プロローグ
■世界歴1895年6月7日(火)■
ーーー某所ーーー
「う、うわぁぁぁぁぁ!!」
「くっ…ナツキ……逃げなさい!」
小雨の降る夜、町外れの小道に幼い少年の声が反響します。
「キヒヒヒ……クソガキ……オマエ、なかなかの魔力を持っているな」
恐怖で座り込んでしまった男の子の前には異常に甲高い声で嗤う不気味な男が立ちはだかっています。
その右手で少年の母と思しき女を貫いて……
「うぁ……かあちゃん!」
少年の顔には目の前で脇腹を貫かれた母の血が飛び散っています。
「キヒヒヒ……逃がすものか。二人まとめて食らってやるわ……いや、ガキの方はグシャグシャに丸めて保存食の肉団子にしてやっても良いな……キヒ、キヒヒヒ」
男は少年にとどめを刺そうと左手を振り上げました。
「くっ……息子に……手は、出させない……」
「キヒヒヒ!面白い!その体で何ができる?」
「あなたを……道連れにするくらい……なら」
女は苦痛に顔を歪めながら男の腕を掴みました。
「生命力燃焼……魔力転換……魔力集中……禁術『影縛』」
それまで余裕を見せていた男も目を見開くほどの膨大な魔力が女の手に集まりました。そして魔力は強固な鎖となって不気味な男を拘束します。
「ぬっ!?ええい、死にぞこないが!止めろ、止めろ!」
男は必死の抵抗を試みますが、絡みついた鎖はびくともしません。
「……生命力超燃焼……魔力再転換……魔力超集中……さぁ……これで終わりよ、『破邪光星』」
女が片手で印を結ぶと膨大な魔力が一点に収束し、まるで一等星のような輝きを放つ球体となり、そのままゆっくりと男の身体の中へと埋まっていったのでした。
「ぐぇぁぁぉぁぁぉ!!!やめろ!やめろぉぉぉぉ…………………」
そして男は身体の内側から浄化の光に焼かれ、干からびたミイラのように骨と皮だけ残して息絶えました。
辺りも再び夜の帳に包まれ、さめざめと雨の降る音が際立ちます。
ドサッ……
女が力なく倒れ込みました。
「か……かあちゃん?」
少年は恐る恐る倒れた母のもとへと歩み寄ります。
「ナ……ツキ……良かっ……た」
「あ……あぁ……ぁ……かあちゃん!」
母の顔は暗闇でもはっきりと分かるほどに血の気が引いて白くなっています。
「ナ…ツ…キ……これからは…お父さんの言うことをちゃんと聞く……のよ?」
「……え?」
「お姉ちゃんとも……仲良く……するのよ?アキトやマフユのことを……ちゃんと……守ってあげるのよ?」
「何言って……いやだ……いやだよ、かあちゃん!」
町の方から警鐘の音が近づいてきます。
「か、かあちゃん!助けが来たよ!もう大丈夫だから!」
少年は泣きじゃくりながら母の体を揺すって話しかけ続けました。
「ありが……とう……ナツキ……じゃぁ、ママは少し眠るわ……ナツキ……大好きよ……」
女が最期に微笑むと、その体から力がふっと抜けそのまま眠るように息を引き取りました。
間もなく駆けつけた警察官が何度も少年を母の遺体から引き離そうと試みましたが、少年は母の遺体にしがみついたまま声をあげて泣き続け、ついに泣き疲れて眠ったところを遅れてやってきた父親に引き取られたのでした。
このとき、ナツキ・マミヤ5歳、アスカ・マミヤ享年26歳。
翌朝のとある地方紙だけがこの日の出来事を小さく「通り魔事件」として記しました。