第2話 スリリングな出会い
森に入って十分も歩いたところで、結衣は立ち止まった。
「ねえ、本当にこの方向で合ってるの?」
肩に止まった青い鳥――蒼は首を傾げた。
(たぶん! この森を抜けると、村とかがあるはず!)
「はず、って……アンタ本当に神様なわけ?」
(もちろん! 僕、地図とかそういう細かいことはちょっと苦手でさ。でも大事なことはちゃんと覚えてるからまかせて!)
「……大事なことって?」
(魔王を倒してこの世界を救うこと!)
結衣は深いため息をついた。
頼りになるどころか、むしろ不安を増幅させるマスコットだ。
「そもそも私、武器もないし、戦えないんだけど。もし何か出てきたらどうするの?」
(大丈夫! この辺りは弱いモンスターしかいないから! ゴブリンとか、その程度だよ)
「ちょっと! マジで出るの!? 弱いって言っても、モンスターはモンスターでしょ!? 私、絶対無理だから!」
その時、茂みがガサガサと揺れ始めた。
結衣は固まる。
蒼も黙る。
「な、何? 今の、風じゃないよね?」
結衣の声が震える中、茂みから現れたのは――
「モンスター!? 嘘でしょ!?」
緑色の小鬼が、茂みから飛び出してきた。
子どもくらいの背丈なのに、ギラギラ光る赤い目と、ナイフみたいに尖った牙。
ゴブリンだ。
ゴブリンの手には、錆びた短剣や棍棒。
それも一匹だけじゃない、二匹、三匹……次々と現れる。
完全にホラー映画の世界だ。
「キィィ! グァァ!」
意味不明な叫び声を上げながら、ゴブリンたちは結衣を取り囲み始めた。
「蒼! どうすればいいの!?」
(えっと……走って逃げる?)
「どこによ!?」
(あ、でも捕まると色々面倒だから、頑張って戦った方がいいかも!)
「何が『面倒』よ! 具体的に言いなさいよ!」
蒼が曖昧に目を泳がせている間に、ゴブリンの一匹が、結衣に向かって突進してきた。
「ひっ……!」
結衣は反射的に目を閉じ、腕で顔を守る。
(ヤバい、マジでヤバい! まだ二十年ちょっとしか生きてないのに、こんなところで死ぬの!? お母さん、ごめん!)
頭の中で走馬灯が回り始めた。
今朝食べたコンビニおにぎりが、まさか人生最後の食事になるなんて――
「グェッ!」
だが、予想していた痛みはなく、代わりにゴブリンの悲鳴が聞こえた。
恐る恐る目を開けると、目の前に見知らぬ少年の背中があった。
白いチュニックに、濃いカーキ色のパンツ。
橙色のマントをなびかせた少年は、手にしたダガーでゴブリンを倒していく。
動きに一切の無駄がない。
シュバッ! ザクッ!
一撃、また一撃。
ゴブリンたちは次々と倒れていく。
「キィィ!」
最後の一匹が逃げ出そうとする。
だが少年はダガーを投げ、ゴブリンの背中にざっくりと命中。
見事に仕留めた。
「フン、ザコどもが……」
少年は倒れたゴブリンからダガーを引き抜くと、結衣の方を振り向いた。
十五歳くらいだろうか。
茶色のショートヘアに鋭い目つき。
小柄だが引き締まった体つきだ。
「あ、ありがとう……助けてくれて……」
結衣が礼を言おうとした瞬間、少年はキツい視線を向けてきた。
「お前、死にたいのか? こんなところでボサッとしてる奴、初めて見たぜ」
「……え?」
結衣は一瞬耳を疑った。
助けてくれたのはいいけど、口の悪さが尋常じゃない。
「ちょっと、そんな言い方ないじゃない! 助けてもらったのは感謝してるけど……」
少年は結衣の抗議を鼻で笑うと、倒したゴブリンの死骸をチェックし始めた。
「何か持ってねーかな……ってクズ石しかねーのかよ。やっぱザコはザコだな」
少年はゴブリンから奪い取った赤い小石を、その辺にポイポイ投げ捨てる。
(あ! その赤い石、拾って!)
すかさず蒼が、結衣に囁いた。
「え? なんで?」
(説明は後で! とりあえず拾っといて!)
結衣は捨てられた赤い小石を拾ってショルダーバッグにしまい込み、少年に声をかける。
「ねえ、君は誰?」
結衣が尋ねると、少年は一瞬だけ振り向いた。
「オレはジーク。お前こそ何だ? その変な服、この辺りの人間じゃねーだろ」
結衣は自分の服装――白地に青のボーダーのパーカー、ジーンズ、スニーカーという現代日本のカジュアルな格好――を見下ろした。
確かに異世界では浮いているだろう。
「あ、私は結衣。えっと……遠くから来たんだけど……」
「遠くってどこだよ」
「それが……」
結衣は蒼を見る。
青い鳥は小さく頷いた。
「信じてもらえないかも知れないけど……実は私、異世界から来たんだ」
ジークは手を止め、怪訝な表情で結衣を見た。
「異世界? 何言ってんだ? 頭でも打ったのか?」
「違うって! 本当なんだから!」
「あー。面倒なことには興味ねぇから別にいい。で、お前これからどこに行くつもりだ?」
「ええっと……」
結衣は蒼をチラ見した。
「村……かな?」
「村ねえ……」
ジークは立ち上がり、ダガーを鞘に収めた。
「ラグナスの方か?」
「ラグナス?」
「この先にあるちっぽけな町、というかスラムだよ。まあ、お前が一人で行っても、どうせまた途中でモンスターに襲われるだけだろうな」
ジークはため息をついた後、不機嫌そうに言った。
「しょうがねえ。オレも同じ方向だ、ついてくるか?」
その言葉に、結衣の顔がパァっと明るくなった。
「ホント!? ありがとう!」
「別に親切で言ってるわけじゃねぇ。お前みたいなのが道端で死んでたら、迷惑だからな」
そう言いつつも、ジークは結衣が歩きやすいペースで歩き始めた。
「ねえ、さっきのゴブリンすごかったね! 君、すごく強いんだね!」
「あんなザコ、誰でも倒せるだろ」
「いやいやいや、私には絶対無理だから!」
ジークは小さく笑った。
「お前、本当に何もできないんだな」
「う……」
結衣の肩では、蒼が(いい人じゃん!)と囁いている。
結衣は小声で(どこが!?)と返した。
「ん? 何か言ったか?」
ジークが振り向く。
「ううん、何でもない!」
結衣は慌てて首を振った。
蒼が見えるのは自分だけ。
独り言を言う変な奴だと思われたくない。
「お前、変な奴だな」
「ちょっ……!」
ジークは結衣の抗議を無視し、前を向いて歩き続けた。
結衣は小さくため息をつきながら、その後を追った。