第17話 入森二日目
翌朝、いつもの時間に目が覚めた。体を起こして焚き火台付近の丸太椅子に腰掛ける。周囲は静まり返っており、朝の冷たい空気が肌を包む。
焚き火台の隣には薪が積まれた棚があり、その横には祈りのための台がある。とはいえ、特別なものではなく、ただの長細い木の台が置かれているだけだ。
今そこには二人の人影がある。
一人はウィローラ。いつも通り腰を落とし、片膝を立てて両手を顔の前で組むというお手本のような祈りの姿勢。その顔には一筋の涙が伝っていることも含めて、見慣れた光景だ。そして、彼女の祈りはいつも長い。
もう一人はヴィロミア。坐禅を組み、身の丈を超える長い杖を抱えていた。その杖は木のツタを編んで作られたような不思議なものだ。そして、目を閉じて両手のひらを胸の前で合わせていた。見慣れない祈りの仕草だが、それが彼女の故郷の文化なのだろう。
その光景は、幻想的だった。柔らかな朝の光が二人を包み、まるで森に神聖な存在が舞い降りたかのようだ。彼女たちは天使と精霊――そう考えれば、この神々しい雰囲気も当然なのかもしれない。
私は静かに鍋に水を入れ、火にかける。その間にバッグからコーヒーの粉と薬草を取り出し、それぞれをコップに分ける。私のコーヒーと、ウィローラ用のハーブティーだ。
水が沸き始めた頃、ケレアニールが眠たげな顔で起きてきた。隣に腰を下ろした彼女に飲み物のリクエストを聞き、ハーブティーを手渡す。彼女はそれを両手で抱え、「フー」と息を吹きかけて温度を下げながらゆっくり飲み始めた。
気まずい沈黙が漂う。
何か話さないと、えーっと…
「………よく寝られた?」
「うん、毛皮が結構暖かくて、ぐっすり寝れたよ。でも、見張りできなくてごめんね」
「気にしないで。初日なんだし」
再び沈黙。
どこかぎこちない空気を誤魔化すように、私ははんごうに米と水、それにキノコと少量の塩を入れ、火にかける。鍋がコトコトと音を立て始めると、ほんの少しだけ安心した。
やがて、祈りを終えたウィローラとヴィロミアが戻ってきた。皆で朝食を済ませた後、私たちは次の目的地を目指して拠点を後にした。
二日目の目的地は、果実と薬草の群生地だ。私たちは昨日と同じ隊列で森を進む。
しばらく進み、三つ目のレンジャーの印を確認したウィローラが、小さく手招きをして皆を集めた。
「マッシュリザードの目撃情報」
そう言うと、彼女はバッグから紙の束を取り出し、手際よくめくり始める。
マジか……一番会いたくないやつだ。
やがて目的のページを見つけたのか、ウィローラは紙を皆に見せた。そこには、背中にいくつものキノコを寄生させた小型のサラマンダーのような魔物――マッシュリザードの絵が描かれていた。
「これがマッシュリザード。背中のキノコが目印ね。本体の戦闘力はそれほどじゃないけど、問題はその習性」
彼女はさらに紙をめくり、詳細について説明を続ける。
「臆病な性格で、危険を感じると尻尾を切り離して逃げるの。厄介なのはその尻尾。しばらくすると破裂して、寄生しているキノコの胞子を撒き散らす。麻痺キノコならまだしも、幻覚キノコだったら最悪。同士討ちで全滅の可能性すらもある」
説明を聞きながら、ケレアニールとヴィロミアは真剣な表情でうなずく。
「ただ、背中のキノコが目立つから見つけやすい。見つけ次第、警戒して迂回すれば大丈夫」
その間に周囲の警戒を終えた私は、この近くにはマッシュリザードがいないことを報告した。
ここから先は、さらに注意を払って進むことになる。焦りは禁物だ。視覚だけでなく、音や匂いにも気を配る必要がある。
五感に意識を集中する。
風に揺れる葉が擦れる音。
新鮮な草を潰したような、濃厚な植物の匂い。
木々の間を抜ける風のかすかな音。
一つ一つの感覚を研ぎ澄ましながら、一歩ずつ慎重に歩を進めていく。
………
次のレンジャーの印が目についた頃、ウィローラが片手を上げ、隊列を静止させた。
彼女の視線の先に、マッシュリザードがいるのだろうか…
振り返った彼女は、静かにハンドサインを送って迂回を指示した。
指示通り、私たちは敵の反対側の茂みに入り、慎重に攻撃範囲外を進む。
途中、ケレアニールが振り返った時、鎮魂草を吸っているのが目に入った。その表情は一切の感情を感じさせない真顔で、なんだか笑いを堪えるのに苦労してしまう。
今回は何とかやり過ごせたが、一匹とは限らない。先に進むほど、緊張感は高まる。私は気を引き締め直し、再び慎重に歩みを進めた。
そして、最初の目的地である果実の群生地に到着した。
緊張の糸が切れたように、全員がホッと一息つく。
そこは開けた広い場所で、周囲の背の低い木々の影響か、日の光がよく届いて眩しいくらいだ。枝には熟れた果実がたわわに実り、色鮮やかな鳥や虫たちがその果実を目当てに集まっていた。この光景はまるで、森の闇の中にひとつだけ天に祝福された場所があるかのようだった。
まずは晩飯用に鳥を数羽捕らえ、木に縛り血抜きをしておく。その間、少し早めの昼食として、私たちは近くの果実を摘んで食べた。
果実は水々しく、甘い。森の中では貴重な水分補給でもある。
「なにあれ?」
唐突にケレアニールが木の上を指差す。そこには、頭から白いキノコを生やし、顔中に菌糸をまとわせた一羽の鳥がいた。その鳥は必死に頭を振りながら、異様な動きをしている。
「あれは、キノコに寄生された鳥だね」
私がそう答えると、ケレアニールはさらに聞いてきた。
「なんであんなに頭を振ってるの?」
「うーん、多分、寄生したキノコが胞子を振り撒くために操ってるんじゃないかな」
「え?もしかして、私にも寄生する可能性ある?」
ここで少し脅せば、また鎮魂草を吸った彼女の真顔が見れるかなとも思ったが、さすがにかわいそうなので正直に答えた。
「人間に寄生したって話は聞いたことがないから、大丈夫だと思うよ」
彼女は胸を撫で下ろし、ほっとした表情を浮かべていた。
皆が適度にお腹を満たした後、血抜きした鳥を回収し、次の目的地――薬草の群生地へ向かうことにした。ここでは昨日見つけたものとは異なる種類の薬草が自生している。
道中、甲羅に大小さまざまなキノコを生やしたカメと遭遇した。このカメは天界の生き物として神聖視されており、滅多に出会えない存在だ。しばらくその姿を観察し、再び歩き出す。こうした珍しい生物に遭遇するたび、ケレアニールとヴィロミアに見せて回った。
特にヴィロミアは緑色をした針葉樹のような形をした植物に興奮していた。その植物はよく見ると小さな三角形の棘が規則正しく密集しており、それらが美しい螺旋を描きながら並んでいる。彼女曰く、この形が完璧に均一であり、その美しさが堪らないらしいが、正直私にはその感覚はよくわからない。
さらに、彼女は「地獄から生えたタコの足」とでも呼べそうな奇妙なキノコを見つけ、夢中で採取し始めた。そのキノコは血のような深紅に、焼け焦げたような黒い跡が入り混じり、不気味な紋様を形成していた。まるで地獄の奥底から邪悪な存在が這い出してきそうな、不気味さとおぞましさを漂わせている。
悪魔キノコシリーズだろうか?
まあ、彼女が自分で食べる分には好きにしてくれて構わない。私は少し離れた位置から彼女を見守っていた。