第37話 北の現実、難民たちの声
ヴァルディアへの道は、思ったよりも順調に進んでいた。
草原はいつしか荒れ地に変わり、遠くに小さな人影の集団が見えてきた。
「あれ……人だよね?」
結衣が目を細める。
ジークが頷いた。
「難民だろうな。あの人数、家族連れも混じってる」
近づくと、子供や老人、痩せた大人たちが道端で休んでいた。
荷物はわずか。服もボロボロだ。
母親たちは古い毛布にくるまった赤ん坊を抱き、子供たちは乾いた草の上で丸くなっている。
男たちは小枝を集めて火を起こそうとしていたが、湿った薪しかなく、煙ばかりが立ちのぼっている。
「こんにちは!」
結衣が元気よく声をかけると、一団の中から壮年の男が立ち上がった。
髭面に鋭い目つき。
でもどこか、人の良さそうな雰囲気があった。
「……旅の方か。すまない、警戒してしまって」
「いや、大丈夫だ。俺たちも北へ向かう途中だ」
カインが穏やかに応じる。
リーダー格の男は自己紹介をした。
「俺はゴルド。元兵士だが、今は難民の護衛とまとめ役をやっている」
「大変だったんですね……」
ミリアがそっと言う。
「お嬢さん、医者か?」
「薬草使いです。怪我人や病人はいませんか?」
「助かる。子供が怪我をしていてな……」
リーダーの男が呼ぶと、小さな男の子が母親に手を引かれてやってくる。
ミリアはすぐに膝をつき、優しく声をかける。
「こんにちは。ちょっと見せてくれる?」
男の子は不安そうに頷き、ミリアが丁寧に傷を消毒し、薬草の軟膏を塗る。
母親は申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい、水も薬も尽きかけていて……」
「大丈夫です。これでしばらくは痛くないはずですよ」
ミリアが微笑むと、母親はほっと息をついた。
結衣はその隣で、泣きそうな女の子たちに手を振った。
「大丈夫! 王都にはおいしいパン屋さんもあるし、広い公園もあるんだよ!」
「ほんと?」
女の子たちが目を輝かせる。
「ほんとほんと! 私たち王都から来たから、いろいろ知ってるんだよ!」
子供たちが少しずつ笑顔を取り戻していく。
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夕方、難民たちと一緒に焚き火を囲むことになった。
焚き火の上には鍋がひとつ。
中には水と、道中で摘んだ野草や干した根菜、わずかな乾燥肉が煮込まれている。
パンはなく、代わり冷たい粟の団子が布に包まれていた。
子供たちはそれを分け合い、空腹を紛らわせるように、ときおり草の茎をかじっている。
リーダーがじっと四人を見つめる。
「旅人さんたち、王都のことを教えてくれないか。俺たちは王都を目指してる。最近の状況を聞きたい」
「もちろんです!」
結衣が張り切って答える。
蒼が(結衣、情報屋みたい!)と小声でツッコミを入れる。
「王都の難民キャンプは、今はだいぶ整備されてきてますよ。前は人攫い事件もあったけど、私たちが解決したからもう安全です!」
「人攫いの噂は本当だったのか……だが、解決したのか?」
リーダーが驚く。
「はい。悪い奴らは捕まって、子供たちも無事に戻ってきました」
結衣が胸を張ると、難民たちの間にざわめきが広がる。
「それは……本当にありがたい話だ」
リーダーが深く頷いた。
「今はキャンプにお医者様もいますし、薬も流通しています。病人や怪我人も、きっと助けてもらえますよ」
ミリアが優しく付け加える。
「治安も前よりはずっと良くなった。衛兵も増えてるし、仕事も少しずつ増えてる」
ジークが現実的な情報を補足する。
「難民キャンプに着いたら、俺の名前を出してくれ。きっと悪いようにはされないはずだ」
カインが付け足した。
「助かる。そうさせてもらおう」
リーダーは感謝の目を向けた。
「ところで、俺たちも知りたいことがあるんだが」
カインが静かに切り出す。
「北の村や、魔王軍の動きについて、何か情報はあるか?」
リーダーが深く息を吐いた。
「……北は地獄だ。焼き討ちや奴隷狩りが横行している。俺たちの村は一月前に焼かれた。オークやトロールが夜中に押し寄せてきて、若い連中は連れ去られた。抵抗した奴は……」
言葉を濁す。
「村は焼け、家族は散り散りだ。逃げる途中で仲間を何人も失った」
難民の中から、別の男が口を開く。
「魔王軍の奴らは、夜襲が得意だ。リザードマンが偵察して、トロールが壁を壊し、オークが暴れる。人間じゃとても太刀打ちできない」
「指揮官とか、偉い奴の顔を見たことあるか?」
ジークが尋ねる。
「いや、俺たち兵士が相手にするのはせいぜいオークの隊長くらいだ。噂じゃ、化け物みたいな三人の将軍がいるって話だが……」
「魔王本人を見た奴は?」
ジークはさらに問う。
「魔王を見た者はいない。指揮官クラスでさえ、ほとんど姿を見せることはないんだ」
「ヴァルディアの様子は?」
カインの問いに、アトリウムが答える。
「最近は小競り合いが増えてる。ヴァルディアの兵士と魔王軍がぶつかるたび、市民が巻き込まれる。街の外じゃ斥候がうろついてるって話もあるな」
「そうか……市民が巻き込まれるのは、やりきれねぇな」
「以前よりも状況は悪化している。ぐずぐずしてはいられない」
ジークが唇を噛みしめる。
カインの瞳に静かな炎が宿った。
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夜、焚き火の周りで難民たちは故郷の歌を口ずさむ。
母親たちはぐずる赤ん坊をあやし、男たちは火を絶やさぬように交代で見張り、夜の闇を警戒していた。
子供たちは結衣にまとわりつき、その膝で眠りこけていた。
「みんな、王都で美味しいもの食べようね」
結衣は子供たちの頭を優しく撫でる。
ミリアは怪我人の包帯を巻き直し、薬草の使い方を母親たちに教えている。
「これを煎じて飲ませてください。熱が出たら、冷やすのも忘れずに」
「ありがとう、ミリアさん……」
母親たちが涙ぐむ。
結衣とミリアは、子供たちがみな寝静まるまで、そばに寄り添っていた。
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夜が明ける。
難民たちは荷物をまとめ、王都へ向かう準備を始めていた。
「みんな、気をつけてね!」
「お姉ちゃん、王都でまた会える?」
「もちろん! 絶対にまた会おうね!」
結衣が手を振る。
子供たちが「またねー!」と大きく手を振り返す。
難民の一団は南へと消えていった。
「皆さん、お元気で……!」
ミリアが涙ぐむ。
「……絶対に、魔王を倒してやる」
ジークが拳を握りしめた。
「私も、もっと強くならなくちゃ」
結衣が小さく呟く。
カインは静かに空を見上げる。
「ヴァルディアはもうすぐだ。気を引き締めていこう」
四人は再び北へと歩き出した。
その背中を、朝日がいつまでも見送っていた。