第6話 ……もしかして、見られちゃった?
結衣とジークがたどり着いた安宿は、分かりやすくボロかった。
今にも落ちそうな傾いた看板に、結衣は顔を引きつらせる。
「うわぁ……ここに泊まるの? マジ?」
「あ? 文句あんのか?」
素っ気なく言い、ジークは扉を押し開けた。
「いや、別に……」
中は予想通りの惨状。
床はきしみ、壁はシミで汚れている。
埃っぽい空気が鼻をくすぐった。
「はあぁー、疲れたー。早くお風呂に入りたいよー」
長い溜め息と共に結衣が呟くと、ジークは世間知らずを馬鹿にするような目で結衣に言った。
「風呂? んな贅沢なモンはねぇよ」
「え? お風呂ないの?」
結衣の声が裏返る。
蒼が結衣の耳元でコソッと解説する。
(この世界では、お風呂はお金持ちしか入れない贅沢なんだよ! 上下水道が整備されてないから、水が超貴重なんだ!)
(何それ! あり得ない!)
結衣は両手で頭を抱えた。
「こんな世界、もー嫌! 早く元の世界に帰して!」
ジークは呆れ顔で結衣を見下ろす。
「お前、何をそんなに騒いでんだ? 汚れを落としたいなら水拭き場に行けよ」
「水拭き場?」
「ああ、井戸から汲んだ水が入った盤がある。そこで体を拭くんだ。ボロ布もそこにある」
結衣がジークを絶望の目で見つめる。
「ボロ布って……タオルじゃなくて?」
「贅沢言うな。それでも貴重な水だぞ」
ホコリまみれの服を見下ろす。
結衣の我慢が限界を迎えた。
「もう無理! 水拭きでもいいから、さっぱりする!」
バタバタと部屋を飛び出し、水拭き場へと結衣は走った。
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ジークの言う水拭き場は、本当にショボかった。
石造りの小部屋に、水が入った木製の盤が置かれているだけ。
壁には使い古しのボロ布が、何枚か掛けられている。
「うわぁ……これが異世界の現実か」
ため息をつきながら盤をのぞきこむと、水は少し濁り、垢らしきものが浮いている。
誰かがすでに使った後なのだろうか。
でも贅沢は言ってられない。
(蒼、外で見張っててね)
(了解! 誰も来ないように見張るよ!)
蒼は小さく敬礼し、外へ飛んでいった。
結衣は服を脱ぎ、ボロ布を水に浸して絞る。
冷たい水が白い肌に触れ、思わず身震いした。
「冷たっ!」
それでも、埃と汗を落とせるだけありがたい。
汚れた体を拭き、髪も少しだけゆすいだ。
少しは生き返った心地だ。
「よし! これでさっぱりした!」
服を着ようと立ち上がった瞬間、ドアがガチャリと開いた。
「おい、もういいだろ……」
ジークが顔を出す。
「…………」
見つめ合ったまま時間が止まる。
裸のまま固まった結衣。
目を見開いて立ち尽くすジーク。
「キャアアアア!!」
結衣の悲鳴が部屋中に響き渡った。
咄嗟にボロ布を投げつける。
「うわっ! なんでまだ服着てねぇんだよ!」
ジークは慌てて目を背けながら後ずさりし、足を滑らせた。
バランスを崩して盤にぶつかり、中の水が一気にひっくり返る。
バシャーン!
水が床一面に広がり、ジークは尻もちをついた。
「だ、だから見てねぇって!」
顔を真っ赤にしたジークが転がるように部屋から出ていく。
しばらく呆然としていた結衣は、やがてクスクス笑い始めた。
「ジークってもしかして純情!? 意外……」
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結衣が部屋に戻ると、ジークがいた。
体育座りで窓の外を見つめている。
結衣の方を見ようとしない。
「ねえ、ジーク」
結衣が声をかけると、ジークは肩をピクリと震わせた。
「……本当に見てねぇからな!」
結衣は思わず笑みを浮かべた。
「ふーん? そんなに怒らなくても。もしかして照れてるの?」
「うるせぇ! 照れてねぇ!」
ジークはムキになって立ち上がった。
その拍子に勢いよく椅子に足をぶつける。
「痛っ!」
笑いを堪えながら、結衣はふと気づいた。
「あのさ、水、全部こぼしたよね? どうするの?」
ジークは動きを止め、肩を落とした。
「……オレが悪いのかよ」
しぶしぶといった様子で、彼は立ち上がった。
「水、汲んでくる……」
ジークは不機嫌そうに部屋を出ていく。
その時、ずっと姿をくらましていた蒼がどこからか飛んできて、結衣の肩に止まった。
(見張りサボってごめんね! でも笑えたでしょ?)
(わざとだったの!? この性悪鳥!!)
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夜、結衣がスースー寝息を立てている頃、ジークは布団の中で寝返りを打っていた。
(見てねぇ、見てねぇ……)
自分に言い聞かせるように繰り返す。
一瞬だがガッツリ見てしまった結衣の裸が、どうにも頭から離れない。
(でも白くて、柔らかそうで、あと意外とデカかったような……ってくそっ!)
ジークは布団を蹴飛ばした。
「寝れねぇよ!!」
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翌朝、結衣が起きると、ジークはすでに支度を済ませていた。
目の下には濃いクマができている。
「おはようジーク。目が赤いよ? ちゃんと寝た?」
結衣の無邪気な声に、ジークは顔を背けた。
「うるせぇ! いいから早く支度しろ」
結衣はニヤリと笑い、ジークの背中を見つめた。
(なんだかんだ言っても、まだお子様じゃないの)
ジークがギロリと睨む。
「……お前、なんか変なこと考えてねぇか?」
「べっつにー?」
そんなふたりの様子を見て、クスクス笑いながら蒼は空中でクルクル回った。
(二人とも面白いね! これからが楽しみだなぁ)
(アンタのせいでしょうが、このバカ鳥!)
(でも君たち、ちょっとイイ感じになってきたでしょ?)
(余計なお世話よ!!)
蒼の声にツッコミつつも、結衣は小さく笑いをかみ殺した。