第36話 カニパニック! 白い霧と水しぶきの舞
朝露に濡れた草を踏みしめながら、グレイラン平原を抜けて、一行は北へ向かって歩いていた。
空は高く、雲はゆっくり流れている。
結衣はショルダーバッグを肩にかけ、歩きながらふと思い出した。
(そういえば……この白い小石、なんなんだろ)
バッグの底から取り出したのは、昨日のポイズンアイビー戦で拾った白い小石。
手のひらにのせると、ほんのり冷たい。
(ねぇ蒼、これってどんな時に使えるの?)
(わかんない! 自分で考えてね!)
(アンタはホント、役に立たないわね)
蒼は頭の上で羽をバサバサさせて、まるで他人事だ。
結衣はため息をついた。
そんなやりとりをしているうちに、前方に川が見えてきた。
川幅は広く、流れは穏やかそうに見える。
だが、カインは眉をひそめて言った。
「この川は見た目より危険なんだ。水棲モンスターが潜んでいる。みんな、気をつけて進もう」
ジークがダガーの柄に手をかける。
ミリアは不安そうに結衣の袖をつかんだ。
「大丈夫だよ、ミリア。みんなで渡れば怖くないって」
結衣は笑ってみせたが、内心はドキドキだ。
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川の浅瀬は、思った以上に冷たい。
水の中に足を踏み入れると、石がぬるぬるしていて思わず滑りそうになる。
ジークが先頭で慎重に進む。
カインが後ろから全員の様子を見守る。
途中、川底から不自然な波紋が広がった。
ぷくぷくと水泡が浮かぶ。
「……おい、何かいるぞ」
ジークが低く警告する。
カインもすぐに剣を抜いた。
「全員、警戒しろ!」
結衣は思わず小石を握りしめる。
ミリアの手も冷たく震えていた。
その時だった。
バシャァンッ!
水面が大きく盛り上がり、巨大なカニ型モンスターが現れた。
「リバークラブだ! 三体いるぞ!」
カインが叫ぶ。
甲羅が青黒く、鋭いハサミがギラリと光る。
リバークラブたちは水しぶきを上げて、結衣とミリアに向かって突進してきた。
「結衣とミリアは下がれ!」
ジークが前に出る。
カインもすかさず横に並ぶ。
バシャッ! ザバァッ!
リバークラブのハサミが水面を切り裂き、ジークの足元に迫る。
ジークはすばやく飛び退き、カインがその隙を突いてハサミを剣で受け止める。
「くそっ! 浅瀬じゃ動きにくい……!」
「カイン、左だ!」
ジークが叫ぶ。
カインがすかさず身をひねり、もう一体のリバークラブの攻撃をかわす。
「こいつら、連携してやがる!」
結衣は足がすくみそうになる。
でも、二人が戦っている。
自分も何かしなきゃ。
(蒼、どうしよう……!)
(今だよ、結衣! その白い小石、投げてみて!)
(ええい、ままよ……!)
結衣は白い小石を思い切り川の中央へ投げ込んだ。
ポチャン。
次の瞬間――
シュオオォ……!
白い霧が水面から一気に立ち上った。
濃く、冷たい霧がリバークラブたちの周囲を包み込む。
「な、なんだこれ……!」
ジークが目を見開く。
だが不思議なことに、四人には霧の中でもリバークラブの姿がはっきり見える。
「……視界が奪われたのは、あっちだけか」
カインがニヤリと笑う。
「ジーク、右のやつを頼む!」
「おう!」
バシャッ! ザザッ!
ジークがリバークラブの背後に回り込み、素早くダガーで脚を切りつける。
リバークラブは混乱し、ハサミを振り回して仲間の甲羅にガキン! とぶつけた。
「今だ、カイン!」
「任せろ!」
カインが剣を振り抜く。
ザンッ!
リバークラブのハサミが切り落とされ、水しぶきが上がる。
もう一体が暴れて、ジークにハサミを振り下ろす。
「危ねっ!」
ジークがギリギリでかわし、カインがその隙に横から一撃。
ガキン!
鈍い音とともに、リバークラブの甲羅が割れた。
「今だ!」
ザバァッ! バシャッ!
無防備になったカニめがけて、ジークがトドメを指す。
「やった!」
結衣が歓声を上げる。
最後の一体も、ジークとカインの連携攻撃であっという間に倒された。
水音が消え、霧もゆっくりと晴れていく。
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浅瀬の向こう岸にたどり着くと、四人はほっと息をついた。
「皆が無事で良かったです……」
ミリアが胸を撫で下ろす。
「ジークとカインのおかげだよ。私じゃあんなの絶対無理だったもん」
結衣は照れ笑いを浮かべる。
ジークが肩をすくめて言った。
「あの石はまだあるのか?」
「もうないよ、あれ1個だけ」
「また一発芸かよ。でも助かったから今回はお前の手柄ってことにしてやるよ」
「でしょでしょー? ふふん、もっと褒めてくれてもいいのよ?」
「調子に乗るな」
結衣とジークは相変わらずだ。
そこへカインが礼を述べに来た。
「結衣、助かった、ありがとう」
そして、結衣に問いかける。
「ところで以前から疑問に思っていたんだが、君の使う、その不思議な術はなんだ? 良ければ教えてくれないか?」
結衣は首を傾げる。
「あ、カインには話してなかったっけ? 私、異世界から来たんだよ。異世界人特典として、この世界の人たちが使えない小石の魔法が使えるの」
ミリアも目を丸くした。
「えっ、そうだったんですか!? 結衣さんは凄いなって私、ずっと思ってたんですけど、まさかこの世界の人じゃなかったなんて……」
ジークが説明する。
「まぁ、オレもその『魔法』ってのを完全に信じたわけじゃねぇが、今のところ他に説明もつかないし、とりあえずそういうことにしてやってる。使えるモンは何でも使った方がいいからな」
「何それ、ひどい!!」
三人は笑い合う。
カインは「そうか……」と呟き、しばし考え込む様子を見せた。
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蒼が結衣の頭上で得意げに羽を広げる。
(僕のアドバイス、ナイスだったでしょ?)
(そうね、たまにはアンタも役に立つわね)
(やったね!)
結衣が珍しく素直に褒めると、蒼は小さくガッツポーズ。
川を越えた先には、長い冒険への道が続いていた。