第46話 逃げるが勝ち! 危険な旅の始まり
ヴァルディアの北門を出発した四人は、荒野を歩いていた。
朝日が背中を照らし、長い影が前方に伸びる。
カインが足を止め、振り返った。
「ここからは本格的な魔王軍の支配地域だ。皆に確認しておきたいことがある」
三人が顔を上げる。
「これからは危険なモンスターが増える。だが、極力戦闘は避けるべきだ。今回の目的は偵察であって、戦闘ではない」
カインの表情は真剣だった。
「回避行動を徹底しよう。無駄な戦いは体力を奪うだけだ」
「了解だ」
ジークが頷いた。
結衣が訊ねる。
「でも、逃げられないときは?」
「その時は全力で戦う。だが、まずは逃げることを考えろ」
カインの言葉に、全員が頷いた。
再び歩き始めた一行。
荒野は次第に低い草木の生える平原へと変わっていく。
風が草を揺らし、波のような模様を描いていた。
ジークが突然、立ち止まった。
鼻を鳴らし、周囲の匂いを嗅ぐ。
「……待て」
低い声で言う。
カインも足を止めた。
「どうした?」
「この辺りにホブゴブリンの巣がある。匂いでわかる」
ジークは目を細めて遠くを見た。
「あそこだ。丘の向こう側に十体以上いる」
「よく気づいたな」
カインが感心する。
「迂回しよう。東に大きく回り込むぞ」
四人は予定のルートを変更し、東へと進路を取った。
丘を大きく迂回し、ホブゴブリンの群れとの遭遇を避ける。
「ホブゴブリンって強いの?」
結衣が小声で尋ねる。
「一体ならそこまで大したことはないが、群れは危険だ。ゴブリンよりもはるかに知能が高い」
ジークが答える。
「ふーん……」
結衣は遠くの丘を見つめた。
見えないだけで、そこには危険な生物がいる。
そう思うと、背筋が少し寒くなった。
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初日の旅は順調だった。
皆の足取りは軽く、会話も弾む。
カインが地図を確認しながら進路を指示し、ジークが周囲の危険を察知する。
ミリアは道端の薬草を見つけては採取し、結衣は蒼と冗談を言い合いながら歩く。
夕方になり、一行は小さな森の縁に野営地を設けた。
ジークが簡素なテントを張り、カインが周囲に見張りの仕掛けを施す。
ミリアは採取した薬草で煎じ薬を作り、結衣は持参した食料を分け合った。
「いやー、疲れた!」
結衣は草の上に寝転がる。
空には星が瞬き始めていた。
「明日からが本番だぞ。今日は序の口だ」
ジークが言う。
「えー、もうクタクタだよ……」
「結衣さん、足は大丈夫ですか?」
ミリアが心配そうに尋ねる。
「うん、まだ平気! スニーカーだし、歩きやすいよ」
結衣は足を伸ばして見せた。
カインが火を起こし、皆はその周りに集まった。
「この先に廃村があるはずだ。そこまで行けばゆっくり休めるだろう」
カインの言葉に、皆は安心した表情を見せた。
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二日目も順調に進んだ。
だが、三日目になると状況が変わり始めた。
朝から小雨が降り、地面はぬかるみ、歩くのが難しくなる。
結衣の足取りが特に重くなっていた。
「大丈夫か?」
ジークが後ろから声をかける。
「う、うん……ちょっと足が痛いだけ」
結衣は笑顔を作ったが、その表情には疲労が滲んでいた。
スニーカーは泥だらけで、足首も少し腫れている。
「無理するな。休憩しよう」
カインが提案した。
一行は岩陰で小休止を取る。
ミリアが結衣の足を診察した。
「擦れて炎症を起こしています。薬を塗りましょう」
ミリアは結衣の足に軟膏を塗り、包帯を巻いた。
「ありがとう、ミリア……」
結衣は申し訳なさそうに言った。
「皆を遅らせちゃって、ごめんね」
「気にするな。無理して怪我を悪化させるより、ゆっくり確実に進む方がいい」
カインが優しく言う。
ジークも頷いた。
「今日は早めに宿営地を探そう」
しかし、その必要はなかった。
丘を越えると、一行はそこに廃村を見つけた。
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かつて人々の暮らしがあったであろう村は、今は焼け焦げた廃墟と化していた。
黒く焦げた家々の骨組みだけが残り、風が吹くたびに軋む音を立てる。
畑は荒れ果て、井戸は半ば崩れていた。
「ここが……」
ミリアが言葉を詰まらせる。
「魔王軍に襲われた村だな」
ジークが低い声で言った。
四人の表情は沈痛だった。
「こんな光景、見たくなかったです……」
ミリアが小さく呟く。
カインは周囲を見回した。
「ここで一夜を明かす」
カインの決断に、皆が黙って頷く。
四人は村を調査し始めた。
ジークとカインは家々を巡り、使えるものを探す。
ミリアは井戸の水を確かめ、結衣は残された食料を集めた。
「水はかろうじて飲めそうですよ」
ミリアが報告する。
「こっちには乾いた穀物と、少しだけ果物があったよ」
結衣が小さな袋を持ってきた。
中身は少なく、果物は腐りかけていた。
「まあ、今夜はしのげるな」
ジークが言う。
彼は倒れた家の影で火を起こし始めた。
カインは周囲に見張りを設置する。
結衣はスニーカーの紐を結び直しながら、疲れた足をさすった。
「こんなところで寝るなんて……」
結衣はため息をついた。
「贅沢は言ってられねぇだろ」
ジークが火を見つめながら言う。
ミリアは薬草袋から乾燥した薬草を取り出し、簡単な煎じ薬を作った。
「これを飲むと、少しは疲れが取れますよ」
温かい薬草茶が配られ、皆はそれを静かに飲んだ。
夜が更け、星が輝く空の下、四人は焚き火を囲んで座っていた。
「この村の人たちは、どうなったんだろう……」
結衣が小さな声で尋ねる。
「運が良ければ、逃げ出せたかもしれない」
カインが答える。
だが、その声には確信がなかった。
「オレたちは、こんな光景をもう見たくねぇ」
ジークが拳を握りしめた。
「だから、魔王を倒すんだ」
その言葉に、皆が静かに頷く。
焚き火の炎が揺れ、四人の影を壁に映し出していた。
明日もまた、長い旅が続く。
だが今は、この静かな夜の中で、彼らは明日への力を蓄えていた。
旅はまだ始まったばかり。
ブラッドヘイブンまでの道のりは、まだまだ遠かった。