第40話 無気力男子、図書館に現る
結衣は地図を片手に、ヴァルディアの西側にある図書館を目指していた。
石畳の道を歩きながら、周囲の建物を見上げる。
どれも石造りで頑丈そうだ。
「ここが図書館かな?」
結衣が立ち止まったのは、立派な柱の立ち並ぶ、大きな建物の前。
入口には何やら文字が刻まれている。
(ねえ蒼、これ何て書いてあるの?)
(『ヴァルディア中央図書館』だよ。ほら、ちゃんと看板も出てるでしょ)
(その看板が読めないんだってば!)
結衣は深呼吸して、重い扉を押し開けた。
中は静かで、本の香りが漂っている。
高い天井から光が差し込み、無数の本棚が整然と並んでいた。
「すごい……」
思わず声が漏れる。
司書らしき女性が「静かに」と唇に指を立てた。
結衣は慌てて頭を下げる。
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どこから手をつけていいか分からず、結衣はとりあえず一番近い本棚に向かった。
背表紙を見るが、何が書いてあるのか全く分からない。
(どうしよう……)
(ねぇ結衣、あれ、子供向けの絵本コーナーじゃない?)
蒼が指し示す方向には、カラフルな本が並んでいた。
結衣はそちらに向かい、一冊手に取る。
開いてみると、簡単な絵と文字が載っている。
(これなら勉強できるかも!)
結衣は席に座り、絵本を広げた。
しかし、文字の形すら判読できない。
(これは『リンゴ』って書いてあるんだよ!)
(全然分からないよ! どうやって読むの?)
(頑張れ頑張れ! こんなの幼稚園児でも読めるよ!)
(うるさいな! 邪魔するならどっか行って!)
結衣が蒼を睨みつけていると、背後から声がした。
「何やってんの?」
振り返ると、銀髪の青年が立っていた。
年の頃は二十代半ばといったところか。
透き通ったグレーの瞳に整った顔立ち、透明な白い肌。
痩せ型で、どこか儚げな雰囲気を漂わせている。
「あ、えっと……文字の勉強を」
結衣は慌てて答えた。
「一人で何か話してたけど」
青年はぼんやりとした目で結衣を見ている。
「え? あ、それは……あはは」
結衣は笑って誤魔化す。
絶対、変なヤツだと思われた。
「まあいいや」
青年は肩をすくめ、結衣の隣に座った。
無気力そうな仕草で、絵本を覗き込む。
「文字、読めないの?」
「うん……まだ分からなくて」
結衣は正直に答えた。
「ふーん。じゃあ教えてあげようか」
青年は特に熱意もなく言った。
が、結衣は目を輝かせる。
「え? 本当? ありがとう!」
青年は少し驚いたようだ。
「僕はレイ。君は?」
「結衣だよ! よろしくね、レイ!」
結衣の反応に戸惑うレイ。
だが、すぐに無表情に戻る。
「じゃあ、基本から始めよう」
レイは退屈そうな様子で、絵本を指さした。
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それから二時間ほど、レイは結衣に文字を教えた。
彼の説明は簡潔で分かりやすく、結衣は少しずつ文字を覚えていく。
「すごい! レイって教えるの上手いね!」
結衣が感心すると、レイは少し照れたように目を逸らした。
「別に。ただの暇つぶしだから」
無気力な態度とはうらはらに、レイの教え方は丁寧だった。
(結衣、あの男、なんか怪しいよ!)
蒼が結衣の耳元で囁く。
(どうして? こんなに親切に教えてくれてるじゃん)
(それだよ! 知らない人に親切に字を教えるなんて絶対に変!)
(……意味分からないから黙っててくれる?)
結衣は蒼を無視して、レイに向き直った。
「ありがとう、レイ。おかげで少し読めるようになったよ!」
「別に。暇だったし」
レイは窓の外を見つめながら言った。
その横顔を見て、結衣は不思議な感覚に襲われる。
(なんだろう……この人、どこかで会ったことあるような……)
懐かしさに似た感覚。
だが、思い出せない。
「そういえば君、どこから来たの?」
レイが突然尋ねた。
「え? あ、王都からだよ」
「ふーん。僕はあちこち旅してる」
レイは退屈そうに言った。
「旅? 何か目的があるの?」
「特にない。ただの暇つぶし」
レイの目は虚ろで、どこか遠くを見ているようだ。
そんな彼を見て、結衣の口からポロッと言葉が転がり出た。
「それって寂しくないの?」
レイは驚いたように目を見開いた。
「……寂しい?」
が、すぐに無気力な表情に戻る。
「まあ、特に考えたことないかな」
(ねぇ結衣、もう行こうよ。あの男、本当に怪しいよ)
(うるさいな、あっち行ってよ!)
結衣は蒼を無視し、レイに尋ねた。
「明日もここに来る? また教えてほしいな!」
レイは少し考え、肩をすくめた。
「別に。暇なら来るかも」
「本当!? じゃあ約束!」
結衣が笑顔で言うと、レイは少し戸惑ったように見えた。
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一方、カイン、ジーク、ミリアの三人は情報収集に奔走していた。
カインの知り合いを頼って、軍の動向や魔王軍の情報を集める。
「カイン、久しぶりだな!」
鍛冶屋の主人が声をかけた。
「ロイド、元気そうだな」
カインが笑顔で応じる。
「最近は忙しくてな。軍の注文が増えてるんだ」
鍛冶屋の男は声を潜めた。
「魔王軍の動きが活発になってるって噂だからな」
「具体的には?」
ジークが尋ねる。
「さあな。詳しいことは軍の連中しか知らないだろう」
男は首を振った。
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三人は次に酒場へと向かった。
そこでも、カインの顔を見るなり、常連たちが声をかけてくる。
「カイン! 戻ってきたのか!」
「またモンスター退治か?」
カインは笑顔で応じながら、情報を探る。
「魔王軍について何か知らないか?」
カインがさりげなく尋ねると、酔客たちは困惑した。
「これといってなぁ……俺たちには分からねぇよ」
「そういう話は軍の連中しか知らんだろう」
具体的な情報は得られない。
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次に三人は病院を回り、負傷兵を見舞った。
「最近は小競り合いで負傷する兵士が増えていますね」
看護師が教えてくれた。
「魔王軍は以前より組織的になってきているように思えます。単なるモンスターの集まりではないと」
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三人は宿に戻り、情報を共有した。
「魔王軍は確実に動きを活発化させている」
カインが言う。
「でも、具体的なことは軍の上層部しか知らないみてぇだな」
ジークが腕を組む。
「結衣さん、戻ってきませんね。文字の勉強、まだ続いてるんでしょうか」
ミリアが心配そうに言った。
「あいつ、そんなに勉強好きだったか?」
ジークは少し不機嫌そうだ。
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図書館で、結衣はレイと別れた。
「じゃあ、明日また来るね!」
「暇だったら」
レイは無気力に手を振った。
宿に向かいながら、結衣は不思議な感覚に包まれていた。
(レイって、なんだか懐かしい感じがする……)
(ねぇ結衣、本当に気をつけなよ。あの男、絶対に怪しいよ)
(アンタは少し黙っててくれない?)
結衣は蒼を無視して歩き続けた。
宿に戻れば、三人が待っている。
今日覚えた文字のことを、自慢してやろう。
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一方、結衣と別れたレイは、彼女の後ろ姿をずっと見つめていた。
無気力な瞳の奥に、かすかな興味が宿る。
「なんか、面白い娘じゃん……」
そう呟くと、レイはいずこともなく姿を消した。