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絵を盗みに入っただけなのに白い結婚騒動に巻き込まれ人生が変わってしまった

作者: 塙瑶花

 

 今日はオースティン公爵の結婚式で、こちらの離れの使用人も結婚式の手伝いでいないはずだから絶対安全と師匠から聞いていたので、オースティン公爵の本邸から続く瀟洒な離れに安心して盗みに入った。

 

 その離れの二階の廊下の窓をそっと開けて中に入り、目当ての絵画を見つけ、その絵を外した。すると絵と裏板の間から何やら封筒が落ちた。字はだいぶ薄れているが『遺書』と書いてある。

 どうしたものかと思ったが、万が一絵のすり替えが見つかった時にこの封筒が役に立つかもしれないとそのままそれをシャツの中に入れた。

 

 本物の絵の代わりに贋作を枠にはめて、元の場所にかけたところで小さな歌声が聞こえた。

一瞬、この屋敷には幽霊が出るのかと思ったが、俺は現実主義だ。そんなことがあるはずはない。

良く聞けば、それは右側の部屋から聞こえる。


 あれは、親父が俺に良く歌ってくれた子守唄だ。だから俺はその歌声の主を無性に知りたくなった。いつもならこんな無謀なことはしないのに、その声に引き寄せられるように俺は決心していた。

 



 俺の親父は俺が六歳の時に亡くなった。母親は俺が一歳の頃に実家に連れ戻されたらしい。詳しいことは知らないが、親父は「お母さんは藤色の髪の美しい人だった。優しくてお前をとても大切にしていた」と良く言っていた。

どのみち俺は捨てられたということなので母親に未練は持っていない。

 

 親父は俺を育てるために仕事を掛け持ちしていたから、疲労が蓄積していたのだろう。流行り病に罹った後、一週間ほどで天国へ旅立った。

 

 それから俺を育ててくれたのは、親父が師匠と仰いでいた絵描きのルパートだ。親父は大工の傍ら看板描きもしていたので、そのためにルパート師匠に絵を習っていた。

 親父とルパート師匠はとても馬が合ったようで、師匠の方もいつも親父を気にかけていた。だから、親父に俺のことを頼まれれば嫌とは言えなかったのだろう。


 ルパートは表向きは絵描きだが、実際は贋作師で絵画泥棒でもある。

 

 七歳の時、初めて師匠に美術館へ連れて行かれた。荘厳な建物の中に沢山の美術品。不思議と気持ちが安らいだ。

絵画が飾られている部屋をゆっくり歩いているうちに、師匠の家の屋根裏部屋にある絵とそっくりな絵を何点か見つけた。俺は子供心にすごく不思議に思った。

 

 そんな俺の様子を見て師匠は言った。

「ランセル、家にあるものとどっちが本物だと思う?」

「作者が同じものを二枚描かない限り、どっちかが偽物だということですね」

「おー、賢いな」

「その言い方だと、家にあるのが本物ですね」

師匠はニヤニヤして返事をしなかった。


 それでも俺はそれがそんなに悪いことのようには思えなかった。そっくりに描くなんてすごい技術だと思ったからだ。

 それに師匠は

「今のところは本物を売って儲けようとは思っていないよ。傍に置いて愛でるのが楽しいのさ」

嘘かほんとか分からないことを言っていたので、(まあいいか)と思った。


 それからは師匠に素質があると言われて、絵の描き方も習ったが、絵画の盗み方や護身術まで教えられた。

鍵もほとんどの物は開けられるようになった。


 俺も表向きは商会の事務員をしている。読み書き計算は親父が俺の小さい頃から教えてくれたし、ルパート師匠も歴史だのなんだのを教えてくれた。二人ともどういう出自なのかと思ったが、聞いてはいけないような気がして口を閉ざしている。


 物を盗むというより、そのスリルが楽しかった。何も盗まなくても図書館や美術館に入って、表には飾られていない美術品や蔵書を堪能したり、貴族の館に入って著名な作家の作品を鑑賞したりと腕と感性を磨いた。

もちろん師匠に頼まれて絵画も数点盗んだ。というより贋作とすり替えた。

 

 今回、すり替えを依頼された絵画は、ここの公爵家が美術館に貸し出していた物で、師匠の好きなヒースの『海辺にて』シリーズの一つだ。

美術館にある間、師匠は時間の許す限り通って模写をし、いざすり替えようとしたところで予定より早く公爵家に引き取られてしまった。

 

 

 さて、俺は黒の上着を脱ぎ、近くの掃除道具入れのドアを開けてその中に荷物を置いた。

見つかった時のために、いつも俺は盗みを働く場所に合った服装を作業着の下に着ている。

今回は使用人風の白シャツにグレーのベストを着こんでいた。

ついでに親父譲りの茶色と金の混じった髪を撫でつけ黒ぶちの眼鏡をかけた。


そうして歌声のするドアをそっとノックした。

「この屋敷の使用人でフレディと言うものです。お嬢様が落とされたものを届けに参りました」

 

 この届け物はとっさに自分のペンダントを取り外して、手に持った。

他に適当なものがなかったからだ。

 このペンダントは親父が今はの際に俺にくれたもので、トップの部分は真ん中がギザギザになっていて、もう一つのペンダントと合わせると綺麗に四角になるらしい。

「もしこれがぴたりと合う人に出会ったら、お前の血のつながりのある人に違いない」と途切れ途切れに言われた。


 いずれにしてもそのペンダントはそれほど高価なものでもないので「私のではありません」と返されるだろうと思った。


 しばし沈黙の後、部屋の扉が開いた。するとクリーム色のワンピースを着た年の頃、十七、八の藤色の髪のどこか懐かしい感じのする美女がおそるおそる俺に言った。


「落とし物とは?」

「お休みのところ申し訳ありません」

俺は丁寧に頭を下げた。


「こちらのペンダントです」

彼女はまじまじと俺の手のひらにあるそれを見つめると、自分の胸の上に手を当てた。


「私のは、あります。これをどこで?」


「ああ、違ったようですね。では失礼します」とそのまま踵を返そうとしたが、

「お入りになって」と言われたので、なぜか誘われるままに部屋に入ってしまった。


 俺はペンダントの持っていない左手をこめかみに当てて憂い顔で言った。こういう時は少し本当のことを混ぜて話した方が良い。


「あなたの歌が私の小さい頃に聞いたとても懐かしい歌だったものですから、あなたを一目見たくなって自分のネックレスを落とし物と偽ってしまいました」


「あれは母が良く歌ってくれた歌なのです」

そう言うと、彼女は自分の首に手を当てて鎖を外した。


 それは、俺の持っているものと同じようなペンダントだった。

そして、それを俺の手に乗せて、そのペンダントのトップを合わせた。

二つはぴたりと合い正方形を作り出した。


 彼女は驚愕の顔で、俺を見て

「ラ・ン・セ・ル・お・に・い・さ・ま?」

そう言った。


「はあ?」

俺は間抜けな声を出してしまった。予想外の言葉を聞いて一瞬思考が停止した。


「お母様に、このペンダントのもう片方を持っているのはあなたのお父様かお兄様よと言われていたの」


 驚いた俺は彼女に「君は誰?」と聞いた。ちょうどその時、廊下に足音がして扉がノックされた。

そして扉の外から侍女と思しき人の声がした。


「エレナ様、これから公爵様がおいでになります。お仕度は整っていらっしゃいますか?」

「ドレスに着替えた方がよろしいのでしょうか?」

「いいえ」

「では、先程準備してくださったので大丈夫です」

「そうですか......それでは失礼します」

そう言って侍女が去って行った。


「エレナさん。今日は帰る。また来るよ」

と俺は言ったが

「お願い。ここにいて! 用事はきっとすぐに済むわ。離れたらもう会えないかもしれない」

俺の手を握って懇願された。


 予想外のことを言われたこともあり、俺はどうも正常な判断ができなかった。まあ、もう少し話を聞きたいという気持ちもあった。


「......そうだな。じゃ、あの衝立の向こうのベッドの下に隠れるよ。ところで今日結婚式を挙げたのは君だったのか?」

「ええ、結婚式で夫となる人から『結婚式は挙げるが君を愛するつもりはないし、これは白い結婚だ。離れの方で暮らしてほしい。しばらくしたら離婚すればいいから』と言われたの。だから彼がここに来るはずはないのだけれど。何かあったのかしら?」


 首を傾げながら、彼女はベッドに置いてあったヴェールを自分の頭にふわりとかけた。

 

「結婚式でそんなことを言うなんて、とんでもない男だな。それになんでそんなものを被るんだ?」

「義妹や義母親から、私は醜いから夫には顔を見せない方が良いと言われて」

「馬鹿な。あんたはめちゃくちゃ美人だぞ! しかも俺に似ているし」

「そうなんですか?」

「公爵が好きなのか?」

「好きも何も全然知らない方です」

「では、ヴェールのままの方が良いだろう」

「?」


 俺はそのまま衝立の後ろのベッドの下に隠れた。

 

 まもなく男が扉を開けた。

足元しか見えないが、こいつの名は確かジェルマン・オースティンだったかな?


エレナは扉の近くで礼をしていたようだ。

「椅子に座ってくれ」

彼はエレナにそう言って、自分はソファに座った。足元しか見えないが多分そんなところだ。


「まずは、君に謝らなくてはならない」

「何のことでしょう?」


「『これは白い結婚で君を愛することはない』と言ってしまったことにだ」

「でも、こんな広い豪華なお部屋を使わせていただいて、夕食も持ってきていただきました。私にとっては天国のようです」


「私は君がお金遣いも荒く、義妹を虐める悪女で、あちらこちらで男と遊んでいるという噂を信じてしまった」

「酷い噂があるとは知っていましたが、私は表に出てそれを否定する機会もありませんでしたから」


「私自身も父親と婚約者が立て続けに亡くなって、毒を盛ったとかいろいろ噂をされた。それを訂正するのも面倒だったので放置していたら、『冷酷非道の公爵』という二つ名も貰った。そのせいで結婚話が無くなったからこれ幸いとそのままにしていた。そんな私が人の噂を信じるなんて最低だ」


「なぜ私の噂が根も葉もないことだと思われたのですか」


「俺の友人たちが、今日、ヴェールの下からかすかに見える君の藤色の髪を見て、このような髪色の女を今までに見たことがないと言ったからだ。

一人はそれこそ殆どの妙齢の女性を知っているし、まあ遊び人ともいえる。その彼でさえ君に会ったことがないと言うのだ。君は沢山の男と遊んでいるというのに変だろ? 

私自身はあまり夜会や舞踏会に出席することはないから噂の出所を近くにいた姉に聞いてみた。君の義妹や義母親が吹聴していたらしい」


「それは仕方がないですわ。彼女たちにとって、私は厄介者でしかないのですから」


「君の家の使用人に我が家の使用人を接触させてみた。使用人同士なら気軽に話してくれるかもしれないと思ってね。そして虐められているのは君の方だということも分かった」


「一応、食事は厨房でさせてもらえましたし、掃除洗濯も上手になりましたから、そんなに酷くはなかったかと」


「何を言っている。君は伯爵令嬢だぞ。ハジェンス伯爵家を継ぐ立場の者だぞ」

「えっ? 家を継ぐ?」


 なかなか話が面白くなってきたところで、また廊下が騒がしくなって、ノックと同時に扉が開いた。

 

「あー、良かった。見たところ、まだ初夜は済んでないわね」

と今度は若い女の声だ。あーあれだ。たぶん義妹ってやつだ。


「君は、エレナの義妹のシンディ嬢だったか? なぜこんなところにいる? 誰が通した?」

「あら、お義姉様が忘れた大事なものがあるからと言ったら通してくださいましたわ」


「はあ......、それでこんな時間に何の用だ?」


「この結婚話はもともと私に来たものですわ。ジェルマン様が『冷酷非道』と聞いて、私、二の足を踏んでしまいましたの。両親からも伯爵家を継いで欲しいと言われてましたし。ですから義姉に嫁いで貰うことにしたのです。でも結婚式の時にジェルマン様を見て気が変わりましたの。美しい貴方は私の理想の殿方ですわ」


「私とエレナはすでに結婚式を済ませている」


「でも、婚姻届けはまだ教会にありますよね。たぶん明日に役所に提出することでしょう。今宵のうちなら名前を変えても大丈夫ですわ。伯爵家は私たちの子供の一人に継いでもらえばいいのです」


「いいか。良く聞くんだ。君の父親ヴォーンはエレナが成人するまでの伯爵代行だ。彼はすべて伯爵家の正式な印を使っていたし、名前も伯爵と名乗っていたから、私も気が付かなかった。ヴォーン・ハジェンス伯爵代行とは接点もなかったからな。

昨日王宮に用事があってついでに貴族籍課に寄った。そこの係の者からハジェンス伯爵は実は伯爵ではなく代行だと聞いた。

婿養子の君の父親とその後妻の君の母親そして連れ子の君にはハジェンス伯爵家の血は一滴も流れていない。つまり伯爵家を継ぐ資格はないのさ」


「何のことかさっぱり分かりませんわ」


「ハジェンス伯爵家を継ぐのは明日十八歳になるエレナだ。つまり明日から王宮の貴族籍課に申請すればエレナは伯爵となる。だから君の父親はエレナを利用できる形で追い出したかった。私からのハジェンス家への縁談話は渡りに舟だったはずだ。

エレナが私の籍に入ってしまえば、いずれ申請をして遠縁と言うことで伯爵位を継げると考えた。わずかな良心がエレナを手にかけようと思わなかったのは幸いだった。

私は先ほど教会に使いを出し婚姻届けは私が許可を出すまで預ってくれるように依頼した。だからエレナは伯爵になることができる。エレナ、これは私が君にできる唯一の贖罪だ」


 ここまで何も言わなかったエレナが口を開いた。


「ハジェンス伯爵家を継ぐのはランセルお兄様です!」


 おい、この状況でそれを言うか?

 

「は? お兄様って誰よ」


「エレナ。説明してくれ」


「はい。私の母のオリビアは幼馴染の男爵家の三男であるディラン様と愛し合っていました。でも祖父は貧乏男爵の三男など婿として認めないと祖母の遠縁の伯爵家の次男を婚約者にしました。そこで母とディラン様は駆け落ち同様に家を出ました。そして生まれたのが兄のランセルです。

二人は祖父に見つからないように隣国へ行ったのですが、結局見つかってしまい母だけ連れ戻され、婚約者だった今の父と結婚させられました。

母はいつも誰かに監視されているような生活を送り、心と身体を病んで結局私が八歳の時に儚くなりました。

その一年前に祖父が亡くなった時、伯爵を継いだのは父だと思っていましたが、父は代行にしかなれなかったのですね。

その母が亡くなる前にしたためた遺書があります。私が成人したら貴族籍課に行って開けるようにと言われ、私はまだその内容を知りません。

『ランセルが無事に生きていたら伯爵になってもらいたい』と母は常々言っていましたので、お兄様に伯爵位を譲ると書いてあるはずです」


「ふん、嘘ばっかり。そのランセルっていう人は何処にいるの? 遺書は何処にあるのかしら」


 なるほど、俺の出自はそう言うことだったのか。親父は俺に大きなものを背負わせたくなかったんだな。平民の方が幸せだと思ったんだ。

もしかすると親父と引き離された時に母のオリビアはすでにエレナを妊娠していたのか? とすれば俺たちは両親の同じ兄妹と言うことになる。


 そして、あの『遺書』は、エレナが伯爵家で隠し持っていたものを、こちらで取り上げられるのを恐れてあの絵の裏側に隠したんだな。

(さて、これからどうしたものか)と案じていたら、エレナが俺に呼び掛けた。

 

「お兄様、こちらに来てください」


 俺はどうにでもなれと言う気持ちで腹を括り、ベッドの下から這い出して身なりを軽く整え、衝立から顔を出した。

 

「はじめてお目にかかります。ランセル・ハジェンスです。どうぞお見知りおきを」

貴族のするような礼をした。

姓は父方のシューリスだが、この際ハジェンスを名乗った方が良いだろう。


公爵は驚いて立ち上がり、目を見開いた。

「君はなぜここにいる?」


「妹の結婚相手は非常に冷たい男と聞いていましたので、妹が心配で、いてもたってもいられなくて」

そう言うと公爵は少し怯んだ。


「あなたがエレナの兄だってどうしてわかるの? なぜ今頃になって出てきたの?」

濃いオレンジ色の髪の華やかな装いをした鼻の高い女にそう言われた。ああこれが義妹か。


「まあ、俺にもいろいろ事情があってね」


そしてエレナの方を向いて

「エレナ、そのヴェールを取り外して俺の隣に来てくれないか」

そう言って、俺も眼鏡を外した。

ヴェールを被っていないエレナを見て公爵が息を呑むのが分かった。現金なヤツめ。


俺はエレナの肩をしっかり抱いて

「これだけ似ていれば、兄妹ではないという方が不自然ではないでしょうか?」

さらに「二人とも母親に似たんだな」とエレナに笑いかけた。


するとエレナが急に俺に抱きついて来て泣き出した。


「お兄様。会いたかった。小さい頃からずっと会いたかった」

だから、俺もつい

「もう何も心配するな。俺がお前を守る」と豪語してしまった。


そして小さな声で

「遺書は俺が持っている」と言った

エレナはびっくりしたように涙で濡れている大きな目で俺を見上げた。

だから俺は口パクで(絵の中)と言ったら、また抱きつかれた。


 俺は公爵と義妹に向かって言った。

 

「公爵様、自分の間違いが分かりエレナのために奔走してくれたのはありがたいと思います。けれども、結婚をしようとする相手に愛することはできないだの白い結婚だのと言うのはあまりにも相手を見下しすぎていて非常識です。あなたが公爵と言う立場でも兄として許すことはできません。

そしてシンディさんとやら、妹を虐めていたあなた方親子にはいずれその罪を償ってもらいます。

公爵様とシンディさん、お二人はお似合いですよ。一緒になられるといいのではないですか。ただし公爵様は平民と結婚することになるので、これからが大変だとは思います。

それから公爵様。俺の領地の道路は使わないでいただきたい。それが目的でこの結婚を仕組んだのでしょう?」


言いたいことは言った。次は上手くこの場を去ることだ。


「さて、俺とエレナはこれで失礼します。この後すぐに、教会に寄り、婚姻無効とさせていただきます。公爵様、一筆書いてくださいますね?」


ここで断れば男が廃る。

俺は公爵がサインした文書を持って、エレナの手を取り思い切り部屋の扉を開け放った。

掃除道具入れから荷物を引き上げ廊下を歩いていたら、後ろの方から公爵の声がした。


「エレナ嬢。今日のことも君を利用しようとしたことも心から謝る。だが、どうか私に君を愛する機会をくれないか」

直ぐに甲高い声が響いた。

「何言ってんのよ。今、私達お似合いと言われたばかりじゃない」

「あれは皮肉だよ。私に近寄らないでくれ!」

「やっぱり冷酷非道の人なのね!」



「あいつも前途多難だな。どうするエレナ?」

「お兄様は独り身なの?」

「ああ」

「だったら、まずはお兄様と一緒に穏やかに暮らしたいわ。話したいことが山ほどあるの。結婚はお兄様がお嫁さんを見つけたら考えようかな」

「そうだな。今まで離れていた時間を取り戻そう」


「それで、さっきお兄様が言ってた道路ってどういうことなの?」

「俺は商会に勤めていてね。いろいろ情報が入ってくるのさ。

オースティン公爵の領地は最近ワインの生産が軌道に乗って来てね、今までの道で南の国に輸出しようとすると量が多い場合は、通行の酒税が割高になるんだ。

そこで少し遠回りになるが公爵はハジェンス伯爵の領地を通る道を模索していたのさ。親戚になれば通行税はいらないかもしくはすごく割安になるだろ?」

「そうだったのね」


 師匠の下に帰る道すがら、俺が絵画泥棒だということはエレナに話した。受け入れられなくてもそれが俺だから。

「そのお蔭でお兄様と会うことができたんだから、何の問題もないわ」

と嬉しいことを言ってくれた。


 師匠にエレナを紹介する時に、俺のことを知っていたのかと聞いたら

「母親が由緒ある伯爵家の出とは聞いていたが、具体的には知らなかったよ」

ついでに「師匠はどういう育ちなんですか?」と聞いてみた。

「あれ? 言わなかったっけ? 俺は没落子爵家の末裔さ」

変に気を回しすぎるのは俺の悪い癖だと思った。


 さて、件の『遺書』に書かれていたことは、エレナが予想した通りだった。

『実子のランセル・シューリスが成人したら、ハジェンス伯爵位は彼の物となる。ただし、ランセル・シューリスが妹のエレナ・ハジェンスの成人するまでに見つからない場合は、エレナ・ハジェンスが伯爵位を継ぐ』と書かれ、その下に小さな文字で『ランセル、妹のエレナを大切してちょうだい』とあった。

正式な弁護士の印もあったので、俺はさっそく貴族籍課に赴き、事の次第を伝え申請をした。


 二週間後には正式にランセル・ハジェンス伯爵となったので、俺はハジェンス伯爵家のタウンハウスに弁護士と数人の警邏とともに行き、伯爵家のいくつかの印を押さえ、その他重要なものに張り紙をした。

 帳簿は女性二人の散財でかなり厳しい状態だった。恵まれた領地を持っているのに馬鹿な話だ。

 

 そして、いくばくかのお金と小さな家を用意する代わりに今後一切の関わりを持たないという念書に彼ら一人一人のサインを要求した。つまりそれを守らない時は牢屋行きだ。

 

お金を捻出するために屋敷の美術品を売ることになったが、あまり俺好みの物は無かったので丁度良かった。

 

 ヴォーン元伯爵代行とその連れ合い、そしてシンディにはすぐに伯爵家から出て行って貰った。

日を置くと中の物を持ち出される可能性があったからだ。

三人はブツブツ文句を言いながらも出て行った。一応最後の慈悲として馬車は用意してやった。

さらに屋敷でエレナを虐めていた者はすぐに解雇した。



 エレナと二人で快適な生活を始めたら、オースティン公爵からエレナに毎週のように花束とメッセージが届くようになった。


 毎回毎回飽きもせず

『嫌な思いをさせて済まなかった。私は心を入れ替えた。人を不快にすることはもう決してしないし、君を不幸にすることも絶対にしない。君がいつか私を見てくれることを心から願う』

というような文を書き連ねて来る。

 エレナも最初は無視していたが、三回に一回くらい返事を書くようになった。

 

 それからは観劇に誘われたり、植物園や公園の散策に誘われたりするようになった。

もちろん俺が一緒だ。嫌な顔をされたら、その時点でエレナを連れて引き返すつもりでいた。

だが、オースティン公爵はいつも丁寧に俺に接した。


 何回か続けるうちに、

「嫌なものは嫌とはっきり言える関係じゃないと俺は許さないよ」とエレナに言って、俺は二人について行くことを止めた。


 それから半年後、結局二人は二回目の結婚式を挙げた。

 

 エレナは顔を上げ、しっかりと背筋を伸ばし、公爵と見つめ合いながら自信に満ちた足取りで祭壇に向かった。

これ以上ないくらいの美しい花嫁だった。


 結婚式の後、エレナに「今度はお兄様の番ね」と言われた。

 

 釣り書きもいろいろ来ていたし紹介されることもあったが、自分の生い立ちを考えると、上品におっとりと育った貴族のお嬢様と結婚して上手く行くとは思えなかった。

 

 しばらくは領地に行って領地内を視察したり、領地の代官と角突き合わせて財政の問題を話し合ったり計算したり、領民の陳情書に目を通したりと、忙しい日々を送った。 

 エレナも公爵夫人として、しっかりと存在感を示し始めていた。

 

 そんなある日、ぼんやりと周囲が明るくなった明け方に階下からかすかな物音がした。

(下手だな。鍵を開けるときは音をたてないようにしないと)と夢うつつに思った後に、俺は飛び起きた。

ガウンを羽織り、手に暖炉の前の火かき棒を持ち、階下に足音を立てずに降りて行った。

また僅かな音がした。第二サロンの方角だ。


 第二サロンの貴重品は何があったかな? そこそこの美術品は置いてあるが......。


 王都のタウンハウスに飾ってある絵は、ハジェンス伯爵家代々の肖像画のほかには、ルパート師匠の絵と俺の絵だけだ。

 嬉しいことに、俺の絵も師匠ほどではないが、それなりに価値が上がってきている。

 第二サロンに飾られている絵はほとんどが俺の絵だ。それでも危険を冒して盗むほどの価値はないだろうなと思いながら、第二サロンの格子窓からそっと覗いた。

 

 泥棒は、男の格好をしているが、明らかに女だった。

彼女は俺の絵を数点見比べて、比較的、小さめの絵を外して袋に入れた。絵を外すときも音がした。へたくそな奴め。

 その時は声を掛けなかった。なぜかまた来ると思ったからだ。


 案の定、一か月後の同じ時間にまた物音がした。


 今度はサロンの扉を開けて声をかけた。

「何をしている?」


 彼女は驚いて振り返り一瞬硬直していたが、すぐにその場に膝を折り、帽子を取って床に額を付けた。

「たいへん申し訳ありません。どうぞお許しください」


「なぜ俺の絵を狙う。しかもこんな明け方に。見つかる確率も上がるだろう?」

すると彼女は少し頭を上げて言った。


「ある程度光がないと、絵が良く見えないではないですか? え、俺の絵って。あなたはこの絵の作者の」

「ランセル・シューリスだ」

「う、嬉しい。作者に会えた。ここにシューリスの作品がたくさんあると聞いて泥棒に入った甲斐があった」


「喜んでいる場合か。警邏に突き出すこともできるんだぞ」

「それはご勘弁を。すぐに立ち去ります。もう二度とここには来ません。盗んだ絵もお返しします」

彼女は一つに三つ編みをした金髪の頭を何度も下げた。


「あのな。お前には絵画泥棒の素質がないぞ。まず音を立てすぎる。そして筋力不足だ。体幹もない。敏捷性は分からないが推して知るべしだ。鍵のかかっていない窓を捜すのは上手そうだが、それでも泥棒はやめた方がいい。

ところでなぜ俺の絵を狙うんだ? そんなに高くもないだろう」


俺がそう言うと、彼女は涙ぐみ始めた。しばし唇を噛んだ後、


「す、好きだからに決まってるじゃないですか!」


涙を一杯溜めた目で俺を睨んで、押さえた声でそう言った。


 その時、俺は落ちた。あまりにも彼女の様子が可愛かったのと、俺にとっては俺の絵が好きということは俺が好きということと同義語だからだ。


「お前、普段は何をやっている?」

「花屋のばあちゃんの手伝いをしています」


「そうか......。来週、今日と同じ曜日の午後、両手いっぱいの花束を持って来い。それを抱えたお前を描いてやるよ」

「本当にホントですか?」

彼女は涙をぬぐって顔いっぱいの笑顔になった。


「ああ、花代もモデル代も出す」

「でも......、脱げとか言わないですよね」

「俺は、基本、風景画専門だ。心配ならメイドに一緒にいてもらおう」

「でも......」

「まだ何かあるのか?」

「貴族家を訪問するようなまともな服を持っていないというか......」


「はあ、仕方がないな。ついて来い。いいか、そろそろ厨房の連中が働き始めるから、音を出すなよ」

頷く彼女を見て、俺は二階のエレナの部屋へ彼女を連れて行った。


クローゼットを開けて、三枚ほどのワンピースを選んだ。

「これでいいか?」

「これ、私が着ていいんですか?」

「ああ、妹は今妊娠中で着られないし、子供が生まれても多分もう着ないだろう」

「嬉しいです。ありがとうございます」

「丈が長いか?」

「このくらいすぐ直せます」

「胸は少し大きいかな?」

「ちょうどいいです!」

「なら、いいか」

「では、何から何までありがとうございました」

彼女はそう言って俺に礼をし、そそくさとワンピースをカバンに入れて二階の窓から外へ出ようとした。


「おい待て、玄関から出ろ」

俺はまた玄関まで彼女を誘導した。


 玄関の大きな扉を開ける前に彼女に聞いた。

 

「お前、名は何て言うんだ?」

「アンジェリカです」

「アンジェリカ、来週来る時は、この玄関から入るんだぞ」

「分かりました」


 彼女は俺が開けた玄関の扉を足早に出て半円状の階段を降り、カバンを腕に抱えながら噴水の脇を抜けて駆けて行った。意外と敏捷性はあった。


アンジェリカ。アンジュ、天使か......。さあ、もう少し寝るか。


俺は、口笛を吹きながら寝室に向かった。



--- End ---


いつもお読みいただいてありがとうございます。誤字報告大歓迎です。

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― 新着の感想 ―
とても面白く楽しいハピエンでしたが、読者にとっては生殺し(ಥ﹏ಥ) 切実に続きが読みたくなる素敵な短編をありがとうございました。
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