第26話 難民キャンプと人攫い事件
朝の光が差し込むベッドの上で、結衣は頭を抱えていた。
「うぅ……気持ち悪い……頭が割れる……」
昨晩の酒場での記憶が断片的に蘇る。
エールを何杯飲んだっけ?
誰と何を話したんだっけ?
ベッドから起き上がろうとすると、頭がズキンと痛んだ。
「もう二度とお酒なんか飲まない……」
そこへ、ノックの音。
「結衣さん、大丈夫ですか?」
ミリアの優しい声が聞こえる。
「ミリア……たすけて……」
ドアが開き、ミリアが小さな瓶を持って入ってきた。
「やっぱり二日酔いですね。これを飲んでください」
ミリアが差し出したのは、緑色の液体。
匂いを嗅ぐと、ハーブの香りがする。
「これ、何?」
「特製の酔い冷ましです。薬草を調合して作りました」
結衣は恐る恐る一口飲む。
意外と飲みやすい。
ミントのような清涼感と、かすかな甘さがある。
「おいしい……」
全部飲み干すと、頭と胃のモヤモヤが少しずつ晴れていく。
「すごい! 効いてるよ! ミリア、神!」
「そんな……ちょっとした薬草の知識ですよ」
ミリアが照れる。
「でも、お酒はほどほどにしてくださいね」
「うん、反省してる……」
そこへ、ジークが部屋に入ってきた。
「まだ寝てたのか。朝飯、もうすぐ終わるぞ」
「ジーク! ミリアの薬、すごいよ! 頭スッキリ!」
「そりゃ良かったな。さっさと支度しろ」
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朝食を終え、三人は今日も図書館へ向かう。
王都の中央通りは、昨日と同じく清潔で整然としていた。
だが、ジークが突然足を止めた。
「……あれは?」
ジークの視線の先には、王都の外壁に沿って広がる小さな集落らしきものが見える。
目を凝らすと、粗末なテントや木の小屋が立ち並び、人々が行き交う様子が伺えた。
「あそこ、スラムか?」
「スラム?」
結衣が首をかしげる。
「王都にスラムなんてあるの?」
「そんなものはなかった筈だ。少なくとも、オレが以前に来た時はな」
ジークの表情が険しくなる。
「ちょっと見てくる」
「え? 図書館は?」
「お前らは先に行ってろ」
ジークが歩き出す。
結衣とミリアは顔を見合わせた。
「私たちも行こう、ミリア」
「そうですね」
ふたりもジークの後を追った。
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近づくと、そこが想像以上に大きな集落だと分かった。
何百もの簡易テントや小屋が立ち並び、老人や子供を含む大勢の人々が暮らしている。
衣服はボロボロで、顔には疲労の色が濃い。
それでも子供たちは元気に走り回り、女たちは洗濯や料理をしていた。
「すごい人……」
結衣が呟く。
ジークは無言で周囲を観察している。
スラム育ちの彼の目が、違和感を感じていた。
「なあ」
ジークが近くの老人に声をかけた。
「ここの人たちは、どこから来たんだ?」
老人は疲れた目でジークを見上げる。
「ああ、北からさ。魔王軍から逃げてきたんだよ」
「魔王……!?」
結衣が思わず声を上げる。
「そうさ、お嬢ちゃん。魔王の軍勢が北の村々を次々と襲って、抵抗する者は殺し、若い衆を連れて行きよる。ワシらは命からがら逃げてきたんじゃよ」
「えっ……じゃあここはスラムじゃなくて難民キャンプ?」
「そうじゃ」
老人の言葉に、三人は息を呑んだ。
「お爺さんたちは、いつからここに?」
「ニ年ほど前からじゃな。最初は数十人だったが、今じゃゆうに千人は超えとる」
ミリアが小さな声で尋ねる。
「王都は、受け入れてくれたんですか?」
「今のところ追い出されはしとらんが、それも時間の問題かも知れんな。じゃがワシらはどのみちここで生きていくしかないのさ」
老人は肩をすくめた。
「それより最近は、別の心配事がある」
「別の?」
「ああ、人攫いじゃ」
昨晩、酒場で聞いた噂が現実味を帯びる。
「最近、若い衆や子供が次々と姿を消しよる。夜、何者かに連れ去られるんじゃ」
「えっ、それって……」
ミリアの表情が曇る。
「誰の仕業なんですか?」
結衣が尋ねる。
「分からん。だが噂では、魔王の手の者がこのキャンプに紛れ込んで、逃げた者たちを連れ戻しているとか……」
老人の言葉に、ジークが眉をひそめる。
「衛兵は?」
「奴らは王都の人間しか守らん。ここは治安の外じゃからな、見て見ぬふりさ」
老人は苦笑いを浮かべた。
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三人はキャンプの中を歩いた。
子供たちが好奇心いっぱいの目で見つめてくる。
その表情はあどけなかった。
「ひどい……」
結衣が呟く。
「魔王から逃げてきたのに、また連れ戻されるなんて……」
ミリアも小さく頷いた。
「私にも何かできることがあれば……」
ジークは無言で歩き続ける。
スラムの奥へ進むと、ひとりの若い女性が小さな子供を抱きながら泣いていた。
「どうしたんですか?」
ミリアが声をかける。
「私の夫が……昨夜、姿を消したんです。きっと連れ去られたんだわ……」
女性は震える声で答えた。
「私たちは魔王軍に村ごと家を燃やされて、焼け出されて奴隷にされそうになって……それでも必死に逃げて、ここまで来たのに……」
結衣の拳が震えた。
「許せない……!」
思わず声が出る。
「魔王も、人攫いも、絶対に許せない!」
ミリアも大きく頷いた。
「何でもいい、私も力になりたいです!」
ジークはふたりの様子を見て、小さくため息をついた。
「お前ら、また面倒ごとに首を突っ込む気か?」
「当たり前じゃん! こんな状況で、見て見ぬふりなんてできないよ!」
結衣の目は真剣だった。
「ジークさん、私も結衣さんに賛成です。ここの人たちを助けたい」
ミリアも静かに、しかし強い意志を込めて言った。
ジークはふたりを見つめ、やがて肩をすくめてため息をついた。
「……分かったよ。調査するか」
結衣の顔が明るくなる。
「ジーク! ありがとう!」
「勘違いすんな。この事件を調査すれば、図書館なんかより確実に魔王の手掛かりが手に入るからだ」
ジークはそっぽを向いた。
だが、その口元には不敵な笑みが浮かぶ。
「よーし! 人攫い調査開始!」
結衣が拳を上げる。
「まずは情報集めだな」
「聞き込みなら私も手伝うよ!」
「では私はその間、ここの病人の方々をお世話しますね」
三人はそれぞれの役割を決め、スラムの中へと散って行く。
魔王討伐の旅は、思わぬ方向へと進み始めていた。