第63話 アジトへの凱旋
ブラッドヘイブンを脱出した四人は、険しい山道を歩いていた。
足元の岩がゴロゴロと転がる。
行きよりも疲労が溜まっている。
「うー、足が痛いよー」
結衣が情けない声を上げた。
ジークが呆れたように振り返る。
「行きも同じこと言ってただろ」
「でも今度は本当に痛いんだもん!」
結衣は頬を膨らませた。
蒼が結衣の周りを飛び回る。
(結衣、頑張って! もうすぐ洞窟だよ!)
(そうだ、あの洞窟があるんだった!)
行きに使った洞窟が見えてきた。
カインが安堵の表情を浮かべる。
「あそこで休む。今夜はそこで過ごそう」
全員が頷いた。
特にミリアは疲れ切っていた。
城での体験が、心身に重くのしかかっている。
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洞窟の中は暖かかった。
ジークが手慣れた様子で火を起こす。
パチパチと薪が燃える音が響く。
「はー、生き返るー」
結衣が火に手をかざした。
温かい光が四人の顔を照らす。
ミリアは火を見つめていた。
その表情は重い。
カインが心配そうに声をかける。
「ミリア、大丈夫か? 無理はしないでほしい」
「はい。でも、私があの城で見てきたことを、皆さんにお伝えしなければ」
ミリアの声は震えていた。
三人が身を乗り出す。
「あの場所で、私は信じられないものを見たんです。想像を絶する光景でした……」
ミリアは静かに語り始めた。
血紅公の城で目撃した光景を。
飾られた絵画や彫刻の数々。
荘厳なパイプオルガンの音色。
美と芸術への深い造詣。
その裏では、人間たちをモルモットのように扱う実験室。
効率的に血液を採取する装置。
質の良い血液を確保するための徹底した管理。
「信じられない……」
カインが呟く。
「そんな……人体実験なんて」
結衣は手で口を押さえた。
想像するだけで気分が悪くなる。
ジークも顔を青くしていた。
ミリアは続ける。
「ヴァンパイアの技術は、私たちが知っているものを遥かに超えていました。人間たちを血液の等級で分け、血液の品質を数値で管理し、効率的な採血システムを構築していると言ってました」
カインの表情が険しくなる。
「それは……つまり?」
「彼らを単なる野蛮な支配者と侮るのは危険です。あの人たちは私たちと同じ……いえ、もしかしたらそれ以上に高度な文化と知識と技術を持った、恐ろしい相手なんです」
洞窟に重い沈黙が落ちた。
焚き火の音だけが響いている。
「……つまり」
ジークが口を開いた。
「オレたちは、思ってたより遥かにヤバい奴らを相手にしているのかもな」
カインも頷く。
「ああ。そして血紅公だけじゃなく魔王軍全体が、俺たちの想像を超える力を持っている可能性がある」
結衣は震えていた。
あまりの恐ろしさに言葉が出ない。
「でも、ひとつ不思議なことがあります」
ミリアが続ける。
「私たちが脱出できたのは、城内が突然、混乱状態になったからです」
三人が注目する。
「混乱?」
「はい。理由は分かりませんが、血紅公が突然いなくなったみたいで……ヴァンパイアの貴族たちが争い始めて、兵士たちも右往左往していて」
カインが眉をひそめる。
「それは、血紅公に何かあったということか?」
「詳しいことは何も……でも、あの混乱がなければ、私たちは脱出できませんでした」
ジークが腕を組む。
「確かにあの時、オレたちも城内の混乱に紛れて乗り込んだ。内部分裂か、それとも外部からの攻撃か……」
結衣はふと、あの無気力な青年のことを思い出した。
(そういえば、レイは……)
結衣は心の中で思う。
彼は血紅公を知っていると言っていた。
あの混乱は、レイによるものだという確信が、結衣にはある。
だが、ここで皆に、特にジークに、レイのことを話すべきかどうか、結衣は迷った。
彼の「……僕たち、繋がってるよね」という言葉。
いつも予想もしない形で、自分の前に現れるレイ。
彼のことを、うまく説明できそうにない。
レイとは繋がっている。
レイとの出会いは特別。
そんな感覚が、結衣を戸惑わせる。
(レイ、今どこにいるんだろう……)
その考えを口にすることは、結局できなかった。
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夜が更けていく。
四人は交代で見張りをすることにした。
最初はカインが担当する。
「皆、少し休んでくれ。明日は早朝に出発しよう」
ミリアとジークは疲れ切って眠りについた。
結衣も寝袋に潜り込む。
だが、眠れなかった。
ミリアの話が頭から離れない。
そして、レイのことも。
(蒼、起きてる?)
(うん、どうしたの?)
(レイのこと、皆に話した方がいいかな)
(…………)
蒼は、レイのこととなると口をつぐんだ。
(もう少し様子を見てみよう……)
結衣は目を閉じた。
明日はアジトに戻る。
そこで、ヴァンパイアたちの恐ろしい真実を報告しなければならない。
焚き火の光が、洞窟の壁に踊っている。
長い夜が、ゆっくりと過ぎていった。
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翌朝、四人は早々に洞窟を出発した。
山道はまだ険しいが、昨日より少しは楽になった。
「あー、やっと帰れるー!」
結衣が伸びをする。
だが、皆の心境は複雑だった。
帰ったら、今までの状況の全てが変わるかもしれない。
ミリアが持ち帰った情報は、それほどまでに重大なものだったのだ。
「急ごう」
カインが先頭を歩く。
その背中には、重い責任がのしかかっていた。
四人は足早に山を下る。
抵抗勢力のアジトが、遠くに見えてきた。