卑劣な一手
シオンはレティシアを抱えたまま、人があちこちで倒れる通りをひた走る。
とはいえ速度はちゃんと加減した。あまり速すぎるとレティシアが舌を噛むだろうし、何より敵を引き離しすぎるのもよくなかったからだ。
「に、逃げるんですか!? それなら私を置いて――」
「残念だけど逃げるわけじゃないよ。戦いやすい場所を探してるだけ」
戦うならもう少し開けた場所で、なおかつ他の人を巻き込まないような場所がいいだろう。
(それに師匠の近くにいると、とばっちりを受けそうだしなあ……)
ダリオはどう見てもやる気のようだったし、へたに近くで戦うと巻き添えを喰らう恐れがあった。見た目は美少女だが中身はあれだ。
(あっちの敵の方も可哀想になあ……)
こっそり苦笑をこぼしたところで――。
「おっと」
「ひっ……!」
今度は頭上から何本もの街灯が降り注いだ。
軽いステップでかわしていくが、通り一帯を揺るがすほどの破砕音が響き渡る。レティシアが怯えてシオンの首にしがみついてきたので足を止める。
そこにゴルディスが現れた。男はシオンを睨め付け、低い声で告げる。
「鬼ごっこはもう終わりだ。観念しやがれ」
「そうですね、この辺りがちょうどいいかもしれません」
やみくもに走ってたどり着いた先は、だだっ広い空き地だった。建築予定地なのか、隅に木材などが積み上げられている。もちろん他に人影は見られなかった。
ここなら多少派手なことをしても、他人に迷惑がかかることもないだろう。
レティシアを下ろし、背中にかばう。するとゴルディスはニヤリと笑ってみせた。
「それにしても驚いた。さっきの女のガキといい……やっぱりおまえも俺たちと同じだったんだな」
「同じ……ですか?」
「おいおい、しらばっくれても無駄だぜ。万象紋の力をくらって平気なんて、これしかねえだろ」
ゴルディスは袖をまくり上げ、右手をかざしてみせる。手の甲に本来あるはずの神紋は輝きを失っていたものの――その前腕には、もう一つの神紋が描かれていた。
それは普通の神紋を模しているものの形が歪で、インクが紙に滲むようにして肌に黒ずみが広がっていた。
「神紋手術。おまえも受けたんだろ」
「なっ……!」
シオンは言葉を失うしかない。
人工的に神紋を付与するという裏の技術である。まっとうな人生を送っていれば、実物を拝むことはほとんどない。
(師匠が言ってた、この人たちが動けるカラクリってのはこれなのか……)
初めて見るその代物に、シオンはまじまじと見入ってしまう。ゴルディスは得意げに語る。
「生まれつき持ってる神紋は万象紋で打ち消されるが、手術で付け加えた方には効果がない。直撃をくらって起きていられる理由なんて、これ以外にはないはずだろ? だからおまえも――」
「ああ、いや。俺は単に元から神紋がないだけです」
「は……?」
こちらも右手をかざして訂正すれば、ゴルディスが目をむいて固まってしまう。しかしすぐにハッとして声を上げるのだ。
「まさかおまえ、無神紋か……!?」
「そうですよ。さっきの銀髪の子も同じです」
「そうか……そうかよぉ……!」
肩をすくめてみせれば、ゴルディスはますます笑みを深めてみせた。しかしそれは嘲りの笑みではない。昂る獣のそれであった。静まりかえった街に男よ雄叫びが響き渡る。
「ますますおもしれえ……! 俺の手下どもを瞬殺する無神紋か! 殺し甲斐があるってもんだ!」
「それは光栄ですね」
「し、シオンくん……!」
ゴルディスが地を蹴り、凄まじい勢いで飛びかかってくる。シオンはレティシアを下ろして背中で庇う。まっすぐ飛んでくる拳を、掌底で弾いて反らし、反撃に出ようとするのだが――。
(っ、重……!)
敵の打撃は想像以上に重かった。
反らすのを一瞬で諦めて受け止める。踏ん張ったものの、シオンの体は数メートルほど後ろに下がってしまう。そこにゴルディスは更なる追撃を畳みかけてくる。
「ハァッ!!」
歪んだ神紋が光を帯びたかと思えば、男の筋肉が風船のように膨れ上がる。
シオンよりはるかに大柄な巨体から繰り出される攻撃は、その図体からは想像もつかないほど素早く、まるで空を切り裂く雷のようだった。
その猛攻をいなしつつ、シオンは男の腕に光る神紋を見つめる。
(黒に近い緋色……赫神紋か。初めて見たけど、身体能力が格段に上がるっていうのは本当みたいだな)
魔法は不得手だが、桁外れのパワーを発揮できる神紋だ。なるほど、新たに付け加えるとするならば、これほど使い勝手の良い力はないだろう。
一撃一撃が岩を砕くほどに重く、瞬く間に何発もの打撃が抉るようにして繰り出される。だが――その程度だ。
「よし、だいたい分かりました」
「は――っ!?」
シオンは軽くうなずき、わずかに腰を沈める。飛んできた拳を受け流し、突き出た相手の腕を掴んで背負い投げの要領でぶん投げた。相手は勢いよく宙を飛び、資材の山に激突する。静まりかえった街中に、物々しい轟音が響き渡った。
もうもうと上がる砂埃を、レティシアが目を丸くしたまま凝視する。
「し、シオンくん……本当にお強くなったんですね」
「うん。師匠のおかげだよ」
肩をすくめて笑ったところで、ゴルディスが資材をどかして立ち上がってくる。すっかりボロボロではあるものの、シオンを睨め付ける目には鋭い光が宿っていた。
「てめえ……どうして剣を抜かねえんだ」
「そっちが抜いたら俺も抜きます。素手でかかってくる相手に剣なんて使いませんよ。だって卑怯じゃないですか」
「くっ、くく……おもしれえ! 赫のゴルディスといや、裏じゃそれなりに名が通ってるっつーのに……舐められたもんだぜ。ますますおもしれえ」
ゴルディスは肩を震わせてくつくつと笑う。
しかし――その目がすっと細められた。
「だからこそ……勿体ねえな」
「なに、が……?」
そこでシオンの視界がぐらりと傾ぐ。
何か攻撃を受けたのかと思ったが、ただ単に自分が体勢を崩しただけだった。全身から脂汗が吹き出して動悸が激しくなる。地面に膝を突いて喘ぐことしかできなかった。
レティシアが慌てて駆け寄ってきてシオンの体を支えようとしてくれるが、その途端に彼女の顔がさっと青ざめる。
「す、すごい熱です……! 大丈夫ですかシオンくん!?」
「……何かしましたか?」
「おまえと戦いてえのはやまやまだが、俺の雇い主は時間にうるせえんだ。早くそのガキを連れて行かねえと俺たちの命がない」
ゴルディスはため息混じりにそう言って、手にしていた短刀をかざしてみせる。その小ぶりな剣身は毒々しい紫色をしており、先から粘度の高い液体が滴り落ちていた。
「こいつは東の孤島に住まう魔獣の爪を鍛えた逸品でな。ドラゴンですら一時間もかからず死に至るっつー猛毒を出すんだ」
「なるほど……油断大敵ってわけですね」
シオンは己の脇腹をさする。言われなければ気付かないほど浅い傷だが、たしかに一撃をくらっている。見れば傷口の周囲が赤紫色に変色しており、じわじわと熱を帯びているのが分かった。
「だ、ダメです……! 私の魔法でも回復できない……!」
レティシアが血相を変えて回復魔法をかけてくれるが、快方に向かう兆しはない。
ゴルディスは唇を歪め、嘲るようにして続ける。懐から取り出すのは、透明な液体が詰まった小瓶だ。
「お嬢ちゃんがこれ以上抵抗せず大人しく捕まるっつーのなら……この解毒剤を渡してやってもいいんだぜ」
「っ……!」
レティシアがハッと息を飲む。
躊躇は一瞬だった。ぐっと拳を握りしめ、彼女はシオンを守るようにして立ちはだかりゴルディスに宣言する。
「分かりました。あなたと一緒に行きます」
続きは明日更新します。
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