第114話 崩壊するゲート
アサイラムゲートの内部は、迷宮のような構造をしていた。
黒曜石の壁面が複雑に入り組み、通路は果てしなく続いている。
天井からは紫色の光線が降り注ぎ、幾何学模様が不規則に明滅していた。
カイン、ミリア、ジークの三人は、慎重に歩を進めていた。
足音が反響し、遠くで何かが崩れるような音が時折聞こえる。
「この先に、結衣がいるはずだ」
カインが囁く。
剣の柄を握る手に、汗が滲んでいた。
「結衣さん……無事でいてください」
ミリアも祈るように呟く。
壁に触れると、微かな震えが指先に伝わってくる。
まるで巨大な生物の内部にいるかのような、不気味な感覚。
金属とオゾンの匂いが混じった、乾燥した空気。
息をするたびに、喉がヒリヒリと痛んだ。
「分かれ道か」
カインが立ち止まる。
前方で通路が三つに分岐していた。
「どちらに行くべきか……」
その時、ジークが声をあげた。
「オレが真ん中から注意を引き付ける。二人は脇の道を回り込め」
カインとミリアは驚く。
「ジーク……?」
「ジークさん、単独行動は危険です!」
だが、ジークは落ち着き払っていた。
カインとミリアに向かい、笑みを浮かべる。
「大丈夫だ、この先に結衣がいる。俺はもう、迷わない」
そして、中央の通路に向かって歩き出す。
わざと大きく足音を立てながら。
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一方、奥の部屋。
結衣は蒼と対峙していた。
部屋の中心には、巨大な結晶構造が浮遊している。
それは脈動するように光り、壁全体を幻想的に照らしていた。
(君の仲間たちが、ここに近づいてるみたいだねー)
蒼が軽薄な笑みを浮かべる。
(みんな君が大好きなのかな?)
「当然よ」
結衣が毅然と答える。
「だって蒼も知ってるでしょ? 私たちは仲間だもん」
(ふーん、仲間ねぇ……)
蒼が首を傾げる。
(でも、君がここで僕と話してる間に、彼らは危険にさらされてるかもよ?)
結衣は一瞬だけ歯を食いしばる。
そして、すぐに自信満々の笑顔を見せた。
「大丈夫、みんなは強いから。みんなが私を信じてくれてるように、私もみんなを信じてる」
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その頃、ジークは大胆に通路を進んでいた。
スクラマサクスの刃先で壁を削りながら、大声で叫ぶ。
「アルドベリヒ! 出てこい! お前の相手はオレだ!」
ジークの声が、空間に響きわたる。
その間に、カインとミリアはそれぞれ裏へ回り込む通路を進んでいた。
結衣の声を頼りに、慎重に接近する。
微かに、結衣の声が聞こえてきた。
そして、結衣のいる部屋に、カインとミリアが同時に到着した。
扉を開けると、アルドベリヒの背中越しに、結衣の姿が見える。
「結衣さん!」
ミリアが呼びかける。
「ミリア! カイン!」
結衣の顔が、ぱあっと明るくなった。
その直後、結衣の背後で扉が勢いよく開かれた。
「結衣!」
ジークが部屋に飛び込んでくる。
その声は、魂の底から絞り出されたような叫びだった。
「ジーク……」
結衣が振り返る。
時が止まったかのような瞬間。
ふたりの視線が、まっすぐに交わった。
ジークの瞳には、深い後悔と、それ以上に強い愛情が宿っている。
そして結衣の笑顔には、赦しの微笑みがあった。
その瞳に、キラリと涙が光る。
やがて、結衣の唇がゆっくりと動いた。
「おかえり、ジーク」
その言葉は、天使の歌声のように美しい。
慈愛に満ちた、温かい声。
「ただいま……結衣」
ジークの声が震える。
ゆっくりと歩み寄る。
結衣も、一歩、また一歩と近づいていく。
そして――
ジークが結衣を、そっと抱きしめた。
まるで壊れ物を扱うように、優しく、大切に。
「ごめん、結衣……本当に、すまなかった」
ジークが結衣の耳元で囁く。
結衣がジークの背中に手を回す。
「うん、もう大丈夫」
ジークの首筋に、顔を埋めて。
「私たち、また一緒だよ」
ふたりの再会に、カインとミリアも目を潤ませていた。
長い苦難を経て、ついに仲間が戻ってきたのだ。
四人が再会を喜び合う。
温かい絆が、再び結ばれた瞬間だった。
(あららー、感動的な再会だねー)
蒼の軽薄な声が響く。
(無力な人間が何人集まったって、無駄なのにねー)
結衣が振り返る。
その顔に、不敵な笑みが浮かんでいた。
「残念だったわね、蒼」
結衣が蒼を指差す。
「アンタの負けよ」
「え?」
蒼が首を傾げた、その瞬間――
カインとミリア、そして結衣が、それぞれ蒼を中心とした、正三角形の頂点に立っていた。
三人の体が、淡い光に包まれる。
赤、青、緑の光が、蒼を取り囲む。
ゴゴゴゴゴ……
部屋全体が、低く唸り始めた。
壁の幾何学模様が、激しく明滅する。
床が、微かに振動していた。
「これは……」
蒼の表情から、軽薄さが消えた。
その眼に、想定外の事態への困惑が浮かぶ。
中央の結晶構造から、虹色の光線が四方八方に走った。
まるで雷のように、空間を切り裂いていく。
轟音が響き、空間全体が共鳴しているような音が鳴り響いた。
アサイラムゲート全体に、亀裂が走る。
天井から、結晶の破片が降り始めた。
キラキラと光る破片が、雪のように舞い散る。
美しくも危険な光景。
(なるほど、全くの無策でここに来たわけじゃないってことか)
蒼の声に、初めて動揺らしきものが混じった。
「今だ! 出口へ!」
カインが叫ぶ。
四人は一斉に駆け出した。
ジークが結衣を守りながら、出口を目指す。
崩壊が加速していく。
壁が崩れ、巨大な結晶片が次々と落下する。
ドガガガと、凄まじい音が響きわたった。
「こっちです!」
ミリアが先導する。
四人は瓦礫をかいくぐりながら、必死に脱出口へと向かった。
天井が崩れ落ちる。
間一髪で避けながら、走り続ける。
通路が崩壊し、道が塞がれる。
だが、ジークがスクラマサクスで瓦礫を切り払った。
「急げ!」
カインが後ろを振り返る。
蒼の姿は、もう見えなかった。
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ついに、四人は出口に到達した。
光の向こうに、宇宙空間が見える。
「飛び出すぞ!」
カインが叫ぶ。
四人が一斉に飛び出した瞬間――
背後で、アサイラムゲートが轟音と共に崩壊した。
ドォォォォン!
凄まじい爆発音。
虹色の光が、宇宙空間に拡散していく。
まるで巨大な花火のように、美しくも恐ろしい光景だった。
結晶の破片が、星々のように散らばっていく。
それは幻想的で、息を呑むような美しさだった。
四人は、宇宙空間に浮遊していた。
「やったな……」
ジークが呟く。
「みんな、無事で良かった」
結衣が安堵のため息をつく。
その時、崩壊した要塞の残骸の中から、ひとつの人影が現れた。
アルドベリヒ。
黒い甲冑に身を包み、静かに浮かんでいる。
宇宙空間に現れた、死神のようだった。
そして、彼の前に現れたのは――
レイ。
圧倒的なオーラを纏う、最強の魔法使い。
その彼が、両手を広げて佇んでいた。
「なるほど」
アルドベリヒが静かに言う。
「全て、お前の筋書き通りというわけか」
「その通り」
レイが穏やかに答える。
「ここへ来る前に、小さな『保険』を用意しておいたよ」
そして、四人を振り返る。
「危ないから、君たちは避難してて」
レイが手を振ると、四人の姿が光に包まれる。
次の瞬間、四人はヴォイドクレイドルに転送された。
宇宙空間には、レイとアルドベリヒだけが残った。
ふたりは、静かに対峙している。
レイが、挑戦的な笑みを浮かべた。
「さあ」
その声が、宇宙空間に響く。
「今までの借りを、どう返してあげようか」
アルドベリヒも、不敵に笑った。
「ほう、面白い」
ふたりの間に、凄まじい緊張が走る。
まるで空間そのものが震えるかのように。
レイの周囲に、青白い光が集まり始める。
アルドベリヒの甲冑が、暗黒の炎を纏った。
ふたつの力が、激突しようとしている。
宇宙が、固唾を呑んで見守っていた。




