猛獣の理
「うわっ!」
「くっ! シオン……っ!?」
とうとうシオンは雪に足を取られて転んでしまう。
そこへ狼たちが襲いかかる。ヒスイが声を上げて飛び出そうとした。
しかし、シオンはそれを片手の平をかざして制止した。彼女にだけ見えるように。
衣服は多少ボロボロになったが、それだけだ。いくら噛み付かれようと、彼らの牙や爪はシオンの皮膚を切り裂くことはない。今のも適当に転んだふりをしただけである。
その理由はもちろん、男らの様子を探るためだ。
案の定、シオンが無様にやられれば男らはゲラゲラと耳障りな笑い声を上げた。
最初の威勢の良さから一転これなのだから、さぞかし油断を誘えたらしい。無駄口を叩く余裕も生まれてくる。
仲間のひとりが、呆れたようにカルロを見やる。
「せっかく捕まえた竜人族のガキを使うんですか? 五体満足で連れて帰れば、ドンもお喜びになるでしょうに」
「なあに、気にするな」
その進言をカルロは意にも介さなかった。
白いローブをまくりあげて、右腕をかざす。
そこにあったのはふたつの証しだ。手の甲には深紅の神紋、手首のあたりには紫色の神紋。
「こいつがあれば、どんな魔物だろうと俺の意のままだ」
「はっ、羨ましいことで。俺がもらったのなんか、正しい道が分かるだけの神紋だぜ。こんなのここ以外で何の役に立つんだか」
「そう言うなよ。おまえだってのし上がれば、もっと強力な神紋をいただけるはずだ。なんせ、うちのドンはもうすっかり奴らのお得意様だからな」
そのカルロの言葉を受けて、他の者たちも様々な反応を示した。
自身の右手を感慨深げに撫でる者。カルロに妬みの眼差しを向ける者。
狼たちの猛攻をやり過ごしながら、シオンはそっとその様子を観察していた。
(なるほど、この人たちも神紋手術を受けたのか……)
結界を抜ける者、狼を従属させる者、迎撃する者……そうした力を好きに得ることができるなら、狼狩りも思うがままだろう。
カルロの口ぶりからするに、彼らのボスは神紋手術を行う勢力とつながっている。
それはひょっとすると、この前レティシアを襲った男たちとも関係があるのかもしれない神紋を複数所持していた。
(思わぬ手がかりを掴めたのはいいけど……こっちはどうしようかな。師匠ならおかまいなしで闘うんだろうけど)
たしかダリオも先日、人々を操る敵と一戦交えたはず。
そのときは人質に傷ひとつ付けることなく、相手を余裕で無力化した……らしい。
できればシオンもそれに倣いたいのだが――。
「ためしに……《フリージング》!」
「キャンッ!」
一瞬の隙を突き、シオンは身をよじって雪の上を転がる。そのついでに氷の魔法を狼たちへとお見舞いした。氷は蜘蛛の巣のように広がって、彼らの足を地面につなぎ止める。
簡易的な拘束だ。これで一時的に動きを止めて、その間にカルロらを討つ――そんなシンプルな作戦だったが、すぐに切り替えざるを得なくなる。
「グルゥアアアアア!」
「っ……!?」
彼らが拘束から逃れようと暴れ始めたからだ。
リュートも爪や足が傷つくのにもかまわずにもがくため、微細な血のしずくが飛び散って雪原に赤を刻んだ。
「まずい……! 《フレア》!」
威力を弱めた炎の魔法を使い、シオンは氷の拘束を解除する。
どうやら自分の身を守るような意識は残されていないらしい。
あのまま放っておけば、足がちぎれてでも拘束から抜け出そうとしただろう。
(となると身動きを奪うのはダメか……かといってこれだけ興奮していると、眠らせるのも一苦労だしな)
数が多いし、そう簡単に意識を奪えるとも思えない。
術者のカルロを叩くのも避けた方がいいだろう。男の周りには付かず離れず大きな狼が何匹も控えており、有事の際は盾に使うつもりなのが明らかだった。
シオンは自身を包囲する狼らと距離を取りながら、じりじりと後ずさる。
それを見て、カルロは肩を揺らしてくつくつと笑った。
「くっくっく……少しはやるようだが、諦めた方がいい」
男は己の力を誇示するように右手を翳す。
あまたの兵士を従えながら、勝利を確信したように叫んでみせた。
「この獣神紋で従えた獣は、どれだけ傷付こうが俺のためだけに働く! 死という恐怖を克服した、最強の兵士たちだ!」
「……なるほど?」
シオンはふむ、と考え込む。
カルロの言うことが本当なら、たしかにそれは頼もしい戦力だろう。
「だったら……試してみるか」
「はは、好きなだけ足掻いてみるがいい。どのみち食い殺されるのがオチだがな」
余裕を崩すことなくカルロは嘲笑を浮かべてみせる。
シオンはそんな彼にはかまわなかった。リュートや狼たちをぐるりと見回す。そうしてゆっくりと息を吸った。狼たちが脚に力を込める。
彼らが地を蹴るその寸前、シオンは彼らに魔剣を向けた。
だがしかし、それを振るうことはない。
放つのは、何ら力を持たないたった一言。
「動くな!」
『ッ……!?』
その瞬間、狼らの動きがぴたりと止まった。
突然のことにカルロはうろたえ、唾を飛ばして指示を飛ばすのだが――。
「おい、どうした! 早くそいつを……っ!?」
狼たちの体はぐらりと揺れて、ゆっくりと雪の中へと倒れ込んだ。
リュートも眠るようにくずおれる。
「っ……リュート!?」
そんな弟の元へと、ヒスイは慌てて駆け寄った。
抱きかかえて体を揺すれば、リュートはすぐに目を覚ます。ゆっくりとまぶたを開けば、そこから現れた瞳はいつも通りの彼の色に戻っていた。
焦点の定まらない目でヒスイを見上げ、リュートはかすれた声をこぼす。
「あ、あれ……姉ちゃん? なんでここに……」
「リュート! 私のことが分かるのか!?」
「リュートくん、大丈夫!? これ、何本に見えるの?」
「三本だけど……ノノまでどうしたんだよ」
リュートはふたりに詰め寄られ、目を白黒させる。
しかしその受け答えははっきりしていた。
倒れた他の狼たちも、よろよろと起き上がってかぶりを振る。
彼らは夢見心地でぼんやりしているものの、もうシオンに襲いかかってくることはなかった。みな憑き物が落ちたような目をしている。
そのせいでますますカルロはうろたえた。
「なっ、狼たちが……! 貴様、いったい何をした!?」
「何って、簡単なことですよ」
「っ……!?」
シオンは肩をすくめて、今度はカルロへ魔剣を向けた。
たったそれだけで男の顔は哀れなほどに青ざめる。他の男たちも同様で、だらだらと冷や汗を流したまま動こうとはしなかった。
彼らの面相には一様に、鮮烈な恐怖が張り付いていた。
巨大な獣に睨まれたネズミな男たちに、シオンは淡々と言葉をつむぐ。
「あなたはさっき言いましたよね、『死の恐怖を忘れた最強の兵士だ』って。だから……本当の死の恐怖ってやつを思い出させてあげたんです」
「ま、まさか……殺気だけで俺の洗脳を解いたというのか!?」
「そういうことですよ。いい気はしませんけどね」
シオンは小さくため息をこぼした。
彼らを救うためとはいえ、本気の殺気を向けてしまったのだ。
頭の中で、シオンは彼らを手際よく殺す算段を入念にシミュレートした。魔剣で首を撥ね、拳で四肢を折り、魔法でその身を千々に刻み――辺り一帯を血に染めた。
殺気を躊躇いで濁らせるわけにはいかなかったからだ。
それはけっして心地よい想像ではなかった。
かぶりを振ってそのれを捨て去ろうとするシオンに、カルロは吠える。
「面白い! この炎陣のカルロに本気を出させ――ぐべっ!?」
そのまま何やら呪文を紡ごうとするものの、シオンの拳が彼の顔面を打ち抜いた。
鈍い音がしてカルロの体は勢いよく吹っ飛んだ。そのまま雪の中に埋没し、ぴくりともしなくなる。
「なっ、カルロ様がやられただと……!?」
「てめえ……! よくもやったな!」
殺気に当てられていた他の男たちが、それを契機に動き始める。
とはいえ、武器を構える者よりも逃げ出そうとする者の方が過半数を占めた。
そんな男たちの位置をシオンは素早く確認する。まわりにはまだ、気を失った狼たちが倒れている。彼らが巻き添えになるのを防ぐため、魔法を放とうとしている者を最優先で狙いを定めた。一瞬で殲滅の計画は整った。
「すみません。俺はちょっと怒ってるんです。一応、話が聞けるように手加減しますが……恨まないでくださいね」
「ぐはっ!?」
悲鳴がいくつも折り重なり、すべてに片が付くまで一分とかからなかった。




