悲鳴
レティシアが修行を開始して三日目のこと。
その決定的な場面を、シオンは幸運にも目にすることができた。
沐浴を行っていた泉のほとりで、レティシアはゆっくりと息を吸う。今日は水着姿ではなく、いつもの法衣とひりつく緊張感をその身に纏っていた。
「それでは……いきます!」
短く息を吐き、両手を前に突き出す。
かすかに唇を震わせて、ゆっくりと唱えるのは自然の理に働きかける呪文。最後の仕上げにレティシアは力ある言葉を口にする。
「《フレア》!」
ぽんっ。
その途端、かざした手のひらに指先ほどの炎が生じた。
炎は気持ちよさそうにゆらゆらと風に揺れる。
それを前にしてレティシアはぱっと顔を輝かせた。
「で、できました! 回復魔法以外の魔法が、初めて使えました!」
「うむ、修行の成果だな」
ダリオは満足げにうなずいてみせる。
「その感覚を忘れるなよ、レティシア。汝は莫大な魔力も、それを操る素質もある。ただ、その術を知らなかっただけだ。一度成功してしまえば、あとは反復練習あるのみよ」
「はい! これからも頑張ります!」
レティシアはこくりとうなずく。
小さいが、たしかな進歩と言えるだろう。
ハラハラと見守っていたシオンもホッと胸を撫で下ろし、レティシアに笑いかける。
「すごいじゃないか、レティシア。ずっと練習してたもんね」
「えへへ……ありがとうございます。でも、まだまだですよ」
くすぐったそうにはにかみつつも、レティシアは魔法で生み出した炎を大事そうに胸に抱く。
「何かあったときに自分の身は自分で守れた方がいいですから。私、もっと頑張りますね。この前みたいに、シオンくんに助けてもらわなくても大丈夫なくらい強くなってみせます!」
「えっ、それは困るかも……」
「へ……?」
おもわず呟いてしまったシオンの台詞に、レティシアはきょとんとする。和やかな空気がそのせいで一変した。シオンは慌てて弁明する。
「あっ、そういう意味じゃないからね! レティシアが力を付けるのは大賛成だよ。ただ、俺はもっときみに頼ってもらいたいっていうか、いいところを見せたいっていうか……」
「えええっ!? そ、それってどういう……」
ついつい直球な言葉を発してしまい、シオンは途中で口をつぐむ。レティシアも大胆な台詞にたじたじだ。
ふたり赤い顔をして黙り込むと、ダリオが呆れたように手を叩く。
「青春劇はそのへんにしておけよ。今日はこの後ひたすら練習だからな、レティシア?」
「は、はい。頑張ります!」
無理やり気合を入れるようにして、レティシアはぐっと拳をにぎってみせた。
空気が変わったので、シオンもほっと息をつく。
しかし、そこでダリオは射殺さんばかりの目を向けるのだ。
「汝も汝だぞ、シオン。我に甘言を囁いたかと思えば、他の女子に目移りするなど」
「えっ、なんの話ですか?」
「ふんっ、色恋沙汰は英雄の嗜みだと言ったがな。汝も英雄への階段を上り始めたというわけか」
「い、いえ、俺なんてまだまだですけど……?」
「かーっ、物分かりの悪い弟子を持つと苦労するわ」
やれやれと嫌味っぽく肩をすくめるダリオだった。
首を捻るしかないシオンだが、ダリオはおかまいなしでレティシアを抱き寄せこれみよがしに頬擦りしてみせる。
「ふーん、汝よりレティシアの方が素直で愛らしいわ。今日もたっぷり指導してやるぞ」
「は、はい。ありがとうございます」
レティシアはいったん火を消して、ダリオに笑いかける。
「たくさん練習したら、呪文なしで魔法を使えるようになったりするんでしょうか。お師匠さんや、シオンくんみたいに」
「うむ。呪文は明確な魔法イメージを形作るのに必要なものだから、慣れれば省略することも可能だ。汝ならその段階に至るのもあっという間だろうよ」
「ふふ、本当ですか? そうなったら、お師匠さんのおかげですね。いっつも優しく教えてくださいますから」
「優しく教えるとか、そんな器用なことできたんですね、師匠……」
「そりゃ、女には優しくするものだろ。たとえ寝所以外だろうとな」
「お師匠さん、お昼寝がしたいんですか?」
下世話な話題が理解できず、レティシアは目を瞬かせる。
そのままの君でいてくれ……と祈りつ、シオンは片手を上げてみせた。
「それじゃ、俺はそろそろ行きますね。みんなもう待ってくれているはずなので」
「今日もガキどもの世話か? まったくお人好しなことだな。毎日毎日よくやるわ」
「あはは……里にいてヒソヒソされるよりはずっと楽しいですし」
ニヤニヤと揶揄するダリオに、シオンは頬をかく。
子供たちとノノの仲裁を行ってから、毎日彼らに呼び出されて遊び相手という重要な役目を拝命している。
人間の子供と違ってノノを除くみなが魔法を使えるため、遊び方は中々ハードだ。
だからこそ、シオンもいい経験になっていた。
「あの子たちと遊びながら、俺もいろんな魔法を練習しているんです。そのうち師匠にもお見せしますね」
「ほう、自ら学び始めたか。その向上心やよし! それでこそ我が弟子よ」
「でも大丈夫なんですか? 森の中で遊ぶなんて危ない気もしますけど……この前襲ってきた人たちの例もありますし」
「うん。だから俺が見ててあげてるんだ、この辺りは獣もいるみたいだしね」
初日に見かけた獣の痕跡は、あれから他の場所でもちょくちょく確認できていた。
今のところ獣本体を目にしたことはないが、警戒するに越したことはない。
「竜人族の大人たちも今は忙しいみたいだし。せめて俺が遊び相手になってみせるよ」
「ふふ、いいお兄ちゃんですね。シオンくん」
「そう思ってもらえているなら光栄だなあ。俺って一人っ子だったからさ」
外からやってきた人間ということもあって最初は警戒心剥き出しだった子供たちだが、もうすっかり懐いてくれている。
ただ――それも例外があった。
「でも、ひとりだけ……リュートくんって子は別なんですよね。俺に毎日勝負を挑んできて、何度負けても絶対諦めないんです。やる気はすごいと思うんですけど……ちょっと行き過ぎというか」
あの日惨敗を喫してから、彼は特別シオンにご執心だった。
めげない姿勢は素直に感心するのだが、シオンと遊びたがる他の子の邪魔をしてまで勝負をせがむので、ちょくちょく揉め事となっていた。
「ま、そろそろちゃんと話をしてみますよ。これ以上はあの子のためにもなりそうにないですし」
「ふふふ、なんだかお兄ちゃんみたいですね。頑張ってくださいね、シオンくん」
「レティシアも頑張ってね。それじゃ行って――」
「おっと。少し待て、シオン」
歩き出したシオンのことを、ダリオが軽い調子で呼び止めた。
泉を取り囲む森をぐるりと見回して静かに続ける。
「気を付けろ、今日は風が変だ。何か起こるやもしれん」
「何か、とは……?」
「さあな。そこまでは我も知らん」
ダリオは肩をすくめてみせる。シオンも師にならってあたりの様子をうかがうが、異変は何も見つからなかった。
しかし、ダリオが何の根拠もなくそんなことを言うとは思えなくて――。
「分かりました。注意してみます」
「おう、一応我も気を付けておいてやろう」
鷹揚にうなずく師に頭を下げて、シオンは足早に子供たちの元へと向かった。
魔法が使えるとはいっても、彼らはまだ幼い。予測不能な事態に見舞われたとき、自分たちで対処できるとは思えなかった。
そして、その嫌な予感は当たってしまう。
「きゃああっ!?」
「っ……!?」
あたりを警戒しながら歩いていると、いつもの広場から悲鳴が聞こえたのだ。
お待たせいたしました。二部ラストまで、しばらく毎日更新します!
そして二巻の発売日が八月六日に決定いたたしました。頭からかなりの加筆修正を行っておりますので、WEB版とはまた違った展開をお楽しみいただけることと思います。




