雪原へ
森はどこまでも同じ景色が続いているように見えていたが、北へと向かうにつれて少しずつ変化した。鬱蒼としげる緑が日光を遮り、薄い霧が出てひどく暗い。
いつの間にか、数メートル先も見えなくなった。
リュートの足跡などを探して追おうにも、これでは難しいだろう。
さらにあちこちで茂みが揺れて、不思議な気配が索敵を遮った。
「これは……ほんとにどっちに行けばいいか分からないな」
「大丈夫なの、おにーちゃん。あっち」
背中のノノが、ためらうことなくまっすぐ指を差す。
シオンはそれに従って進むことにした。
ノノの指示はころころと変わり、数歩歩けば真逆を指すようなこともあった。しかし、そうやって進むにつれてどこかに近付いていくことをシオンは肌で感じていた。
自分ひとりではこうもいかなかったはずだ。
「結界ってやつか……リュートくんもひょっとしたらここで迷ってるのかもしれないな」
「ううん、リュートくんは抜け方を知ってるって言ってたの。大人から前に聞いたんだって」
「へえ。それじゃ、ノノちゃんもクロガネさんから聞いたの?」
「ううん。なんとなく道が分かるの! ノノのおとーさんも、こういうところを抜けるのが昔から得意だったんだって」
「ノノちゃんのお父さんか……そういえばまだお目にかかったことないね」
「じゃあ、おにーちゃんも今度いっしょに会いにいこ」
「お父さんとは別々に暮らしてるの?」
そういえば、以前ノノがさらわれたとき『お父さんのところに行こうとした』と言っていた。
里ではそれらしい人を見た覚えがない。
すると、ノノはシオンの背中で小さく笑う。
「里近くの森の中に、お墓があるの。おとーさん、ノノが生まれてすぐお星様になっちゃったんだって」
「……ごめん。辛いことを聞いたね」
「ううん、いいの。ノノにはおかーさんとか、みんながいるから寂しくないもん」
「そっか。ノノちゃんは偉いなあ」
シオンは小さく嘆息する。
自分の両親は故郷の村で健在だ。こうして旅に出ることを決めてからはろくに会えていないが、まめに手紙を出すようにしていた。
どちらが欠けても、シオンは永遠に消えない傷を心に負うだろう。
こんな小さな子がその痛みを乗り越えて笑う姿に、強く胸を打たれた。
だからシオンはそれに倣い、さっぱりと笑う。
「じゃあ、今度俺も挨拶に行かないとね。たくさんお花を摘んでいこうか」
「うん! おとーさん、きっとよろこぶと思うの!」
ノノは声を弾ませる。
そんな話をしていると、次第に霧が晴れはじめた。霧の向こうから風の音がかすかに届く。
「あっ、おにーちゃん。そこで止まってなの」
「うわっ」
言われた通りに足を止めれば、残った霧が突如として巻き起こった烈風に攫われる。
目を開けた後、そこに広がっていたのは驚くべき光景だった。
「すごいな……こんな場所があるんだ」
見渡す限りの大雪原だ。
起伏に富んだ地面には背の高い針葉樹がぽつぽつと生えていた。
空は一面に雲が広がっているものの、日の光がかすかに差し込む。聞こえるのは、ひらひらと舞い落ちる綿雪が地表に落ちるかすかな音だけだ。
まるで時が止まったような、静かな景観だ。
だが、今の季節は初夏だったはず。
酸素濃度は変わりがないため、このあたりの標高が特別高いわけでもない。
不思議がるシオンに、ノノは得意そうに言う。
「おかーさんが言ってたの。魔狼族のおうちは、一年中冬なんだって」
「そうなんだ。ノノちゃんは物知りだなあ」
「えへへ、頑張ってお勉強してるから……へくちっ」
「あっ、そうだね。寒いよね」
慌てて魔法を唱え、風を自分とノノの周りに纏わせる。
飛行魔法の応用だ。手足がかじかむような冷気が去って、じんわりとした温かさに包まれる。
「とりあえず魔法で温かくしてみたけど……どうかな?」
「ありがとうなの、おにーちゃん。早くリュートくんを探そ」
「そうだね、ここまで来れば痕跡も見つかるだろうし」
雪原には多くの足跡が刻まれていた。
そのほとんどは魔狼族のものだろうが、根気強く探せばリュートがどこへ向かったのかも分かるかもしれない。
(幸い、血の臭いはしない……たぶんあの子は無事だ)
とはいえ急いだ方がいいだろう。
ノノを背負ったまま再び歩き出そうとした、そのときだ。
「よかった、追いついたな」
「へ?」
頭上から声がかかり、大きな影が目の前に降り立った。
積もった雪が高々と舞い上がり、シオンは目を丸くする。
そこに立っていたのは里の女性衛士、ヒスイであった。
「ヒスイさん! どうしてここに!?」
「……里付近を警邏中、子供らに会ったんだ」
ヒスイは硬い面持ちでかぶりを振り、翼を収める。
こぼれるため息は真っ白だが、凍えるそぶりはまるでない。
どうやら寒さがかすむほどの憤りを持て余しているようだった。
「あいつらから事情を聞いて、急いで駆け付けたんだ。大勢で押し掛けるのも奴らを刺激させかねんゆえ、ひとまず私ひとりでな」
「そうだったんですか……でも、ヒスイさんはすごいですね。ここまでの森を抜けるの、俺たちもけっこう時間がかかったのに」
「はあ……? いったい何を言っているんだ、おまえは」
ヒスイはシオンの背後に広がる森を顎で示す。
密集した木々の向こうには、やはりあの濃霧が満ちていた。
彼女は眉をひそめながら呆れたように続けた。
「こんなまやかしの森など、空を飛んで越えれば済む話だろう」
「…………まったくその通りですね」
シオンはしみじみとうなずくことしかできなかった。
言われてみれば、森の上空は霧がかかっていない。どうやら結界の効力は地表限定らしい。
落ち込むシオンに、ノノがあたふたと声を掛ける。
「ご、ごめんなさいなの、おにーちゃん。ノノもすっかり忘れてたの」
「ノノちゃんは悪くないよ……俺の考えが足りなかったんだ」
「ふん、それだけ必死に駆け付けたというわけか」
ヒスイはかすかに鼻を鳴らす。
ぐるりとあたりを見回してから、彼女はシオンに向き直った。
「このあたりにリュートの姿は見当たらないようだが……私がここに来た以上、よそ者のおまえがこれ以上首を突っ込むいわれはない。ノノ様を連れ、里に戻るがいい」
「そういうわけにはいきませんよ」
シオンはきっぱりと言って首を横に振った。
「リュートくんがこんな危険な真似をしでかしたのは、俺の責任でもあるんです。一度首を突っ込んだ以上、あの子の無事が確認できるまで帰るわけにはいきません」
「ふっ……そうか。おまえならそう言うと思ったよ」
ヒスイはほんのわずかに口角を持ち上げて笑う。
それは、皮肉でも呆れでもない柔らかな表情で――シオンはおもわず目を丸くしてしまう。
(あれ? なんかヒスイさんの態度が変わった気がするな……)
他の竜人族に比べ、彼女はシオンに対してある程度の敬意を払ってくれていた。
とはいえよそ者であることには変わりはない。
線引きは明確で、これまで深く関わることなかった。
首をかしげるシオンに、ノノがこそこそと耳打ちして教えてくれる。
「おにーちゃん知らないの? ヒスイはね、リュートくんのおねーちゃんなの」
「えっ!? ご姉弟だったんですか!?」
「なんだ、知らずに遊び相手になってくれていたのか」
ヒスイは肩をすくめてみせる。
遠くを見るようにして目を細め、こぼすようにして言う。
「リュートは年の離れた弟なんだが……普段両親も私も忙しく、あまりかまってやれなくて寂しい思いをさせてしまっているんだ。だが、ここしばらくは楽しそうにしていてな。おまえのおかげだろう、礼を言わせてくれ」
「いえ、お礼をされるほどのことは何も――」
「しかし、だ」
そこで途端にヒスイの顔が険しくなる。
槍を握る手に力を込めて、彼女は小刻みに肩を震わせた。
「この行動はいただけない。勇敢と無謀をはき違えるなど……愚弟め、見つけ出したらただじゃおかん」
「あーあ。リュートくん、またしばらく外出禁止なの」
「よくやらかしてるんだね、あの子……」
ともかく三人での捜索が開始となった。
あたりには他の生き物の姿はなく、しんと静まりかえっている。
「それにしても、ここはぐるっと結界に囲まれているんですね。よほど他の種族を入れたくないんでしょうか」
「ああ、この地に住まう魔狼族は我らよりも排他的だからな」
ヒスイは雪面に目を落としながら小さくうなずく。
「ノノ様のお父様……ビャクヤ様がいらしたころは彼らとも交流があったんだが……ここ十年ほどはとんと没交渉だな」
「なるほど……その方が両者を繋ぐ窓口だったんですね」
「その通り。ビャクヤ様は里の者だけでなく、他種族にもお優しい方だったからな」
「おとーさん、よく迷子の狼さんを森に帰してあげてたんだって」
ノノは得意げに言う。
何度もヒスイやクロガネから聞かされたエピソードなのだろう。
それが分かってシオンはふんわりと笑うのだが、ヒスイは対照的にため息をこぼしてみせた。
「だが、やつらが領土を閉ざす気持ちも分かるのだ。我らの言葉も今では届かん。現状をなんとかしてやりたいのは山々なのだがな」
「何かあったんですか……?」
「……あまり、愉快な話ではないのだがな。実は――っ!?」
ドガァッ!
ヒスイが沈痛な面持ちで続けようとした、そのときだ。
離れた場所から轟音が上がり、数拍遅れて黒煙が空へと登りはじめる。音はさらにいくつも続き、それに紛れるようにして獣の咆哮が轟いて――シオンはいち早く動いた。
地面を蹴りつけて跳躍。そのまま風を操って空を駆ける。
「行きましょう! ノノちゃん、しっかり掴まっててね!」
「うん! いそいで、おにーちゃん!」
「リュート……! 無事でいろよ!」
ヒスイもそれを追い、三人はまっすぐその煙がたなびく場所へと向かった。
続きは明日更新します。
二巻は8/6発売!WEB版から半分くらい書き直しました。




