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小競り合い

 たしかにクロガネは男勝りだがかなりの美人だ。そして師匠は女好きという悪癖を持っている。そう考えると至極当然の事実ではあるものの……ちょっと受け止めきれなかった。

 シオンは頭を抱えるしかない。


「師匠は倫理観ゼロだって嫌というほど分かってましたけど……人妻に手を出すとか、さすがにどうかと思います!」

【バカを言え。あの頃あいつは独り身だった】

「そ、そうなんですか?」

【うむ。当時はそりゃもうヤンチャだったものよ、我にもあれこれ楯突いてな】


 ダリオはくすりと柔らかく笑う。

 遠い日々を懐かしむような声色ではあったが、すぐにそれは下品な哄笑へと変化した。


【ま、それでもベッドの上では可愛いものだったがなあ! だーっはっはっは! あんなに初心だったクロガネが、今や子持ちとは……時の流れとは分からぬものだわなあ!】

「師匠、あの人の前に顔を出さない方がいいんじゃないですかね……」


 シオンも次にクロガネに会ったとき、どんな顔をしていいか分からなかった。

 邪竜のことを聞ける空気でもなくなって、ため息をこぼすしかない。


「何をしている、人間」


 そんなとき、冷え切った声が背に突き刺さった。

 ダリオもぴたりと口をつぐむ。声の主に興味を引かれたらしい。

 針のような視線を受けつつも、シオンはその場でゆっくりと振り返り、軽く頭を下げてみせた。


「ど、どうもこんにちは、ヒスイさん。昨夜はお世話になりました」

「仮にも貴様はお屋形様の客人だ。もてなすのは当然だろう」


 鼻を鳴らして答えるのは竜人族の戦士、ヒスイである。

 その後ろには何人もの武装した兵士が控えている。誰も彼もがシオンに険しい目を向けていたものの、ヒスイに比べればマシな方だった。

 彼女は射殺さんばかりの殺気を放ちながら、シオンをまっすぐに睨め付ける。


「こんな何もない場所で、ひとり何をぶつぶつと喋っているのだ。妖しい呪いでもかけているのではあるまいな」

「滅相もないです……! ちょっと俺、独り言が癖でして!」


 シオンはあたふたと弁明する。

 周囲に人がいないからと、念話しなかったのがまずかった。


 ヒスイは眼光をわずかにも弛めることなく、シオンの一挙手一投足を観察する。槍を持つ指先が白くなるほど、その手には力が入っていた。


「いいか、人間。昨日のドラゴンどもを蹴散らしてくれたことは感謝している。だが、私たちは決して貴様を認めたわけではない。それをゆめゆめ忘れぬことだ」

「分かっています。皆さんの邪魔にだけはなりません」


 それが、よそ者にできる精一杯の心構えだ。

 シオンもまたまっすぐにヒスイを見据える。

 しばしふたりの間に言葉はなかった。ただ湖畔から静かな風が吹くだけだ。


 先に視線を外したのはヒスイの方だった。

 かぶりを振ってから里の真上、族長の館を指し示す。


「ならいい。早く館に戻って――」

「団長、人間相手に遠慮する必要なんてありませんよ」


 そこに口を挟んだのは、彼女の後ろに控えていた戦士のひとりだった。

 体格のいい男の竜人族で、ずいっと一歩前に出てシオンと対峙する。その目に浮かぶのはありありとした敵意の色だ。手にはヒスイと同じ槍を携えている。


「あいつを……裏切り者のグルドを倒したのだって、きっとまぐれに決まってる。もしくは何かカラクリがあるんだろう」

「人間め! 早く俺たちの里から出て行け!」

「そうだそうだ!」

「っ……やめろ、おまえたち!」


 他の者たちも同調して騒ぎ立てる。

 ヒスイは彼らを静めようとするものの、一度点いた炎は燃え上がるばかりだった。


「ここは、人間風情が訪れていい場所ではない!」

「っ……!」


 男が動く。その足運びは独特で、まるで氷の上を滑るようにして瞬く間もなくシオンの前へと躍り出た。眼前に迫る、冷えた切っ先。


 昨日の河原では不意を突いたため、竜人族に先手を打たれるのはこれが初めてだった。

 魔力の気配は感じない。単純な身体能力だけでこのスピードを成し遂げている。人間の形をしていながら、人間ではけっしてありえない彼の動きにシオンは少し面食らう。

 しかし――それだけだ。


「すみません」

「っ……!?」


 男の手首を瞬時に極めて、ほんの少し外側へとひねる。落とした槍を膝で蹴ってキャッチ。

 くるりと回せば、勢いのままに飛び込んできた相手の首筋に切っ先がひたりと添えられた。


 そのまま彼は蒼白な顔で凍り付く。囃し立てていた者たちも、ヒスイもまた同様だ。

 おそらく誰も、今のシオンの動きが視認できなかったのだろう。

 ダリオがくつくつと笑う。


【くっくっくっ……お優しいことだなあ、シオン。不届き者に手加減してやるとは。我ならこんなバカ、再起不能になるまでボコって躾けるところだが】

(まあ、この人たちがイライラする理由も分かりますしね……)


 装備を見るに、日頃から里を守っていた者たちなのだろう。それがぽっと出のよそ者、しかも人間などに守られる形になったのだ。面白いはずがない。


 ゆえにこの場は話し合いで納めるのがベストだった。

 瞳を泳がせる彼へ、シオンは軽く頭を下げて頼む。


「ご迷惑をかけてしまって申し訳ありません。用事が済んだらすぐに出て行きますので……こんな喧嘩はやめにしませんか?」

「くっ、貴様……! 我らを侮辱するのもいい加減に――」


 男の顔が怒りで真っ赤に染まる。

 しかし――。


「やめな、見苦しい!」


 折良く響いた怒声によって、その色は瞬時に消え去った。

 男は慌ててシオンから身を引くと、他の面々と同じようにして胸に手を当てて敬礼する。

 そこにやってくるのはクロガネその人である。

続きは明日更新します。

書籍版一巻発売中です!加筆修正満載かつ、書き下ろしもあるのでどうぞよろしくお願いします。

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