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邪竜

 呆れるシオンに、ダリオは不服そうな声を上げる。


【そうは言っても、旅で出会った行きずりの美女と一晩中……なーんて展開、汝も興奮するであろう? それこそ旅の醍醐味だろうが!】

(出会いかあ……それなら俺は美人より、強い相手の方が嬉しいですね)

【純情で戦闘狂とか、我でも引くぞ……?】


 ダリオは心底理解できないとばかりにぼやいてみせた。

 それを言うならシオンはシオンで色々言いたいこともあったが、水掛け論もいいところなのでぐっと堪えてスープを飲み干した。


 皿を片付けようとして――そこでふと手が止まる。


(あ、そうだ。強い相手といえば……)


 脳裏をよぎるのは、先日フレイと別れた際に交わした会話だった。

 彼はシオンに紹介状と谷までの地図を渡した後、小さくため息をこぼしてみせた。


『くれぐれも気を付けろよ、シオン。あの谷は竜人族だけでなく、数多くのドラゴンが暮らす場所なのだが……どうも最近きな臭い噂を聞く』

『噂ですか?』

『ああ、なんでも――』


 そうして彼が口にしたのは、シオンにとっては書物で親しんだ名前だった。

 ぼんやりとその名をつぶやく。


「邪竜かあ……いったいどれくらい強いんだろ」

「む」


 そこで、レティシアもまた手を止めた。

 不思議そうに首をかしげる。


「邪竜さんって……フレイさんがおっしゃっていた悪い竜さんですよね。復活したかもしれない、っていう」

「そうそう! 千年前に賢者ダリオが戦ったんだ。当時は世界最強のドラゴンだって噂されていたんだよ!」


 シオンは意気揚々と語る。

 ついでに荷物からごそごそと私物の本を取り出した。

 もちろん、賢者ダリオの冒険をまとめた辞典的な一冊だ。街を発つ前に買い求めておいた。


 千年前に実在した英雄、賢者ダリオは数々の逸話を残した。

 国の危機を救ったり、世界中に名を轟かせる傑物に打ち勝ったり――そうした伝説の中でももっとも有名なのが、邪竜との一騎打ちである。


 当時、邪竜は世界中で暴れ回った。

 それとダリオは三日三晩をかけて戦い抜いた末、封印することに成功したのだ。

 該当のページをめくれば、筋骨隆々とした男性と巨大なドラゴンが対峙する挿絵が載っている。それを見してダリオが【チィッ! その本でも我はおっさん扱いか……!】と盛大な舌打ちをしたが、聞こえなかったことにした。


 実際のダリオがどんな人物であったかは嫌というほどに知ってしまったが、そんな今でもシオンにとって邪竜との一騎打ちは一番好きなエピソードだ。

 おもわず声を弾ませて熱く語ってします。


「ほんっとワクワクするよね、邪竜ってどんな姿なんだろう。会えたりしないかなあ」

「シオンくん……なんだか楽しそうですね?」

「へ? そ、そんなことないけど」


 レティシアはじとーっとした目でシオンを凝視する。


「まさかとは思いますけど……邪竜さんと会えたら戦うおつもりなんですか?」

「ぎくっ……!」

「やっぱり!」


 シオンの肩が跳ねると同時、レティシアの目がすこしばかり釣り上がった。

 背筋を正し、こんこんとお説教を開始する。


「巻き込んだ私が言うのもなんですが、危ないことはやめてください。いいですね?」

「う、うん、分かったよ。でもさ……」


 その気迫に、シオンはこくりとうなずいてしまう。

 レティシアの心配が本物だと分かったからだ。

 しかし、すぐにごにょごにょと言い淀んでから、ぴっと人差し指を立てて頼み込む。


「たまたま出くわして、相手がやる気になったら……ちょっと戦ってみてもいいかな?」

「ダメですよ! そういうときは逃げるに限ります!」

「だったら三分でもいいから! ね!?」

「時間の問題じゃありません!」


 そのまま平行線の議論が火蓋を切った。

 静かな河辺に、そこそこ大きな声が響く。

 そんな中、ダリオはぼんやりとした様子でぼやいた。


【ふむ、邪竜か……懐かしい名だなあ】


 その声は不思議なトーンを秘めていた。

 敵に対する容赦のなさとはまるで異なり――どちらかといえば、親しみのこもったものだった。しかしシオンらに対するものに比べれば嗜虐性が多分にブレンドされている。


(そういえば、邪竜との対決の話はまだちゃんと聞いてなかったな……)


 食事が済んだ後ででも、こっそり尋ねてみよう。

 そう考えたそのときだ。

 シオンはハッとして、右手のひらをレティシアの顔の前にかざす。


「ちょっと待って、レティシア」

「む、誤魔化してもダメですよ。ちゃんと話し合いを――」

「そうじゃなくて。しーっ」

「……?」


 口元で人差し指を立ててみせると、レティシアは素直に口を閉ざしてくれた。

 ふたりして黙りこめば、周囲の音が際立つ。

 ゆるやかに流れる小川の音。木々の葉がこすれる音。そして――。


「……話し声がしますね」

「だね。向こうに誰かいるみたいだ」


 木々が隠す、曲がりくねった小川の対岸。そこからいくつもの声が聞こえていた。

 しかもそれらはどこか荒々しく、一時の休息を求めた旅人のものとは思えない。

 シオンはそっと腰を浮かせる。


「ちょっと様子を見てくるね。レティシアはここで……いや、一緒についてきてもらえる? 俺のそばにいた方が安全かもしれないし」

「は、はい」

 レティシアも固い面持ちで立ち上がり、ふたり足音を殺して声のする方へ向かった。

続きはまた明日更新します。

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