表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/98

第57話 赤の大聖堂への招待

 ミリアは頭の痛みで目を覚ました。

 揺れる馬車の中、硬い座席に体を預けている。


 記憶が戻ってきた。

 市場での選別官、カインの必死の抵抗、そして自分が連れ去られたこと。


「カインさん……」


 小さく呟いた瞬間、向かいに座る選別官の視線に気づく。

 青白い肌の男は、ミリアをじっと観察していた。


「目覚めたか、人間」


 選別官の声は氷のように冷たい。


「プライム級の血液……実に200年ぶりだ」


 彼は独り言のように続ける。


血紅公(けっこうこう)様がどれほどお喜びになるか」


「……!」


 ミリアは無言で身震いした。


 窓の外を見ると、風景が変わっていることに気づく。

 灰色の貧しい建物から、少しずつ装飾の施された家々へ。

 そして今、目の前には赤い光に彩られた豪華な建造物が立ち並んでいる。


(落ち着いて。今は冷静に状況を把握しないと)


 ミリアは自分に言い聞かせた。

 恐怖に支配されては何もできない。

 カインたちが必ず助けに来てくれる。

 それまで生き延びなければ。


---


 馬車が止まった。

 目の前に聳える門は、想像を絶する威容だった。

 黒い石で組まれた巨大な門。

 その表面には赤い水晶が無数に埋め込まれ、血のような光を放っている。


 門の中央には大きな紋章が刻まれていた。

 棘に覆われた薔薇。

 その周りには血の滴のような模様が踊っている。


「血紅公様の紋章だ」


 選別官が説明する。


 リザードマンの兵士たちが馬車に敬礼した。

 その数は十人を超える。

 全員が重装備で、槍と盾を構えている。


「降りなさい」


 選別官に促され、ミリアは馬車から降りた。

 足が震える。

 目の前に広がる光景に、息を呑んだ。


 内城はひとつの都市だった。

 高く聳える黒い石造りの建物群。

 壁面には赤い水晶が規則的に埋め込まれ、まるで血管のような模様を描いている。

 中央には巨大な城が立ち、その尖塔は雲に届きそうなほど高い。


「さあ、血紅公様がお待ちです」


---


 選別官に連れられ、ミリアは巨大な建物に向かった。

 「赤の大聖堂」と呼ばれるその建物は、かつて人間が建てたものだという。

 だが今は、血紅公の権力の象徴として改造されていた。


 重い扉が開かれる。

 ミリアは思わず立ち止まった。


 内部は圧倒的だった。

 天井は遥か高く、赤い大理石の柱が林立している。

 床も同じ赤い大理石で、磨き上げられて鏡のように光っている。

 ステンドグラスは血のような赤で染められ、不気味な光を室内に投げかけていた。


 天井に描かれたフレスコ画は、血紅公の『偉業』を讃えるものだった。

 戦場で敵を打ち破る場面、人間が跪く場面、そして血を捧げる儀式の場面。

 壁の彫刻には、人間を嘲笑うような小鬼の顔が無数に刻まれている。


 中央には赤い絨毯が敷かれ、その先には黒い大理石の玉座があった。

 周囲には十数人の人影が立っている。

 ヴァンパイアの貴族たちだ。

 全員がミリアを冷たい視線で見つめていた。


「進みなさい」


 選別官に押され、ミリアは絨毯の上を歩く。

 足音が大聖堂に響く。

 自分の心臓の音が、やけに大きく聞こえた。


 突然、オルガンの音が響いた。

 荘厳で重厚な音色が大聖堂を満たす。

 貴族たちが一斉に頭を垂れた。


 大扉が再び開かれる。

 そこから現れた人物に、ミリアは息を呑んだ。


『血紅公』ヴァルター・ノクティス・ブラッドローズ。


 190センチを超える長身。

 漆黒の長髪が、背中まで流れている。

 30代半ばに見える端正な顔立ちだが、その実年齢は数百歳を数える。

 赤褐色の瞳は鋭く、青白い肌は大理石のように美しい。


 赤と黒を基調とした衣装は、最高級の絹で仕立てられている。

 胸元には「棘のある薔薇」の紋章が金糸で刺繍されていた。


 彼が歩くたびに、周囲の空気が変わる。

 圧倒的な存在感。

 まるで空間そのものが彼に従っているかのようだ。


 ヴァルターは玉座に向かって歩く。

 その一挙手一投足が優雅で、まるで舞踏を見ているかのようだった。

 側近たちが後に続く。


 玉座に着いたヴァルターは、ゆっくりとミリアを見下ろした。


「血紅公様」


 選別官が深く頭を下げる。


「プライム級の血液を持つ人間をお連れいたしました」


 ヴァルターの視線がミリアに注がれる。

 その瞬間、ミリアは全身が凍りつくような感覚を覚えた。

 赤褐色の瞳が、まるで魂の奥まで見透かすようだった。


(落ち着いて。相手に呑まれないよう、冷静に……)


 ミリアは自分に言い聞かせる。

 だが、その足は震え続けていた。


 ヴァルターがゆっくりと立ち上がった。

 玉座から降り、ミリアに近づいてくる。

 その足音は大聖堂に静かに響いた。


 ミリアの前で立ち止まったヴァルター。

 彼はミリアの顔をじっと見つめた。

 そして、突然首筋に顔を近づける。


 鼻を鳴らし、深く香りを吸い込む。

 ミリアは身動きできなかった。

 恐怖で体が硬直している。


「ふむ……」


 ヴァルターが小さく呟いた。

 そして、ゆっくりと顔を離す。


「確かに稀少だ」


 彼の声は低く、威厳に満ちていた。


「このクオリティの血液は、実に200年ぶりだな」


 選別官の顔に安堵と喜びの色が浮かぶ。

 貴族たちもざわめき始めた。


 だが、ヴァルターの次の言葉は予想外だった。


「彼女は私の客人として扱え」


 大聖堂に静寂が戻る。

 選別官が目を見開いた。


「客人、でございますか?」


「最上級の部屋を用意せよ。丁重に扱うのだ」


 貴族たちの間に驚きの声が上がる。

 選別官は狼狽していた。


「しかし血紅公様、プライム級の血液でございます。質が落ちぬうちに、すぐにでも……」


 ヴァルターの冷ややかな視線が選別官に向けられる。

 その瞬間、選別官は口を閉じた。


「特別な血は、特別に扱わねばならない」


 ヴァルターの声には有無を言わせぬ威厳があった。


「恐怖は血の味を落とす。そして何より、私は野蛮な行為を好まない。分かったか?」


「は、はい……」


 選別官は震え声で答えた。


 ミリアは当惑していた。

 安堵と不安が入り混じる。

 客人として扱われるということは、すぐには殺されないということ。

 だが、この先の運命はまるで見えなかった。


---


 大聖堂を出て、ミリアは客室へと案内された。

 回廊には美術品が並び、壁には豪華な装飾が施されている。

 絵画、彫刻、タペストリー。

 どれも最高級の品ばかりだ。


 案内された部屋は、想像を超える豪華さだった。

 四柱式の大きなベッド。

 高級な木材で作られた調度品。

 壁には名画が掛けられ、床には柔らかな絨毯が敷かれている。


 大きな窓からは城下町が見渡せた。

 だが、窓には赤い水晶がはめ込まれており、簡単には開かない仕組みになっている。


「お食事をお持ちいたします」


 侍女の一人が言った。

 彼女たちは丁重だが、どこか冷たい態度だった。

 会話を禁じられているようで、必要最低限のことしか話さない。


 侍女たちが去った後、ミリアは扉を確認した。

 外には衛兵が立っている。

 実質的な軟禁状態だった。


 ミリアは窓辺に立ち、外を見つめた。

 遠くに見える外郭地区の方向。

 あそこのどこかに、カインたちがいる。


「必ず助けに来てくれる……」


 ミリアは小さく呟いた。

 それまで、何としても生き延びなければならない。


 この城で起きていることを観察し、情報を持ち帰る。

 それが今の自分にできることだった。


 夕日が城を赤く染めていく。

 ミリアの戦いが始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ