騒動の後で
その数日後。
シオンはダリオとともに、街の一角に位置するカフェテリアにいた。
気取った外観で大通りに面しており、出てくるメニューも洒落たもの。そんな日の当たるテラス席で、シオンは苦笑する。
「師匠、まだ食べるおつもりですか?」
「ああ? 当然だろう」
横柄に応えながら、ダリオはショートケーキを大口を開けて頬張った。
テーブルいっぱいに並んでいるのはケーキやパイ、サンドイッチにホットドッグといった軽食だ。特大サイズのグラスに並々と注がれたジュースを片手に、ダリオはそれらを次から次へと胃袋の中へと収めていく。
目をみはるような美少女がそんな暴飲暴食に励んでいるせいで、通行人や他の客たちがギョッとしたような視線を向けてくる。
しかし、シオンはすっかり慣れたものだ。
空になった皿を回収しつつ、グラスにジュースのおかわりを注ぐ。
「実体化にかなりの魔力を消耗するから、栄養を取る必要があるってのは分かりましたけど。そんなに食べすぎて、お腹を壊しても知りませんからね」
「バカを言え。英雄がこの程度で腹を下すか」
シオンの心配をよそに、ダリオはからからと笑う。
しかしそうかと思えばにんまりと笑みを深め、フォークでケーキを切って「あーん」と差し出してくる。
「ほれほれ、そこまで物欲しそうに見るのなら、汝にも施しをくれてやろう。美少女の『あーん』だぞ、ありがたく受け取って――」
「いただきまーす」
「んなぁっ!?」
シオンは躊躇なく、そのフォークに食いついた。
もぐもぐと咀嚼していると、ダリオはつまらなさそうに眉を寄せてみせる。
「むう。女慣れしておらぬ汝なら、絶対怖じ気付くと思ったのだが」
「残念ながらもう慣れました。師匠は師匠です」
「なんだつまらん。弟子が生意気で、我の心はしくしく痛むなあ」
ぶちぶちと文句をこぼしつつ、ダリオはケーキをぱくついていく。
それを見守りながらシオンはホッと胸をなで下ろした。
(慣れたとは言っても、やっぱり多少はドキドキするんだけどな……)
ずっと実体化し続けるのは疲れるらしく、今は一日三時間ほどが限度らしい。
たったそれだけで済んでいるので、シオンはかなり救われていた。師と一緒にいるのがけっして嫌なわけではないのだが、この通り非常に距離感が近いので心臓が誤作動を起こすのだ。
(相当気に入ってくれてるのは分かるから、嬉しいっちゃ嬉しいけど……複雑だよなあ)
シオンは苦笑をこぼしつつ、先ほど売店で買い求めた新聞を取り出す。一面に大きく飾られている記事をざっと読んで、ため息をこぼしてみせた。
「はあ。今日も一面トップですよ、デトワール悪霧事件」
「そりゃまあ、この街がまるごと被害を受けた大事件だ。当分は騒がれるだろうよ」
ダリオは平然と相槌を打つだけだ。
新聞に書かれているのは、先日このデトワールの街を襲った怪事件のことだ。
濃霧が街を覆い、すべての市民が気を失った。
幸いにしてみなすぐに意識を取り戻したため、大きな事故や火事に繋がることはなかったものの、全員がしばらくの間、神紋の力をうまく振るえなくなった。
大きな街なので、かなりの人々がその被害を受けてしまった。
相当なパニックとなり、他の町から多くの救助が駆けつけた。シオンも荷物運びや怪我人の手当てにあちこち走り回ったものである。
だがしかし、今ではほとんどの人がその後遺症から立ち直っていた。
街は元の活気を取り戻し始めており、通りを歩く人々の顔もどこか明るい。
そんな光景にほっとしていたシオンだが――往来を行く人々が、自分を見てこそこそと言葉を交わしていることに気付いてしまう。
「あっ、あそこにいるのって無神紋のシオンじゃね?」
「本当だ……! すげえよな、神紋もないのに魔法が使えるんだろ」
「噂じゃ、悪霧事件の犯人を捕まえたのもあいつだって聞くぞ」
遠巻きに興味津々の眼差しを送るギャラリーたち。
それを一瞥して、ダリオは鼻を鳴らして笑う。
「やはり噂というのは侮れんな。もう街に汝のことが広まっているようだ」
「あはは……でもよかったです。レティシアのことは噂になっていないみたいですし」
シオンは新聞をぱらぱらとめくる。そこには悪霧事件の顛末が簡単に書かれていた。
悪夢事件の犯人は、とある冒険者の手によって捕縛された。犯人は捜査に非常に協力的で、逃走の恐れもなく、ギルドにて軟禁の上、現在も取り調べが行われている。
しかし、紙面では犯人の名前とその能力は、完全に伏せられていた。
シオンはレティシアの、あの日の言葉を思い出す。
『私、ちゃんとこの力のことを説明します。それで、お世話になったお爺さんとお婆さんに謝りに行きます』
レティシアはその言葉通り、まずはフレイにすべてを打ち明けた。
フレイは驚きつつもその事実を受け止めて、レティシアの身柄を預かり、現在もデトワールのギルド長と対応を協議している。
ダリオは悪戯っぽくニヤリと笑う。
「レティシアのことが心配ではないのか。あれからずっと会えていないだろ」
「大丈夫ですよ、フレイさんが『悪いようにはしない』って約束してくれましたし」
シオンも最初のフレイとの話し合いには付き合った。
そこで、レティシアは宣言通り、きちんと包み隠すことなく自身の力のことを打ち明けたのだ。それを見ているから、シオンは少しの憂慮も抱いていなかった。
「レティシアなら心配いりません。あの子なら、自分のやったことの責任を取れると思います」
「そうかそうか。ふふん、我が弟子は女を見る目があるな」
ダリオはくつくつと笑う。どうやらシオンと同じ思いらしい。
上機嫌な師匠にシオンも相好を崩すものの、別の気がかりがひとつあった。師の顔をそっとのぞき込み、小さな声で問う。
「それより俺は師匠の方が心配です。あの夜の殺気、あれ師匠でしょ。何か思うところでもあったんですか?」
「……それはまたおいおい説明してやろう。そんなことより早く給仕を呼べ。次はまたケーキを全種、三個ずつだ」
「はいはい。分かりましたよ」
シオンは言われた通りに注文を通す。
そんな弟子を横目に、ダリオはムスッとした顔のまま軽食をぱくついていく。そのスピードがすこしだけ速まったことに気付いたものの、シオンは指摘しなかった。
(今話す気はないってことか……まあ、また機嫌のいいときを見計らって聞くかな。万象紋についても、まだ何か知ってるみたいだし)
あの夜に感じた苛烈な殺気は、この世の物とは思えないほどどす黒いものだった。
ダリオがそこまで憎悪を燃やすとなると、きっと件の聖紋協会や彼女の姉にまつわることなのだろう。万象紋についても、詳しくは教えてもらえずにいる。
気がかりではあるものの、無理矢理聞くのは躊躇われた。
しばし師弟は無言のままで時間を潰す。
しかし、その気まずいひとときは、明るい声で中断された。
「シオンくん!」
「へ……レティシア!? それにフレイさんまで!」
「やあ、シオン」
見れば大通りから、レティシアとフレイが歩いてくるところだった。
ふたりとも数日前に会ったときと変わらず、むしろレティシアの方は以前よりずっと顔色が明るくなっている。
フレイはダリオに目をとめて、にこやかに頭を下げる。
「あなたがシオンの師匠だな。どうも初めまして、フレイ・レオンハートと申す者だ」
「うむ、ダリ……いや、ダンダリオンという。それにしても、驚きはしないのだな? 無神紋の無能をあそこまで鍛え上げたのが、こーんな奇跡の美少女だというのに」
「対面すれば、相手の力量はある程度分かるのでね。実際にお目にかかって、むしろ納得したくらいだ」
「うはは、それでいてなお深く詮索はしないか。いいぞ、長生きするタイプだ」
にこやかに言葉を交わすふたり。
そんななか、シオンは席を立ってレティシアに駆け寄る。
「どうだった、レティシア」
「はい。昨日、フレイさんに付き添っていただいて……お爺さんとお婆さんに謝ってきました」
「そっか……」
シオンはほっと胸を撫で下ろす。
老夫婦は事件の後レティシアの姿が消えて、ずっと心配していたのだという。事件を引き起こしたのがレティシアだと知っても、予想していたのか特に驚くこともなかった。
「それで、またいつでも帰っておいで、って言ってくださったんです。ご迷惑をたくさんかけたのに……本当に、ちゃんと謝れてよかったです」
レティシアは目の端に涙を溜めて、シオンの手をぎゅっと握る。
「シオンくんが背中を押してくださったおかげです。本当に、ありがとうございました」
「そんなことないよ。レティシアが勇気を出したからじゃないか」
シオンはそんな彼女に笑いかけた。
依然として記憶は戻らないし、謎の力を有したまま。それでも気掛かりがひとつ解消されたことで、心の重荷がかなり減ったようだった。
そのことが晴れやかな笑顔と、繋いだ手からじんわりと伝わる。
助けとなれたことがとても誇らしくはあったが……シオンは眉を寄せてしまう。
「でも、外に出てよかったの? 一応レティシア、事件の容疑者とかそんな扱いになるんじゃ……」
「は、はい……そのことなんですけど」
「それは私の方から説明しよう。そのために来たんだからな」
レティシアが言葉に詰まると、フレイが軽く指を鳴らしてみせた。
その瞬間、四人を取り巻く熱風の壁が築かれる。
ここからの話を外に漏らさないような配慮だろう。
壁の向こう側の景色は蜃気楼のように歪んでいて、これなら外からこちらの唇の動きを読むのも難しいはずだ。
続きはまた明後日更新します。
思ったより長くなったので、本章あと二回。




