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ある物語を紡ぐもののおはなし  作者: 井又 美香
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ある昼時の話

その日の昼時、私はいつものように助手席で目を開けた。

乗っている車が、大した揺れも無く、大したスピードで進んでいるのを把握して、

自分が寝ていたことに気づく。目的地はまだのようで目を閉じる。


後部座席に座るのは、30代も半ばを過ぎた男性のはず。

くつろぎながら、手元の端末でまた、トレンドやら何やらの情報を集めているに違いない。

見なくともそれくらい分かる。物心ついたころには既に一緒にいたのだ。

いわゆる世間では幼馴染とか、腐れ縁とか。そういった呼び名でくくられる関係。

運転席に座っているのは男性の実母だ。


私と、男性とその母は家族だ。誰も結婚しておらず、戸籍上でどうなっているのかは分からない。

だが一緒に暮らし始めて既に二十数年経っている。

書類上はともかく、もう家族として実績は立派に積んでいるだろう。



車の自動運転技術が一般普及してから、もうずいぶん経った。

行先さえ間違いなく入力すれば、車が勝手に場所まで連れて行ってくれるのだ。

何年も前に、それが当たり前になった。

運転手は運転席に座って、自動車が間違えないかを見守るだけの役割に成り下がった。

一応説明するが、エンジンを停止させたり、ドアや窓を開けたり、行先を変更する権限は残っている。申し訳程度に、ハンドルを操作したりすることもできる。


車同士が互いに演算し合うので障、害物や歩行者にぶつかることは、もう無い。

「最近の子どもは交通事故という単語を知らない」

と、誰かが言っていた。果たしてそれは何年前のことだっただろうか。



もう一度眠ることを諦めた私は目を開ける。

助手席の母が退屈な旅路の刺激を求めて、無理な車線変更を繰り返している。

そのせいで車がハイウェイの分離帯や脇壁に乗り上げたりもする。

それでも、車内空間は大した揺れも無く、快適そのものだ。

唐突な車線変更を事前に知っていた車たちの列が、車間距離を適正に保ち続けてくれる。


まるで大昔の映画のカーチェイスで見たような映像が延々と繰り広げられているフロントガラスを無視して、私はまどろみのまま左のほほを車窓にくっつける。寝起きの体温を窓に移しながら外の景色をぼんやり眺める。知らない景色が猛スピードで流れる。


いつものことだ。

この母は、出掛けたい場所を見つけては、息子と私とを車に押し込んで、行く先も告げずに車を発進させるのだ。

後部座席から声が上がる。

「次のインターから下の道に下りるよ、もうすぐ着くね」

端末で見ていたのはトレンド情報ではなく、地図の情報だったらしい。

今回の目的地には、後ろの席の男も興味があったのか。

珍しいが、まぁ、どうでもいいことだ。



私は、実の両親との記憶が、あまり無い。私が『お母さん』と呼んでいた女性は、

10歳の誕生日に私と“お母さん”の血が繋がっていないことを説明してくれた。

それで私は、誕生日が数日しか離れていない“兄”は、兄では無く幼馴染だったのだと知ったのだ。


その時にはもう“母”も“兄”も、どうしようもなく私の母と兄だった。

もしも私が男として生まれていたら、もっと人生に前向きだったら、

こんな人物だろうなと、常に思わせてくれるのが兄だ。


血が繋がっていないにも関わらず、私と兄はよく似ている。

私も、既に30代後半に足を踏み入れた。世間で言われる適齢期を逃しつつあるとは思う。

「誰も居なかったら俺が結婚してやるよ!」

と、ことあるごとに兄は言う。


生来のポジティブさゆえ、兄は自身を好きなのだ。

だから、女になった自分自身のような私と、結婚したいと考えるのだろう。


私は、男の自分自身と結婚したいとは、とても思えなかった。

その程度には、自分のことが嫌いだ。


おかげで二人とも、いつまでも結婚できそうにない。

どうやら、母は気にしていない。

母は結婚せずに子ども、つまり兄を産んだ。

そして、とても楽しそうに日々を謳歌している。

あらたまって訊いたことは無いが、それが答えなのだろう。


もしも私が男だったら。兄ではなく母と結婚したかもしれない。

きっと楽しいだろう。母と兄と暮らす日常がただ、いつまでも続くはずだ。

でも、それは今、女のまま母と兄と暮らす日々と変わらない気がする。



ハイウェイをすべりおりて、車は低地の広道を進んで行く。

10歳の私が聞いた話を思い出す。

母は兄を妊娠したのが分かった時、結婚せず一人で育てる決心をした。


出産後入院した産婦人科の病室が6人部屋で。

兄が生まれた数日後から同部屋で一緒になったのが、私の実母だった。

2人はとても仲良くなった。それで互いの退院後も、赤ん坊を連れてよく一緒に過した。


私が2歳になる頃突然、私の実父が他界してしまった。

海外でのプロジェクトの途中だったらしい。

職場結婚だった実母はその仕事を引き継ぐため、

産休・育休からの復帰と同時に、まだ幼かった私を残して海を渡る選択をした。


母が、私を預かり、一緒に暮らしつつ育てる。

そして実母は、母と兄と私の3人分の生活費を毎月仕送りする。

その役割分担は今に至るまで続いていて、

おかげで我々3人は不自由なく、むしろ少し裕福なぐらいの生活が出来ている。

離れて暮らす実母も、一緒に暮らす母も。私にとって大事な母だ。



あくびをひとつ。自分の口があごと一緒に大きく開く。

行儀が悪いかもしれない。

生理的な涙で景色がぼんやりとにじむ。


「着いたー!!」

隣の席から嬉しそうな声が上がる。

車が停止する。

どうやら目的地のようだ。

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