竜人族の里
その里は、巨大な湖に面した見上げんばかりの崖に存在していた。
ゆるやかな斜面をくり抜いて居住スペースがいくつも作られており、それらが階段や縄梯子で繋がれている。大いなる自然と人工物が見事に調和した、絶景と呼ぶにふさわしい光景だ。
だがしかし、目を奪われてはいられない。
その上空には何匹ものドラゴンが旋回し、あたり一帯に目を光らせていたからだ。
族長の館は崖の最上部に建っていた。最奥に存在する謁見の間は湖に面する壁が取り払われており、里を取り巻く自然を一望できる。
素晴らしい眺望を背にして、王座と呼ぶべき椅子が据えられていた。
クロガネはノノを抱いたままそこに腰を落とし、にこやかに告げる。
「改めて名乗らせてもらおう。黒刃の里、族長のクロガネだ」
「は、初めまして。シオンです」
「レティシアと申します……」
その真正面に立たされて、ふたりはそろって小さく頭を下げる。
目標としていた人物にこうもあっさり出会えてしまったせいで
「固くなるんじゃないよ、シオン。おまえはあたしらの客人だ。くつろいでおくれ」
「そう言われましてもね……」
シオンはちらりと周囲をうかがう。床を覆うのは毛足の長い上等な絨毯。背後の壁には大きな肖像が飾られているし、テーブルに置かれた水差しには粒の大きな宝石が光る。
まさに、異国情緒漂う王宮だ。
それだけでも落ち着かないというのに、場の空気がひどく張り詰めていた。
その原因となっていたのは出入り口を固める竜人族たちだ。
全員が武装しており、そろって険しい目をシオンらに向けていた。中でも特に若葉色の髪をした女性の眼光は刺すように冷たく、レティシアなど完全に縮み上がってしまっている。
しかしそんなことなどおかまいなしで、ダリオは気楽な調子でシオンに話しかけてきた。
【おおっ、あの緑髪の娘はなかなかの上玉だな。シオン、ワンチャン口説いてみてはどうだ?】
(嫌ですよ! この冷え切った空気の中で、よくそんな冗談が言えますね!?)
【冗談? 我は本気だぞ。ああいう無愛想な女こそ、落ちるときは一気にコロッと落ちるものだ。年上と遊ぶのもいい人生経験になるぞー】
(だーかーらー……俺はそういうふしだらなイベントは求めてませんってば!)
こそこそとダリオと念話をする中、クロガネが入り口の彼女らに声をかける。
「ヒスイ、おまえたちは下がっていいぞ。勝手に出歩いて悪かったな」
「……」
ヒスイ、と呼ばれたのは緑髪の女性だった。
彼女は苛立ちを隠そうともせずに小さく息をつき、クロガネを睨む。
「御屋形様。今がどのような状況であるのか、お忘れではありませんか」
「ばっちり覚えているともさ。そこそこ長く生きちゃいるが、まだ耄碌してないからね」
「安心いたしました。このヒスイ、よもや我が主が血迷ったのかと憂慮しておりましたゆえ」
ヒスイは恭しく頭を下げる。
しかし次に顔を上げたあと、そこに浮かんでいるのはひどい渋面だった。シオンらを顎で示し、彼女は横柄に続ける。
「それならば……この者どもを里へと招いた理由をなおさら図りかねます。今の時期、迷い込んだ人間などを助けて我らに何の利があるというのですか」
「えっ」
その不可解な言葉に、レティシアがハッと声を上げる。しかしヒスイに真っ向から睨まれてしまい、慌てて顔を伏せる羽目になった。シオンはひとまず黙って事態を見守る。
やがてクロガネがこちらをちらりと見やってから、かぶりを振って言う。
「そう邪険にするんじゃないよ。谷で迷ったなら、放り出すわけにもいかないだろ。ここを守護するのはあたしの役目だ」
「グルドどもの……いえ、他陣営の斥候でない保証は?」
「あたしの目が信じられないって言いたいのかい? こいつらは信用できる。間違いないよ」
クロガネとヒスイは真っ向から睨み合う。
主従の域を超えた熾烈な鍔迫り合いは、不可視の火花となって場をヒリつかせた。
一触即発の空気の中――。
「あのー……」
シオンはおずおずと手を挙げた。
全員の注目が突き刺さる。
それに臆することもなくシオンはヒスイに向き直って膝をつき、深々と頭を下げた。
「お騒がせしてしまって、本当に申し訳ありません。少し休ませていただいたら里を去ります。竜人族の皆さんには、これ以上ご迷惑をかけないようにいたしますので……どうか、しばらくここに留まることをお許しください」
「……多少は礼儀を弁えているようだな」
ヒスイは小さく鼻を鳴らす。
面白がるような声色だ。しかし、その眼光が和らぐことはなかった。
「だが、人間の言葉など耳を貸すに値せん。早く消えろ。それと……」
彼女はクロガネへ――クロガネが抱いたままのノノへと目を向けた。
胸に拳を当てて敬礼し、固い声で続ける。
「ノノ様、侍女たちが血相を変えて探しておりました。もう二度と、ひとりで里の外へと足を踏み入れぬよう。ゆめゆめご留意ください」
「ご、ごめんなさい、なの……」
ノノは蚊が鳴くような声で謝罪する。
それを聞き届けてから、ヒスイらは謁見の間から出て行った。
しんと静まりかえった部屋に、クロガネのため息が響く。
「……悪いね、話を合わせてもらって」
「いえ、何か事情があるんだろうと思いましたから」
シオンは軽い笑みを浮かべて立ち上がった。
しばしクロガネは頭をかいて悩み続けていたものの、意を決したように口を開く。
「ま、この際だから正直に言うけどねえ。今この谷は戦争状態なんだ」
「同じ竜人族といがみ合っているんですか……?」
「それもある。さっきの奴らはうちの里から離反したグループだ。お頭って呼ばれてた奴がいたろ?」
「は、はい」
ノノに刃を突き付けた、卑劣な男。
おそらく彼のことで間違いないだろう。
「奴は冷眼のグルド。この里の元ナンバーツーだ」
「元ってことは……離反した?」
「そのとおり。同調した手下を引き抜いてな。おまけに最近じゃ、他の里に声を掛けて軍勢を増やして……あたしの首を狙っているってわけよ」
「それはまた……大事ですね」
「だろ? おまけに敵はあいつらだけじゃないのさ」
クロガネは指折り名前を並べ立てていく。
「牛頭族、天翼族、スライム族に獄兎族……今はありとあらゆる種族どもが、この谷の覇権をかけていがみあってる状態なんだ」
「えっ……でも、この谷は竜人族が昔から治めているって聞きますけど」
ずっと昔から、ここは竜人族の領土だった。
その他の種族は支配者である彼らに忠誠を誓う。
そうした体制が今になって崩れたというのは、にわかには信じられない話だった。
「それは数年前までの話だな。あのころ、大きな戦があって……」
クロガネは少し言葉を濁す。美しい瞳にかすかな陰が落ちたものの、彼女はそれを振り払うようにして大仰に肩をすくめてみせた。
「ま、ともかく数年前に色々あって、我らが竜人族の影響力ってのが地に落ちたのさ。同盟関係にあったはずの他種族からは没交渉をくらったり、領土も侵略されっぱなし。そんななか、愛娘の姿が見えないと思ったら……こんな手紙が届いてね」
胸元から取り出すのは一枚の紙切れだ。
クロガネが手を離せばひらりと舞って音もなく炎が上がり、床に落ちるより先に灰も残さず燃え尽きた。
「『ひとりで来なけりゃ娘の命はない』とかなんとか。芸のない脅しだったが……ありゃ本当にヤバかったよ」
「ごめんなさいなの、おかーさん……ノノのせいで……」
「気にするんじゃないよ、ノノ。ノノはあいつのところに行ってたんだろ?」
「……うん。新しいお花、おとーさんにとどけたかったの。そこで、あのおじさんたちに捕まって……」
「じゃあノノは何も悪くない。あのゴミクズ野郎が全部悪いのさ」
小さくなるノノの頭をぐりぐりと撫でまわしてから、クロガネは顔を上げてニヤリと笑う。
「ともかく、シオンがあいつらをぶちのめしてくれてせいせいしたよ。ありがとな」
「い、いえ、当然のことをしたまでです」
シオンは動揺しつつも軽く会釈する。
あの一連の事件を見て何か起きているとは思っていたが――戦争とは物騒にもほどがある。
「ひょっとして……邪竜が復活したって噂と何か関係があるんですか?」
「邪竜……?」
「はい。街で噂になってるみたいなんです」
まず浮かんだのはその疑念だ。
その言葉を口にした途端、クロガネの顔が一気に曇った。羽虫でも払うようにして手を振ってみせる。
「人間どもはずいぶん古い逸話を知ってるんだな……だが、その話はよしてくれ。思い出したくもないんでね」
「あっ、はい……すみません」
シオンはおずおずと頭を下げるしかなかった。
どうやら、よほど邪竜にいい感情を抱いていないらしい。
深く反省してから、シオンはもう一度口を開く。
「でも、それならさっきのヒスイさんたちの反応も納得ですよ。そんな大変な状況で俺たちを招き入れていただいて……本当に大丈夫なんですか?」
「……だからさっきの方便だよ」
クロガネは悪戯っぽくニヤリと笑ってみせた。
座から立ち上がって景色を見渡し、軽い調子で言う。
「今、この里はピリピリしている。そんな中、族長のあたしが敵にむざむざやられそうになったなんて知られちゃマズいだろ?」
「なるほど……」
あの一幕は族長である彼女の敗北だ。
そんなものが明らかになっては、竜人族全体の士気低下につながることだろう。周囲すべてが敵という事態において、それは紛れもなく最悪の展開だ。
「そういうセコい計算も上に立つものとして必要でね。可能ならおまえの無双っぷりを里中吹聴して回りたいところなんだが……まあ許しておくれよ」
「俺は別に気にしませんよ。でも……理由は体面だけじゃありませんよね?」
冗談めかして言うクロガネの目を、シオンはじっと見据えて続ける。
「族長様は俺たちを戦争に巻き込みたくないんです。違いますか?」
「ふっ……クロガネでいいさ。恐れ入った。腕が立つだけじゃなくて頭も切れるじゃないか」
クロガネは口の端を持ち上げてかすかに笑う。
目を瞬かせるノノの頭を撫でて、低い声を絞り出す。
「おまえは、あたしとノノを救ってくれた大恩人だ。これ以上うちのゴタゴタに巻き込むわけにはいかないからね」
「いやでも、さっき思いっきり首を突っ込んじゃいましたけどね……」
「なあに、とっとと谷を出て行けば問題ないさ。あいつらもよそ者の人間にやられたなんてメンツに関わる。言いふらしたりなんかしないよ」
せせら笑うように肩を震わせてから、彼女は肘掛けにもたれて問う。
「で、だ。あたしに聞きたいことってのは何だい? 大恩人の頼みだ。できる限り答えさせてもらうよ」
「あ、ありがとうございます!」
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