第1話 異世界の扉はマッチングアプリ
どこにでもいるごくフツーの女子大生、結衣の人生が急転直下したのは、まあぶっちゃけ、彼氏に振られたその日からだ。
「ごめん、俺たち別れよう」
「え、マジで?」
結衣は一瞬固まったあと、泣くでもなく怒るでもなく無言で電話を切り、ただただソファに沈み込んでポテチをバリバリ貪っていた。
そしてやさぐれモード全開で三日三晩、ネトフリで恋愛ドラマのリピートとアイスドカ食いを繰り返した挙げ句、結衣は悟ったのだ。
「もういい。新しい彼氏見つけよ」
で、手っ取り早くマッチングアプリに手を出したのが運の尽きだった。
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マッチングアプリで知り合った蒼という男は、イケメンすぎて逆に怪しいレベルだった。
結衣は「まあいちど会ってみるだけなら」と軽い気持ちでデートに臨んだ。
気負ってると思われるのは癪なので、あえてのカジュアルスタイル――ボーダーのパーカーにジーンズ――だ。
ショルダーバッグにスニーカーを履いて、足取りも軽く出掛ける。
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カフェで会った蒼は写真通り、いやそれ以上にイケてて、結衣は内心浮かれまくった。
(うわ、こんなイイ男とデートとか最高じゃん!)
でも、話してみると何かがおかしい。
「ねぇ、結衣ちゃんってさ、異世界に興味ある?」
「いせ……かい……ですか?」
(は? なんだコイツ。頭イカれてんのか?)
結衣の内心のツッコミを知ってか知らずか。
「僕のお願い聞いてよ♡」
とかウィンクしてきたり。
(うわキモっ! 明らかにヤベー奴じゃん……とっとと帰ろ)
だが、蒼がウィンクした瞬間、結衣の視界がぐにゃっと歪んだ――
ジェットコースターが急降下するような浮遊感。
胃袋がひっくり返る。
耳鳴りがして、舌に苦い味が広がる。
(えっ……何コレ。もしかして私、ヤバくない……?)
目の前が霞む。
頭がクラクラする。
「うえっ……」
結衣が吐き気と共に膝をついた時、足元の感触が変わっていた。
コンクリートじゃない、草だ。
気づいたらそこはカフェじゃなくて、なんか草むらだった。
「……えぇ!? ちょっと何!? ここどこ!?」
結衣は顔を上げた。
目の前に、蒼がフワフワと浮かんでる。
そう、浮かんでる。
足ついてない。
半透明。
「結衣ちゃん! 異世界へようこそ!」
「は!? 何!? 異世界!? なんで!?」
さっきまでの吐き気が一瞬で吹き飛んだ。
パニックに陥る結衣。
「いやー。実は僕、神様なの」
「説明になってない!!」
ヘラヘラ笑う蒼に、思わずツッコむ結衣。
「で、君にはこの世界を支配する『魔王』を倒してもらいたいんだよねー」
「魔王!? 私が!?」
無茶振りが過ぎる。
「いやいやいや! 無理無理無理!!」
結衣の抗議も虚しく、蒼は「お願い♡」とか言って手を合わせてくるだけ。
この時点で結衣は確信した。
こいつ、ヤバい。
人の話聞かない。
「ちょっと待った! 神様なのになんで自分で魔王倒さないの?」
「いやー。この世界じゃ僕、神の力が使えないんだよー」
結衣が冷静に聞くと、蒼は肩をすくめた。
「使えない!? じゃあ何!? 役立たず!? ただの置物!?」
「役立たずはひどいなー。でもまあそういうこと。これからよろしくね、結衣ちゃん」
蒼はあくまでもマイペースを崩さない。
それどころか、もっととんでもないことを言い出した。
「そうそう。僕は結衣ちゃん以外の人には見えないから、マスコット的な感じで君の力になるよ!」
蒼の体から、青白い光が溢れ出す。
「うおっまぶしっ!」
結衣は思わず目を細める――
光が収まると、そこにいたのは人間の姿をした蒼ではなく、手のひらサイズの青い鳥だった。
キラキラした大きな目に、ふわふわの羽根。
まるでおとぎ話から飛び出してきたような、愛らしい姿だ。
(じゃじゃーん! どう? 可愛いでしょ?)
青い鳥は羽をパタパタさせながら、結衣の周りをくるくる飛び回る。
「いや『可愛い?』じゃないから! なんでわざわざ変身した!? なんで鳥!?」
(さあ? 神様の力が封じられると、こうなっちゃうみたい。でも結衣ちゃんにだけ見えるってことは、僕たちって運命の絆で結ばれてるってことだよね♡)
「絆じゃなくて呪いでしょ!」
結衣は初めて周囲をじっくり見回した。
草原の向こうには森が広がり、空には輝くふたつの月——ひとつは青く、もうひとつは赤く——が浮かんでいる。
遠くには水晶のように輝く山脈が見え、風には甘い花の香りがかすかに混じっていた。
どう見ても日本じゃない。
結衣は、あらためて視線を蒼に戻した。
「……で、どうやってその魔王とやらを倒すの? 武器とか魔法は? そもそもそいつはどんな奴なの? どこにいるの?」
(うーん、わかんない!)
「わかんないって何!?」
蒼はキラキラした目で、自信たっぷりに答える。
(でもさ、魔王を倒したら元の世界に帰れるよ! 僕を信じて!)
ふざけるなああああ!
……と叫びたい気持ちを抑えて結衣は念を押す。
「ホントに帰してくれるんでしょうね!?」
(うん! 多分!)
多分って何だよ、多分って。
適当過ぎるだろ、もっと責任感持てよ。
「マジで何!? ツイてないにもほどがあるでしょ!? 私、昨日まで普通に失恋してたのに!?」
こうして結衣は、異世界のど真ん中で、見えない青い鳥になった使えない自称神様と一緒に、魔王とかいうよくわからん敵を倒す旅に出ることになった。
荷物はゼロ、知識もゼロ、あるのはツッコミ力だけ。
頭を抱えながら、結衣はとりあえず目の前の森に向かって歩き出した。
(結衣ちゃん、がんばってねー!)
「お前は黙れ!!」
無責任に応援する蒼と、ブチ切れまくりの結衣。
ふたつの月が見守る異世界の空に、そんな結衣の叫びが虚しく響き渡るのだった。