第62話 再会の抱擁
城内は完全な混乱状態だった。
強力な血紅公、その存在の消失により、ヴァンパイア貴族たちが主導権を巡って争い始めていた。
「私の指示に従え!」
「馬鹿な! お前ごときに何ができるというのだ!」
怒号と剣戟の音が響く。
リザードマン兵士たちは指揮系統を失い、ただ右往左往していた。
「おい、人間どもを見張らなくて良いのか?」
「そんなことより血紅公様の安否確認が先だ! 人間など、後でまた回収すれば良い!」
その様子を見たミリアは、今がその時だと確信した。
「行きましょう!」
ミリアは解放された人々に向かって叫んだ。
その声は、これまでになく力強く響く。
彼女の周りには、血紅公に囚われた様々な種族の人々が集まっている。
人間、エルフ、ドワーフ、獣人。
みな、長きにわたる監禁と人体実験で衰弱していた。
だが今は、希望の光がその瞳に宿っている。
「私についてきてください! 必ず外に出られます!」
ミリアは先頭に立った。
ヴァルターに案内された道を思い出す。
震えながら歩いたあの時の記憶が、いま彼女を助ける。
「こちらです! この廊下を通って!」
一行は廊下を進む。
足音が石床に響く。
弱った人々を、元気な者が支えていた。
ミリアは振り返る。
誰も置き去りにしない。
全員で脱出するのだ。
「大丈夫ですか? もう少しです!」
衰弱しきったエルフの若者が倒れそうになる。
ミリアは駆け寄り、肩を支えた。
「ありがとう……」
若者の声は震えていた。
ミリアは微笑む。
「もうすぐ自由になれます、頑張って!」
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同じ頃、結衣とジークは城の外壁を見上げていた。
城内から聞こえる騒音。
火の手が上がっているのも見える。
「何が起こってるんだろう?」
「分からないが、チャンスだ。今なら入れる」
結衣が決断する。
「ミリアを探しに行こう!」
ジークも頷いた。
ふたりは警備が手薄になった箇所から侵入する。
「ミリア! どこにいるの!」
結衣の声が廊下に響く。
だが、返事はない。
「もしかしたら、どこかですれ違ったのかも……」
「そうだな、一度戻るか」
ジークの提案で、ふたりは来た道を引き返した。
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ミリアたちは城の外壁に到達していた。
正門に兵士の姿がない。
皆、城内の混乱に巻き込まれているのだろう。
「出口です!」
ミリアが指差す。
重い扉が開かれる。
外の空気が流れ込んできた。
冷たく、清らかな夜の空気。
それは自由の匂いがした。
「信じられない……」
ひとりの女性が呟く。
「本当に……出られるの?」
涙が頬を伝う。
他の人々も同様だった。
長い間の恐怖と絶望から、ついに解放されたのだ。
「自由です!」
ミリアは繰り返し、力強く声を張り上げた。
「皆さんは、自由です!」
歓声が上がる。
人々は抱き合い、泣き、そして笑う。
その時、声が聞こえた。
聞き慣れた声。
そして、ずっと聴きたかったあの人の声――
「……ミリア!」
ミリアの心臓が跳ね上がる。
「カインさん!」
人込みを掻き分け、ミリアは走った。
そこにカインがいた。
汗と埃にまみれ、疲れ切った顔。
だが、その瞳には喜びの光が宿っている。
「ミリア!」
カインの声が震える。
ふたりは走り寄る。
そして、固く抱き合った。
「……もう二度と、君を離さない」
カインの腕が、ミリアを強く抱きしめる。
その温もりに、ミリアは涙を流した。
「私も……ずっと信じていました」
ミリアの声も震える。
「必ず、助けに来てくれるって……」
ふたりは長い間、抱き合っていた。
互いの存在を、体温を確かめ合うように。
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やがて、城内から結衣とジークも駆けつけた。
「良かった! みんな無事だった!」
結衣が涙を流す。
ジークも安堵の表情を浮かべていた。
「良かった……本当に良かった……」
四人は互いに抱き合った。
再びひとつになった仲間たち。
その絆は以前よりももっと、さらに強くなっていた。
「心配したよ! ミリア!」
結衣が涙声で言う。
「私も嬉しいです! 皆さんとまた会えて」
ミリアも泣き笑いの表情で応えた。
感動の再会の中で、結衣はふと空を見上げた。
城内でレイの姿を探したが、彼の姿はどこにもなかった。
だが、結衣には確信がある。
彼はやってくれたのだ。
「レイ……本当にありがとう」
小さく呟く。
約束を果たしてくれた。
ミリアを救ってくれた。
(…………)
蒼は結衣の肩に止まっている。
何も語らないが、その表情は複雑だった。
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解放された人々が、ミリアの前に集まってきた。
「お嬢さん、ありがとうございました」
エルフの若者が深く頭を下げる。
「あなたのおかげで助かりました」
人間の女性も涙を流している。
「我らは一生、あなたのことを忘れない」
ドワーフの男性が力強く言った。
ミリアは謙遜する。
「私ひとりでは何もできませんでした。皆さんが勇気を出してくれたからです」
だが、人々の感謝の気持ちは変わらない。
乙女の勇気を、皆が感じていた。
そして、人々はそれぞれの故郷に向かって歩き始めた。
長い道のりになるだろう。
だが、もう恐れることはない。
彼らは自由なのだから。
「気をつけて」
ミリアが見送る。
「あなたも、お元気で」
最後のひとりが去っていく。
あたりに静寂が戻った。
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四人は城を振り返った。
まだ混乱が続いているようだ。
どこからか火の手が上がり、煙が立ち昇っている。
「急いで脱出しよう」
カインが判断する。
「ここは危険だ」
ジークも同意した。
「抵抗勢力の拠点に戻って、皆さんに報告しましょう」
ミリアが提案する。
「そうだね。ガレスさんたちもきっと心配してるよ」
結衣も頷いた。
四人は山岳に向かって歩き始めた。
長い夜が終わろうとしている。
東の空が、わずかに白み始めていた。
歩きながら、ミリアはカインの手を握った。
カインが握り返す。
温かい手。
もう離すまいと思った。
四人の影が、朝日に向かって伸びていく。
それは希望。
そして新しい夜明けの到来だった。