第32話 疑惑に揺れる王都
その朝、王都はどこか重苦しい空気に包まれていた。
結衣たちは昨夜の勝利の余韻に浸る間もなく、『黄金の葡萄亭』の食堂で、妙な緊張感を感じていた。
「なんか、変だよね……」
結衣がパンをちぎりながら呟く。
「何がだ?」
「だって、昨日はあれだけの大騒ぎだったのに、今朝は誰もその話をしてないし……」
ジークは腕を組んで黙り込む。
そこへ、カインが現れた。
「みんな、ちょっと聞いてほしい」
カインの表情はいつになく険しい。
「どうしたんですか?」
ミリアが不安そうな顔で訊ねた。
「昨夜捕まえた奴隷商人たち……今朝になって、全員釈放されたらしい」
「えっ!?」
「なんでだよ!?」
結衣とジークが同時に声を上げる。
「衛兵は『証拠不十分』だって言ってる。でも、あれだけの現場を押さえておいて、しかも現行犯で捕まえて、絶対にそんなはずがない」
カインは拳を握りしめた。
「どういうことですか……?」
ミリアが心配そうに尋ねる。
「……裏でもっと別の何かが動いてる。そうとしか考えられない」
カインが苦々しげに呟いた。
そのとき、結衣の肩にふわりと蒼が舞い降りた。
(やっと僕の出番だね! いやー、王都って広いし、貴族の屋敷って迷路みたいでさー)
(蒼!? どこ行ってたのよ! ここ最近ほとんど姿を見せないし!)
(だって結衣、ずっと僕のこと「邪魔!」って言ってたじゃん……)
蒼は拗ねている。
(ごめんってば……でも今はそれどころじゃないの! 何か知ってるの?)
(ふふん、実はね――)
蒼は得意げに羽を膨らませた。
(昨日の夜から、奴隷商人と繋がってる貴族の屋敷を調べてたんだ。僕、鳥だから侵入し放題だし、誰にも見えないし)
(で、どうだったの?)
(ばっちり証拠も見たし、貴族の名前も掴んできたよ!)
(本当に? すごいじゃない! お手柄よ、蒼!)
(もっと褒めて!)
(あとでね! 今はその名前、教えて!)
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結衣は蒼から聞き出した名前を、そっとカインに耳打ちした。
「カイン、実は……フェルディナンドってヤツが奴隷商人と繋がってるらしいの」
カインは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに真剣な表情に変わった。
「……そうか。そういうことだったのか!」
カインは拳を握りしめ、深く息を吐いた。
「どうしたんですか?」
ミリアが心配そうに尋ねる。
「……奴隷商人たちが釈放された理由が、全部繋がった」
カインは心底悔しそうな顔で唸る。
「裏で糸を引いているのは、貴族。それもかなりの大物だ」
三人が息を飲む。
「王都の衛兵も、役人も、その貴族の影響下にある。だからどんな証拠を突きつけても、そいつがバックにいる限り、奴らは無罪放免になる」
「そんな……じゃあ、どうすればいいんですか!?」
ミリアが不安そうに声を震わせる。
「お貴族サマ相手じゃ、俺たちじゃどうにもならないのか……!?」
ジークも悔しそうに唇を噛む。
カインはしばらく黙って考えていたが、やがて静かに口を開いた。
「……このままじゃ、また同じことが繰り返される。誰かが本気で動かなければ、王都の闇は消えない」
「でも、どうするの?」
結衣が問いかける。
「……少し時間をくれないか。俺に考えさせてほしい」
カインはそう言うと、席を立った。
「カインさん……」
ミリアが心配そうに見送る。
「大丈夫だよ、ミリア。カインならきっと何とかしてくれるよ」
結衣は自分に言い聞かせるような口調で、ミリアの肩を叩いた。
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王都の大通りを歩きながら、カインは心の中で決意を固めていた。
(……もう、逃げられない。いや、逃げない)
貴族の権力がどれほど強大でも、王都のために正義を貫くしかない。
自分の正体を明かす時が近づいている。
これまで好き勝手に生きてきたツケを払う時が来ている。
でも、今はまだ――
「父上、兄上……どうか、俺の言葉を聞いてくれ」
カインは王都の中心――そこにそびえ立つ壮麗な城を見上げた。
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その夜、結衣は自分の部屋で蒼と会話していた。
(蒼、今日は本当にありがとう!)
(ふふん、やっと僕の有能さが分かった?)
(しょうがないから認めてあげる……これからも頼りにしてるからね)
(まかせて! 僕は結衣の味方だよ!)
(またそうやってすぐ調子に乗る……)
蒼は嬉しそうに羽を膨らませた。
結衣は窓の外を見上げた。
王都の夜空には、まだ消えない闇が広がっている。
「でも、大丈夫。私たちなら、きっと……」
結衣はそう呟き、静かに目を閉じた。
王都の闇の奥で、何かが大きく動き出そうとしていた。