どうして
【身体技術は基礎の基礎だ。前線に出ずとも、磨いておいて損はない】
ふふん、と鼻を鳴らして得意げにするダリオだった。
シオンはすぐにハッとして彼女の手を取った。
「レティシア! こっちに!」
「はい!」
片腕で抱いて走り出すと同時、熱光線が雨あられと地表に降り注いだ。
クロガネもまたヒスイの背に乗ってそれらを間一髪で回避していく。
とはいえ彼女らは防戦一方だ。黒竜と対峙するにはあきらかに分が悪い。シオンはざっくりそう見積もって、走りながらクロガネらへと叫ぶ。
「それじゃ、まずは俺たちでノノちゃんの動きを止めます! その間に、クロガネさんは呼びかけてあげてください!」
「あいよ! ヒスイ、頼んだよ!」
『承知いたしました!』
ヒスイが横手に飛び去ると同時、シオンもまた右足を軸にして体を捻る。その勢いを殺さぬままに、まっすぐ黒竜へと向かって行った。思惑通り、狙いがシオンに集中する。
『GAAAAAA!!』
撃ち出される熱線を剣先で弾く。平原のあちこちが焼け焦げ、湧き上がるどよめきを背にしてシオンは走る。あっという間に黒竜の足下にまでたどり着いた。
「レティシア! 頭を低く!」
「は、はい!」
ぎゅっと抱きついてくるレティシアをしっかり抱きかかえながら、シオンは黒竜の足下をくぐり抜けた。背後に回ってすかさず魔法を解放する。
「《バインドウィップ》!」
「《平服せよ》!」
地表から突如として生えた、何十本ものツタ。
淡い光をまとったそれが勢いよく伸び上がって黒竜の体を大地につなぎ止めた。
黒竜はその拘束を振り払おうと暴れるものの、ツタはびくともしなかった。
レティシアが黒竜の力を奪っているからだ。その証拠に、彼女の右手には竜の神紋がうっすらと浮かび上がっている。
「今です、ヒスイさん!」
『ああ!』
ヒスイが黒竜の眼前に飛んでくる。
その背中に乗ったクロガネが、もう一度声を張り上げるのだが――。
「ノノ! あたしの話を聞いて――」
『…………ッッ!』
黒竜はその言葉を、声にならない絶叫でかき消した。
そのまま全身の力を振り絞る。
巨体を縛る拘束がギシギシと軋む。鱗がひび割れ、体にツタが食い込んでもかまうことなく黒竜は叫び続け――その体が白く輝く。
『AAAAA!!』
黒竜は体を捻り、天に向かって熱光線を打ち上げた。
嵐のような熱風が平原中を蹂躙し、あちこちから悲鳴が上がる。
まばゆい光が曇天を貫き、黒竜の真上だけに青空が広がった。
差し込む陽光が照らし出すその体には、痛々しい痕が刻まれていた。ツタの拘束は完全に燃え尽きていた。黒く焼け焦げた足元の大地に、赤い血がしたたり落ちる。
そしてその前には――。
「ヒスイ……! しっかりしな!」
「う、ぐ……」
竜の姿が取れず、人間形態に戻ったヒスイがぐったりと横たわっていた。
白煙の上がる彼女のそばに寄り添ってクロガネは懸命に呼びかける。クロガネを庇い、熱風の直撃をくらったのだ。
「そ、そんな……ヒスイさんが……」
シオンとともに地面に伏せていたレティシアは、その光景を目の当たりにして小さく息を呑んだ。
距離を取って見守っていた竜人族やその他の種族らも同様だ。自分らの対面している脅威の大きさを思い知らされたと言いたげに、誰もが青い顔で口を閉ざしている。
しかしその恐怖を乗り越えて、武器を握り直す者もいた。
今はまだ平原はしんと静まり返っている。
それでもそのうちに、やられる前にやれと決起する者たちが増えてくることだろう。
(それはマズい……俺がノノちゃんをなんとかしないと)
さらなる決意を胸にして、シオンはゆっくりと立ち上がった。
静かな平原に、その足音はやけに大きく響く。黒竜がぴくりと首を回して振り返る。
「レティシア。ちょっと試したいことがあるから……離れてくれる?」
「な、何をするつもりなんですか?」
「まあ、うん。ちょっとね」
蒼白な顔で尋ねる彼女に、あいまいな笑みを返しておく。
レティシアは躊躇いながらもおとなしく距離を取ってくれた。
シオンは黒竜と睨み合う。魔剣をしかと構えてこれ見よがしに切先を向ければ、黒竜の目がギラリと輝いた。
「クロガネさん、作戦変更です。ひとまず無力化するしかありません」
「し、しかしシオン……!」
「大丈夫。可能な限り手加減しますから」
冷たく言い放てば、クロガネはそれ以降の言葉を飲み込んだ。拘束が不可能なのは明らかだ。
「おいで。俺が相手をするよ」
『ッ……GAAAAAA!』
宣言すると同時に、黒竜が体をねじってシオンに食らい付こうと飛び込んでくる。
見上げんばかりに巨大な顎門は、断頭台を思わせた。瞬く間もなく眼前に牙が迫る。仮にそれを避けたとしても、体当たりだけで相当なダメージを負うだろう。
だからシオンは魔剣を大きく振りかぶり――。
「ごめんね、ノノちゃん」
ためらうことなく、投げ捨てた。
見守っていた者たちが引き絞るような声を上げる。次の瞬間、彼らが目にしたのは黒竜に食いつかれ、胴から真っ二つになったシオン――ではなかった。
もっと信じられない光景を前にして誰もが言葉を失った。
「ど、どうして……」
クロガネの呆然としたつぶやきが、痛いほどの静寂を裂く。
黒竜はシオンに食らいつく寸前でぴたりと制止してしまっていたのだ。シオンが何をしたのか、何が起こったのか、誰も分からないようだった。
目の前の黒竜に、シオンは静かに語りかける。
「ノノちゃん。俺はきみがどれだけ悪さをしても、きみを退治したりしないよ」
『っ……』
それに、黒竜が大きく打ち震えた。
破壊衝動に染まっていたはずの瞳が揺れて、シオンからそっと視線を逸らす。
そのまま彼女は体を丸め、大きく頭を垂れてしまった。それはまるで叱られた小さな子供のような行動であり、莫大な力を有する邪竜にはまったく相応しくないものだった。
喉の奥から絞り出す鳴き声も、隙間風のようで弱々しい。
シオンの頭の中に、いつものノノの声が響く。
『どうして……? ノノは、悪い子なのに……』
「本当にノノちゃんが悪い子だったら、あのまま俺を食べてたはずだって」
シオンはにっこりと笑って、その鼻先をそっと撫でる。
続きは明日更新します。




