7 『神権国家』
頭が痛い。
床が冷たい。
ユリウスは、いつもと違う感触を感じながらゆっくりと瞼を開いていく。
そこは、冷たい小部屋だった。
殺風景な何もない灰色の景色が目の前には広がっていた。
いつも目覚めると傍にいた金髪の少女はいなかった。
そこまで考えてユリウスは、昨晩のことをようやく思い出していた。
その思い出は、朝の目覚めには少々劇薬だった。
(何が、ヴィクトリアを護るだよ!くそがっ!!何もできていないじゃねーか。それどころか俺の方が護られているじゃねーか。)
思い出しただけで、怒りがふつふつと湧いてきた。
その怒りに任せて、ユリウスは、石でできた床を思い切り叩いた。
自分のせいで義姉が傷ついたことに憤りを感じていた。
その事実はユリウスの精神を疲弊させるに足るものだった。だから、スキルも発動しないで--スキルが発動するようになっていたかは分からないが--ただ、黙って床を殴っていた。
それは、自傷行為にも似たものだった。
一〇代の若者が石を殴れば、その勢いによって激しく自分が傷ついてしまう。それは、自明の理だろう。
だが、彼は、自分を傷つけずにはいられなかった。
痛みを与えることが何の解決にもならないことは分かっていたが、それでも彼は痛みを自分に科したかった。
涙も床にこぼれた。石畳の床が涙で濡れて少しだけ黒く染まる。
「くそがぁあああ!」
動物の鳴き声にも似た咆哮を上げる。
それでもなお怒りの感情は収まらなかった。
「うるさいぞ!しばらくすれば国王陛下がお前の罪状を告げにやってくる、心して待つんだな」
看守らしき人がユリウスに声をかけてくる。看守は、鎧も着ていない、ポセイドンの印が入った楔帷子を着た、最低限の装備しかしていないおっさんだった。
(随分、無防備だな。これならば、脱出できるか?)
そう思ってスキルを発動しようとするが、スキルは全くと言っていいほど発動しなかった。
(昨日から、どうなっているんだ⁉)
スキルを使えないユリウスは、ただ、自分の無力さに打ちひしがれていた。
そして、もう一つの事実にもユリウスは気付いてしまう。
この国において、国王陛下からの罪状が言い渡される事の意味を思い出してしまう。
この国では、犯罪が起きて、罪状と罰が確定した時、その罰が“死刑”である場合のみ、国王は、これを死刑囚に直々に言い渡すことになっている。
この死刑囚に対する国王への最後の謁見はこの国において最後の審判と呼ばれていた。
その行為の理念は、死刑囚に対する最後の救いらしい。
国王を崇拝するものにとっては、国の象徴である国王を最後に見られることは最高の幸せらしい。
「まあ、僕にはその気持ちは分からないけど。…それより、もう、ヴィクトリアには会えないのかぁ」
ユリウスは独房の中、諦めの心を白い吐息ににじませる。
*
ユリウスが独房で、ヴィクトリアの思い出を振り返っていると、声が聞こえた。
「国王陛下との謁見の時間だ。早く立て!」
例の看守がユリウスに声をかけてきた。
「あんたら、もしかして、スキル封じのスキルでも持ってんのか?」
ユリウスは虚勢を張って、思いついた仮説を確かめようとする。
バンッ
「ちっ。罪人のくせに生意気な奴だな。こんなのが国王陛下と謁見するなど畏れ多いことだな」
看守はバカにするようなユリウスの態度が気に食わなかったのか、火のふくような勢いでユリウスを殴りつけてきた。
ペッ
殴られて口腔を傷つけたユリウスは、口の中の血を床に吐き出す。
「国王が住まう場所を穢すな!」
ダン
もう一度、看守はユリウスを殴り飛ばした。
その勢いでユリウスは床に転々と転がってしまう。
「このゴミがっ!死ね、死ね、死ね!」
追い打ちをかけるように看守の狂った蹴りがユリウスに入る。
ユリウスはぐったり倒れながら、自分の死を覚悟していく。既に何もかもを諦めていた。
「こら、やめんか!」
その時、低いバリトンの声がした。
厳つい顔をしたおっさんが看守の暴力を止める。
髭を蓄え、腹を出し、筋肉を携えた岩男のようなおっさんがそこにはいた。
どことなく野生動物のような鋭い目がライオスを連想させる。
「はっ。すみません、国王陛下。生意気な囚人だったため、私が国王陛下に代わって罰を与えていました」
看守がかしこまったように敬礼をする。
「二度と勝手なことをするでない!もし、次同じようなことをしたら貴様も罪人とするぞ!」
激しい剣幕で国王は看守を怒鳴る。
看守は、怒られたことに動揺しながらも、
「申し訳ございませんでした。以降、気を付けてまいります」
国王に謝りを告げる。
「分かったならよい。下がっていいぞ」
「陛下っ!罪人と二人きりなどというのは危険でございます、何卒ご再考を!」
「儂がこんな小僧に遅れをとる可能性があると貴様は申すのか?」
国王の睨みは凄みを感じさせた。
それに、看守は、一瞬、身震いをして、次の瞬間には立ち去って行った。
立ち去る瞬間、彼は、ユリウスのことを激しく睨んできた。
(そんなに睨んでどうするんだよ。僕は今から処刑されるんだぜ?二度とお前とは会わねーから安心しろよ、バーカ)
ユリウスは心の中で強がりを告げて、改めて国王陛下を見つめる。
「それで?僕はお前の馬鹿息子をやっちまったから死刑なのか?」
態度だけは不遜になって、からかうように最高権力者に対して疑問を告げる。
「ふんっ。あんな、弱っちい息子のことなぞどうでもいいわい」
国王は、罪人にバカにされたことにも腹を立てた様子もなく、ユリウスをただ黙って見つめる。
「じゃあ、何の罪なんだよ。」
この国で一番偉い人に対してユリウスは唾を飛ばすように怒鳴る。
「知らねーよ、ガキが」
「なっ!知らないってどーいうことだよ!てめぇが指示したんじゃねーのか!僕を捕まえろって!」
「ああ、そうだ」
国王の言葉にユリウスは理解が追い付かない。
何の罪かは知らないけれど、僕には罪がある。それで、死刑となる。
たちの悪いなぞなぞだろうか?
ユリウスは、緊張からか、唾をぐっと飲み込んで改めて虚勢を張って王様に問う。
「お前ら、日本語分かる?何を言っているか説明しやがれ!」
ユリウスの怒鳴り声に対して、ユリウスの言葉なぞ、どうでもいいというように国王は、ため息を吐く。
そして、
「てめぇが自殺するように取り計らえっていうのが、あの方からのお達しなんだよ!だから、てめぇはそのナイフで自殺しな!言っておくが拒否権はねーぞ!」
「なっ!無茶苦茶すぎるだろ!この国は法治国家だぞ!しかも、僕を殺すのではなくて自殺させる意味も分からねーんだよ!くそったれ!」
大体、あの方っていうのは誰のことだよ!
「これだから、ピーピーわめくガキは嫌いなんだよ!いいか、よく聞け、小僧。この国は、法治国家でもなければましてや、絶対王政でもねーんだ」
それは、ユリウスが知るカンブレラ王国を全面から否定する言葉だった。
「じゃあ、なんだって言うんだよ!」
ユリウスは何故か寒気を感じた。
重要なことを聞かされる予感がした。
国王は、黙ってユリウスを見つめ、やがてポツリと告げる。
「この国はな、神権国家なんだぜ」
『シンケン国家』という聞きなじみのない単語を口に含んで長い間、咀嚼する。
それでもユリウスはその言葉を呑み込むことはできなかった。
そこには、二人のヒトが立っているだけだった。