び紙に刻み込んでいく。
「これらの情報が、いつか役に立つかもしれません」
ミリアがガレスに資料を託す。
手書きのスケッチには、彼女の想いが込められていた。
ガレスはそれらを大切そうに受け取った。
「君たちが命がけで手に入れてくれた情報だ。必ず活用させてもらう」
ミリアの表情に安堵が浮かんだ。
ひとつ、自分の役目を果たし終えた気分だった。
マーレーンが薬草の袋を持ってきた。
「火山地帯に赴く皆さんのために」
彼女がひとつひとつ説明する。
「火傷に効く蒼月草、解毒効果の高い銀葉草、疲労回復に優れる陽光花。エルフの間に伝わる、もっとも貴重な薬草を用意しました」
ミリアが感謝を込めて受け取る。
「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」
ジノカリアも最後のアドバイスをする。
「奴らの武器庫の場所を教えておく。我らの作った武器が眠っている。必ず役に立つはずだ」
彼が描いた簡単な地図を、カインに手渡す。
「ありがとう。必ず活用させてもらう」
ガレスが手紙を差し出した。
「抵抗勢力のアジトに着いたら、カーライルという獣人の男に渡してくれ。ベリンダの兄で、アジトのリーダーだ」
「兄貴に伝えてくれ。妹は元気にしてるってな」
ベリンダも笑った。
やがて夜が明け、出発の時が来た。
アジトの住人たちが四人を見送る。
「お姉ちゃん、気をつけて!」
子供たちが結衣に手を振る。
結衣も笑顔で手を振り返した。
そして明るく、力強く宣言する。
「みんな! 力を合わせて、頑張ろうね!」
その言葉にジーク、ミリア、カインも大きく頷く。
そして四人はアジトを後にした。
遠くに見える火山の赤い光に向かって。