裏切り
「ギャ……グルァ……」
それは一匹の大きなゴブリンだった。
身の丈はおおよそ五メートル。ずんぐりとした体躯には数多くの傷が刻まれていた。
その後ろから、通常サイズのゴブリン達が何匹も出てきて……。
(まずい……!? ゴブリンキングだ!)
ゴブリンはコロニーを作る習性があり、それを統括するリーダーが存在する。
まれにそのリーダーは、一般的なゴブリンを遙かにしのぐほど大きく成長することがあり……そうした個体を『キング』と呼ぶ。
並の冒険者では、いくら徒党を組んでも歯が立たない大ボスだ。
その巨体が、ゴブリン達の返り血を浴びたラギのことを、まっすぐ正面から見下ろしていた。
血走った目に宿るのは、たしかな殺意の光。
「っ……引き返せ、ラギ! 手を出すな!」
「うわあああああああ!?」
シオンの制止も聞かず、ラギはがむしゃらに剣を振るった。
並のゴブリンならばあっさりと斬り伏せられる一撃だ。
しかしその剣先は、ゴブリンキングの右腕をほんの少しかすめただけで弾かれてしまう。
それでもわずかに皮膚が裂け、そこからどろりとした血がにじむ。
ゴブリンキングは大きく息を吸い込んで――天地が戦慄くほどの咆哮を上げた。
「グガッ……ルアアアアアア!」
「ひっ……!? く、来るなあ!」
「ラギくん!? どこ行くのよ!?」
背を向けて駆け出すラギのことを、キングと他のゴブリン達が猛然と追いかけていく。
仲間たちは驚いて声を上げるものの、まだその場には敵が何匹かが残っていて、その行く手を阻まれる。
だからシオンはためらいなく動いた。
「俺が行って助けてくる!」
「だ、ダメです、シオンくん! 危険すぎます!」
「大丈夫! レティシアたちはここを片付けたら、すぐに拠点へ戻ってくれ!」
「シオンくん!?」
レティシアの制止の声を振り切って、シオンはラギたちを追いかけていく。
こうなったのはラギの自業自得ではあるものの……だからと言って、見殺しにはできなかった。
とはいえ、シオンは彼のように無策で飛び出したわけでもない。
(この辺の地理なら頭の中に入っている……! 先回り、できるはずだ!)
散々ラギ達にこき使われたおかげで、山の地理はある程度覚えている。
それが皮肉にも功を奏した。
木々の隙間を縫って懸命に走れば、なんとかゴブリンキングを避けてラギに追い付くことができた。
ラギは木の根で躓いたのか、地面に転んで立ち上がれずにいた。
そんな彼へ、シオンはまっすぐ手を伸ばす。
「ラギ! 掴まれ!」
「シオン……!? おまえ、なんで――」
「話は後! こっちだ!」
ラギを助け起こして、シオンはそのまままっすぐに駆け出した。
キングの咆哮はすぐ後ろに迫っており、木々を力任せに押し倒す轟音が断続的に響いてくる。
それでもなんとか目的の場所へたどり着いた。
木々が突然消え失せて視界が広がる。
肩を貸していたラギが、目の前の光景を見て小さく喉を鳴らした。
「《終わりの洞》……!? こんなところに来るとか正気か、おまえ!」
「ここ以外に選択肢はないだろ!」
それがいつからそこにあるのか、地元の者は誰も知らない。
深い森のただ中。
そこに広がっているのは、巨大な大穴だ。
小さな村くらいならすっぽり収まりそうなその穴はとても深く、ひたすら闇ばかりが広がっている。
かつてその穴の底を調べるために多くの冒険者が下りていったというが、帰ってきた者は誰もいない。
時折穴底からは亡者の呻き声が聞こえてくるという噂もあり……地獄に通じた大穴だと囁かれる不吉な場所だ。
穴に掛かっているのは、今にも切れそうな細い吊り橋ただひとつだ。
シオンはその橋を指差して作戦を告げる。
「あの橋を渡るぞ! ゴブリンたちが来る前に橋を落とせば、なんとか逃げ切れるはずだ!」
「わ、わかった……!」
危機的状況のためか、ラギは憎まれ口ひとつ叩くことなくうなずいた。
こうしている間にもゴブリン達はすぐ後ろに迫っている。
ふたりは必死になって吊り橋を渡る。
橋はひどく古びており、板が外れた箇所がいくつもあった。
それでも懸命に走ったため、対岸まではもう少し。
(逃げ切れる……!)
気が緩みかけた――そのときだ。
シオンの背後で何かが風を切る音がした。
「ぐあっ!」
「シオン!?」
頭に激痛が走り、シオンは橋の上で倒れ込んでしまう。
霞む目を開けば、すぐそばに石が転がっているのが見えた。赤い血が一筋、額を伝う。
ゴブリン達が石を投げたのだとすぐに分かった。
そして、奴らはもうすぐそばまで迫っていた。
倒れてしまった分、その耳を聾するほどの足音が体全体に伝わってくる。咆哮が轟き、殺気がシオンの背中を刺し貫く。
「ら、ラギ、助け……っ!?」
シオンは必死になって助けを求める。
しかしその言葉の続きは、喉の奥へと消えていった。
橋を渡り切ったラギは、倒れたシオンを見て――ぞっとするような薄笑いを浮かべていたのだ。
「はっ……雑用以外で、おまえが役に立つ場面が来るとはな」
彼はその手に剣を握っていた。何をするつもりなのか一瞬で分かった。
背中に冷たい汗が伝う。
「礼を言うぜ、シオン。俺の代わりに……死んでくれるなんてよぉ!!」
「ラギ! やめ――――」
シオンの叫びは、ゴブリン達の咆哮によってかき消され――ラギは躊躇なくその剣を振り下ろした。
橋を繋ぐ縄があっけなく断ち切られる。
ぐらりと足元の感覚がなくなって、シオンはゴブリンたちもろとも、深い谷底へと落ちていった。
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