第41話 不穏な街と複雑な感情
ヴァルディアの朝は、どこか重苦しい空気に包まれていた。
市場の人通りは相変わらず多いが、誰もが落ち着かない表情をしている。
兵士たちの足音が石畳に響くたび、市民がびくりと肩をすくめる。
「魔王軍の斥候が、また城壁のすぐ近くまで来たらしいぞ」
「このままじゃ、本当に戦争になるんじゃないか……」
そんな噂話が、あちこちで囁かれていた。
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カイン、ジーク、ミリア、そして結衣の四人は、朝から情報収集に奔走していた。
カインは軍の知り合いを訪ね、ジークは市場や酒場で耳をそばだてる。
ミリアは薬草店や病院を回り、結衣は掲示板を見たり、人混みに紛れて情報を集めようとした。
だが、収穫はほとんどなかった。
「斥候が市街地近くまで来てるって話は本当みたいだが、詳しいことは誰も知らねぇな」
「軍の兵士も相当ピリピリしていて、なかなか話してくれないね。魔王軍の上層部については、噂レベルですら出てこないな」
カインとジークが顔をしかめる。
「市民の皆さんも不安そうです。病院では負傷兵の方々が増えていました」
ミリアが静かに言う。
「結衣はどうだ?」
「うーん……掲示板の文字はやっぱりまだ読めないし、人混みで聞き耳立てても大した情報はなかったよ……」
結衣はしょんぼりと肩を落とした。
カインが皆を見渡す。
「情報収集は頭打ちだ。しばらくは俺が一人で動こう。軍の知り合いをもう少し当たる」
「オレは襲撃に備えて鍛錬でもする。このところ体が鈍ってきてるからな」
カインとジークはそれぞれの役割を確認し合った。
「私は病院で看護のお手伝いをしてきます。怪我人が増えているので、少しでもお役に立てれば……」
ミリアもその決意に真剣さを滲ませる。
「私は……図書館で文字の勉強を続けるよ。情報収集にはやっぱり文字が読めないとダメだし」
「……勝手にしろよ」
結衣の言葉に、ジークはそっぽを向いて呟いた。
「ジーク?」
「……なんでもねぇよ」
ジークは不機嫌そうにベッドに寝転がる。
(なんだろう……最近のジーク、ちょっと冷たい気がする……)
結衣は少しだけ胸がチクリとした。
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翌朝、ミリアは早くから病院に向かった。
白衣の看護師たちに混じり、包帯を巻いたり、薬草を煎じたり、患者の世話をしたりと大忙しだ。
「ありがとう、ミリアさん。あなたが手伝ってくれてとても助かるわ」
看護師の言葉にミリアは笑顔で頷き、次の患者のもとへ向かう。
昼休み、カインが差し入れを持って病院を訪れた。
「調子はどうだい? ミリア。あまり無理しすぎるなよ」
「あ、カインさん! 全然平気ですよ。それよりカインさんの差し入れが嬉しいです!」
「君が頑張ってくれているおかげで、みんな助かっている。俺にもこれくらいはさせてくれ」
カインが優しく声をかける。
ミリアは少しだけ頬を赤らめた。
二人の距離が、また少し縮まる。
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一方、結衣は今日も図書館に通っていた。
入り口で蒼がしつこくついてくる。
(ねぇ結衣、今日もあの男に会うの?)
(うるさい、蒼は図書館に来なくていいから!)
(えー、絶対怪しいって! 僕が見張ってあげるよ!)
(いらない! 今日は一人で行くの!)
結衣は蒼を追い払うようにして、図書館の扉をくぐった。
中は静かで、昨日と同じく本の香りが漂っている。
結衣は子供向けの絵本コーナーに直行した。
しばらくすると、レイがふらりと現れた。
今日も無気力そうな顔で、結衣の隣に座る。
「また来たの?」
「うん! 今日もレイに文字を教えてほしくて!」
「……まあ、いいけど」
レイは相変わらず淡々としている。
「じゃあ、昨日の復習からね」
レイは絵本を開き、結衣に文字を指さして説明する。
結衣は真剣な顔でノートに書き写す。
「レイ、やっぱり教え方上手いよ!」
「そう? 自分じゃ分かんないけど」
レイは窓の外をぼんやり眺めた。
結衣はレイに話しかける。
「レイって、普段は何してるの?」
「……特に何もしてない」
「友達とか、いないの?」
「いない」
レイはあっさりと答えた。
「寂しくないの?」
「……別に。どうでもいい」
ほんの一瞬だけ、レイの瞳が揺れた。
(ねぇ結衣、もう帰ろうよ! あの男、絶対変だって!)
(蒼、うるさい! 今、勉強中だから!)
結衣は蒼を完全に無視した。
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ジークはダガーを振るう。
結衣のことが、気になって仕方がなかった。
だが図書館についていく理由もなく、結局は何も言えない。
(なんだってあいつ、あんなに毎日図書館に通ってんだ……)
ジークは苛立ちを隠して、鍛錬に没頭する。
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夜、カインの部屋で、それぞれが今日の出来事を報告し合った。
「ミリア、すごいね。もう看護師さんに頼られてるの?」
「いえ、まだまだです。でも、少しでも皆さんの力になれたらと思って」
結衣が感心する。
ミリアははにかんだように答えた。
「カインは?」
「軍の知り合いをあたったけど、やはり具体的な情報はなかった。斥候の動きは確かに増えているが、軍も今は警戒しているだけで手を出せないらしい」
カインは渋い顔をした。
「そっか。ジークは?」
「……特に何も」
ジークの態度はそっけない。
その心中には気づかず、結衣はノートを広げ、覚えたての文字を書いてみせた。
「私は今日も文字を覚えたよ! 見て見て!」
「すごいですね、結衣さん!」
ミリアが拍手する。
「……フン」
ジークはそっぽを向いた。
夜が更けていく。
窓の外では、兵士たちの見回りが続いていた。
ヴァルディアの街は、静かな不安に包まれている。
それぞれが自分の居場所で、明日に備えていた。