久方ぶりの現実にて
本日はあと一回更新予定。
石碑に手をかざせば、まばゆい光があふれ出す。
目をつむってしばらくすると……そこはもう外の世界だった。
目の前に広がるのは鬱蒼と茂る森林の風景だ。
太陽が高く昇っており、気候は春めいていて心地よい。
そしてシオンのすぐ背後には《終わりの洞》と呼ばれる大穴がぽっかりと口を開けていた。
遠い昔に感じられるあの日、ゴブリンキングたちとともに落ちた場所である。
縁には橋の残骸がぶら下がっているが、ほかに人影は見当たらなかった。
シオンの腰に下がった魔剣――そこに魂を宿したダリオが愉快そうに話しかけてくる。
【どうだ、久方ぶりの外界は】
「そうですね、ちょっと新鮮です」
シオンははにかんで、ゆっくりとあたりを見回す。
あのデタラメな空間にも風があったし、匂いがあった。
だが五感に訴えかける情報量は、外の世界の方が段違いだ。
風がめまぐるしく変わる上、色彩も匂いも温度も、何もかも重厚だ。
そして何より、あちらこちらで小動物の気配がした。
「うっ……?」
そこで違和感がこみ上げる。何事かと考えるより先に――。
「うっ、ぐ……おげえええええええええ!」
シオンは木の陰に駆け込んで、そこで盛大に吐いてしまった。
胃の中がひっくり返るとはこのことで、四つん這いになってぜえぜえ呻くシオンへと、ダリオが気遣わしげな声をかける。
【おい、どうした。大丈夫か】
「ぐう……な、なんだか目が……目が回って……」
【はあ? ああ、なるほど。気配に酔ったか】
ダリオは合点がいったとばかりに相槌を打つ。
【無理もあるまい。あの空間には生き物が我と汝しかいなかったからな。いきなり外の世界に出れば、様々な動植物の気配を感じて混乱するのも当然だ】
「いやでも、前はこんなことなかったですよ……?」
木々に止まる鳥が、見なくても数えられる。
地を這う虫の足音が、耳元で鳴るように聞こえる。
風が運ぶ匂いによって、四方数百メートルほどの地形が手に取るようにわかる。
五感に訴えかける情報が、ここはあまりにも多すぎた。
こんなにも騒がしい世界でこれまで平然と生きてきたのかと、不思議に思うくらいである。
そう言うと、ダリオはからからと笑ってみせた。
【それだけ汝の感覚が研ぎ澄まされているということだろう。なあにすぐ慣れる。我も最初の内はちょっと寝込んだものだ】
「うう、意外な副作用で……っ!?」
【む、どうした】
そこで、シオンはハッと顔を上げた。
見据えるのは南東の方角だ。薄暗い森がずっと先まで続いている。
「今、たしかに声が……声がしました!」
【そりゃ、山の中だし声くらいは……って、おい。何処へ行く】
気配酔いなど一瞬で吹き飛んだ。ダリオに応える余裕もなく、シオンは一目散に走り出した。
木々があっという間に後ろに流れて消えていく。
体が軽く、大岩や木々を飛び越えて一直線に目的の場所を目指す。
そのうちに、声はハッキリと聞こえてきた。
逼迫した少女の声と、複数のゴブリンの咆哮。
シオンはまさにその現場へと、草木をかき分け飛び出した。
「レティシア!」
「っ……! し、シオンくん!?」
はたしてそこにはシオンのかつての仲間、レティシアがいた。
永劫にも思える時間を過ごしたあとの再会だというのに、彼女の姿はシオンの記憶とちっとも変わっていなかった。別れる前にシオンが巻いた右手の包帯でさえそのままだ。
そして、そんな彼女のことを三匹のゴブリンが取り囲んでいた。
ゴブリン達は突然現れたシオンに目をみはり、足を止める。
シオンはレティシアを背中で庇い、敵へと対峙した。
「下がってて。俺がなんとかするから」
「えっ、で、でもシオンくん……!」
慌てふためくレティシアを片手で制しつつ、シオンは腰に下げた魔剣に手を伸ばす。
(前は全然歯が立たなかった相手だけど……今は違う!)
かつてのシオンの剣では、ゴブリンに傷ひとつ付けることができなかった。
しかし今は違う。
気の遠くなるほどの修行の成果を試すときだ。
ゴクリと喉を鳴らし、剣をわずかに鞘から抜いた――そのときだ。
殺気を垂れ流していたはずのゴブリンたちが、一斉に体を震わせた。
「ギッ!? ギギギャアアアアアア!?」
「へ?」
割れんばかりの雄叫び――いや、悲鳴がすぐに上がった。
シオンが虚を突かれて目を白黒させる間に、ゴブリンたちは脇目も振らずに逃げ出してしまう。
仲間が転んでも助け起こそうともしなかった。命乞いにも似た悲鳴はすぐに遠ざかり、やがてそれらの姿は木々の向こうに消えてしまった。
「ええ……なんで逃げたんだろ」
剣の柄から手を離し、シオンは首をかしげるしかない。
ゴブリンがあんな風に逃げるなんて初めて見たからだ。
(…………腹の調子でも悪かったのか?)
ここから新章スタートです。プロローグ長くなってしまった……!
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