負けられない戦い
「さ、最悪すぎる……!」
プリムラの放った言葉に、シオンはうろたえるしかなかった。
火山までの道中でダリオと出くわしたまではよかった。そこで突然襲いかかってきたときも『魔剣を盗まれたからキレてるんだな……』と一瞬受け入れかけた。
しかし、そのダリオ本人が魔剣を手にしていたものだから肝を潰した。
おまけになんだか話が通じないしで――訳も分からずぶっ飛ばされて、ここに至る。
真っ青な顔で固まるシオンに、プリムラは言葉を続けた。
「シオンを初めて見たときは驚いたわ。なんせ、あの賢者ダリオの剣を所持しているんだもの。おまけにしばらく見ていたらダリオ本人まで出てきたし」
堂々と立つダリオをちらっと見やり、ふっと微笑む。
「だから、あなたの剣を借りさせてもらったの。この魔剣に魂を移していることはひと目見れば分かったから……剣に直接細工して、ダリオの記憶を書き換えたのよ」
「ちょ……ちょっと待って!? 待ってくれるかな!?」
あのダリオを洗脳し、手駒に加えた。
あまりに突飛な展開だが、とりあえずそこは受け入れる。
それよりもっと気がかりな点が存在した。シオンはごくりと喉を鳴らす。
「なんできみは、そのひとが賢者ダリオだって知ってるんだ……?」
ダリオの本当の肖像は、エヴァンジェリスタたちがすべて消し去った。
現世に伝わっている姿はどれも、いかにも英雄然とした男性のものだ。
この時代に生きるプリムラには知るよしもないことのはず。
「だ、ダリオさんが賢者ダリオ……? えっ、ええっ? でも賢者ダリオって大昔の人なんじゃ……」
「ごめん、レティシア。最悪のタイミングでネタばらししちゃって」
レティシアは目を丸くしてうろたえているし、これが普通の反応だ。
しかしプリムラは事もなげに言ってのける。
「知ってて悪い? こうやって会うのは初めてだけどね」
「はあ? 初対面のはずがないだろう。我にあれほど世話になっておいてよく言えたものだなあ、うりうり」
「あ、ああうん。そうね、ごめんなさい」
肩を組んでうざ絡みされて、プリムラはぎこちない笑顔を返す。
こんな展開でも、師は相変わらずのようだった。
しかしその身から立ちのぼる殺気は本物で、まっすぐシオンに向けられていた。
修行中の閉鎖空間で何度も味わい、恐怖心とともに染み付いたダリオの殺気。
しかし、今回のはそれをはるかに上回る密度と重さを持っていた。気を抜いたら最後、意識を持っていかれそうだ。
(本気で俺を殺るつもりだ……)
シオンは唇を噛み締めてそれに耐えた。唇がわずかに切れて血の滴が流れ落ちる。それでも、これから負うであろう傷に比べれば微々たるものだという確信があった。
覚悟と共に小さく息を吐き、レティシアを振り返る。
「とにかく俺は師匠をどうにかするよ。レティシアはプリムラを頼めるかな」
「プリムラさんを……」
レティシアは小さく息を呑んだ。
シオンと再会してほっと緩んでいた表情が、そこで急に青ざめる。
ぽつりぽつりと打ち明けることには――。
「実は……あのひとも万神紋を持っていたんです。しかも私以上の遣い手でした」
「次から次へと衝撃の展開が出てくるなあ……」
シオンは遠い目をするしかない。
情報を整理する時間が欲しかったが、敵はそう悠長に待ってくれないだろう。
手早く確認だけを済ませておく。
「それじゃ、レティシアには荷が重い?」
「……正直に言えばそうですね」
レティシアは重々しくうなずく。
だがしかし、その目には強い決意が宿っていた。彼女にしては珍しい闘志と呼ぶべきそれだ。
「でも、やってみます。あのひとを倒さないと、前に進めないと思うから」
「そっか。フォローはいる?」
「いいえ。私ひとりでやってみせます」
「分かった。なら任せるよ」
シオンはからっと笑う。
なんとなく、それだけで大丈夫だと確信できた。
「レティシアなら勝てるよ。自信を持って」
「はい。シオンくんもお気を付けて」
「話はまとまったか?」
ふたりして笑い合っていると、ダリオが口を挟んできた。
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべつつ、レティシアをじっと見つめて舌なめずりをする。完全に獲物を狙う肉食獣のそれだった。
「その娘も、なかなかどうして我好みの美人ではないか。略奪は得意分野だ。汝を斬り捨てて心置きなく可愛がってやろう」
「できるものならどうぞご自由に」
「はっ、面白い」
ダリオはにんまりと笑みを深めてみせる。
生ぬるい風が吹き、どこか遠くで雷鳴が響く。
そこで張り詰めていた空気が爆ぜた。ダリオが地を蹴り、シオンにまっすぐ突っ込んできたからだ。魔剣を構えたその姿は、悔しいことにひどく様になっていた。
「ならば遠慮なくやらせてもらう! この世のいい女は、すべて我のものだからなあ!」
「ほんっとどんなときでもその思考回路は変わりませんね!?」
シオンは急いで魔法障壁を張って防御するものの――。
ドッガアアアアアッッン!
ふたたび島を揺るがすほどの轟音とともにぶっ飛ばされ、あっけなく宙を舞った。障壁なんて薄い紙一枚くらいの意味しかなかった。
宙を舞いながら、シオンはぼんやりと思う。
(この人、前に俺のこと『我と同等に強くなった』とか言ってたよな……?)
体感何万、何億年という気の遠くなるような修行が終わった後。
ダリオはシオンにそう告げて自信を持つように諭してみせた。
あれはあれで、師の本心だったとは思うのだが――。
(『同等』の程度が大雑把すぎるんだよなあ……全然レベルが違うでしょ)
先ほどの防御障壁はシオンの全力で編み上げたものだった。それがあんなにあっさりと突破されたのだ。威力を殺すことも出来ず、ただただ純然たる力勝負で負けたことになる。
つまるところ、ダリオのあの言葉は身内への甘々判定だったのだろう。
そうなってくるとシオンとの力の差は歴然としたものになるのだが――むしろそれを思えば、四肢に力が宿るのを感じた。
「そうなると……またとない機会かも!」
赤茶けた山肌に叩き付けられそうになるが、受け身を取って衝撃を殺す。
そこに魔剣が振り下ろされるが、臆することなく両手で白羽取った。
ダリオは軽く目を丸くしてから、ゾッとするような薄笑いを浮かべてみせた。その小柄な体からは、どこまでも捕食者の余裕が立ちのぼる。
「くはは。汝、なかなかやるではないか」
「お褒めいただき光栄です」
シオンはそんな師に軽く頭を下げた。
顔は自然と笑顔になっている。
なんだかんだ言ってダリオは身内に激甘だ。それは裏を返せば、敵対した今ならばいつも以上の実力を見ることができるということで――。
(本気の師匠に届くかどうか、試せるチャンスだ)
何度か死にかけるのは間違いないだろう。
だがしかし、シオンは目の前に立ちはだかる英雄に、いっそ堂々と言ってのける。
「それじゃ、胸を借りるつもりでぶつかります! お願いします!」
「ふはははは! その意気やよし、だ!!」
◇
何が起こったのか、レティシアにはすぐには理解できなかった。
突然、突風が襲いかかってきたかと思えば、次の瞬間にはシオンとダリオが消えていた。
慌てて当たりを見回せば宙空で爆音が轟いて、その後は山肌を沿うようにして剣戟や爆音がこだまする。
目で追うことも敵わない。ただ熾烈な戦いの余波だけが、音と気配で伝わった。
「し、シオンくーん!?」
おもわず大声で呼んでしまうが、返事はない。そんな暇もないのだろう。
プリムラもそれを眺めてため息をこぼす。
「ハプニングはあったけど……これで邪魔者はいなくなったわね」
レティシアに向き直り、ニヤリと笑う。
軽く腕を振るえば、銀に輝くナイフがふたたび現れる。
「あいつらが遊んでいる間に、こっちの用事を済ませてしまうわね」
「……そうですね」
「その目、まだ抵抗する気なのね。やりたいなら好きなだけやってみれば?」
プリムラはせせら笑うばかりである。
肩をすくめる仕草も含めて自然体だ。どこまでも余裕を露わにしたその様は、自分の力を過信しているわけでもない。確固たるデータに基づく確信だった。
「あなた、万象紋の力を満足に使いこなせていないでしょう。本当ならこの力は、一度奪った神紋の力をいつでも自由に引き出すことが出来るのに。こんなふうに、ね」
「うっ……!?」
そう言って、彼女はレティシアに向けて軽く右手を翳す。
その瞬間に炎と氷の礫が、疾風とともに襲いかかった。
咄嗟に身をよじって回避する。しかしわずかにかすって服が破け、あちこちに傷を負った。切り裂かれた肩口を押さえて、レティシアは歯噛みするしかない。
(完全に遊ばれている……!)
こちらは防戦一方なのに、相手は余裕綽々だ。
プリムラは薄い笑みを浮かべてみせる。
「それに対して、あなたはその場で奪った力しか扱えないはずでしょ。そんな半端な実力じゃ、この私には敵わないわよ」
「ずいぶんとお詳しいんですね……!」
「まあね。かくれんぼは得意だから」
プリムラは冗談めかしてくすりと笑う。
しかし目はまったく笑っていなかった。
粘着くような視線で、レティシアの一挙手一投足を捉える。
「あなたのことはずっと見ていたのよ。この島から出して、小さな町に捨てた後からずーっとね」
町で騒動を起こしたところも、シオンと出会ったところも、デトワールの街で力を暴走させてしまったことも。すべて彼女はひっそりと見ていたという。
「ひょっとして、デトワールで私を襲ってきた男の人たちは……」
「もちろん私が手を回したのよ。適度に過酷な環境に置いた方が、あなたは成長すると思ったから」
そこまで言って、プリムラはかすかに顔をしかめる。
小さくため息をこぼし、気だるげに足下へと視線を落とした。
「でもまさか、あの賢者ダリオとその弟子なんかとつるむようになるとはねえ。おかげで成長はできたけど、あなたに接触しづらくなるし……」
「《いただきます》!」
プリムラがぼやくその隙を、レティシアは逃さなかった。
腰を低く落として相手に飛びついた。また先ほどのように力を奪いさえすれば、自分にも戦う武器ができる。
しかし、伸ばした指がプリムラに届くことはなかった。
嵐のような暴風が吹き荒れて、レティシアの小柄な体をあっさりと持ち上げた。
「っ……ぐう!?」
そのまま地面に叩き付けられて息が詰まる。
どうやら遊びは遊びでも、手加減してくれるつもりは毛頭ないらしい。地面に転がって呻くレティシアを見下ろして、プリムラは平板な声で告げる。
「でも、それもここまでよ。あなたを切り刻んで、私は完璧な存在になってみせる」
「そんなこと……させません」
赤茶けた地面を引っ掻いて、レティシアはもがく。
ここで諦めるわけにはいかなかった。何よりシオンが『レティシアなら勝てる』と言ってくれた。その期待に応えたいと強く思った。
これまでずっとたったひとりで、自分のために旅を続けてきた。
それが今、心の中に支えとなる誰かがいる。それだけで今まで感じたことがないほどに強い力が無限に湧いてくるのだと、レティシアはこのとき初めて知った気がした。
ナイフが無情に振り下ろされる。
そこにレティシアは万感の思いを込めて手を伸ばした。
「私は絶対に、生きるんです!」
「ぐあっ!?」
手指がズタボロになってでも刃を受け止める気でいた。
しかし実際のところ延ばした右手からは光が溢れ、何かがじゅっと焼ける音が響く。
プリムラは悲鳴を上げ、顔を押さえてのけぞった。
その手からこぼれ落ちたナイフは、いつの間にやらひどい錆で覆われてしまっていた。地面に落ちるや否や、その衝撃でぼろりと崩れ落ちてしまう。
思わぬ状況に、レティシアは茫然とするしかない。
「へ……これ、何の力……あ」
そこで自分の右手に気付く。
そこには円形を組み合わせた、薄紫色の神紋が浮かび上がっていた。
(これって……あのときのスライム!?)
ダンジョン内で出くわした、溶解液を吐くスライム。
実際自分の周囲には、その液体とおぼしきものが転々と散らばって湯気を立てていた。
たしかにレティシアは一度はスライムの神紋を奪った。
しかしいつも通り、その神紋はすぐに手から消えたはず。
(ひょっとして、私もプリムラさんみたいに前に奪った神紋を使えるように……?)
ぽかんと見つめる間も、神紋は輝き続けたままだった。
輝きが弱まることも、他の神紋がデタラメに浮かび上がることもない。非常に安定している……ようにレティシアの目には映った。
しかし、そこでハッとする。
「プリムラさん、大丈夫ですか!? 今手当てします!」
こちらに背を向けたまま、プリムラは顔を押さえて呻き続けていた。
レティシアが咄嗟に放ってしまった毒液を浴びてしまったのだろう。
いくら自分を殺そうとした敵だろうと相手は女の子だ。顔に傷が残るなんて、レティシアには耐えられなかった。
「っ、プリムラさん……?」
しかし、慌てて駆け寄ろうとした足を半ばで止めてしまう。
プリムラはゆっくりと立ち上がり、その顔を向けた。
「この期に及んで成長するのね……恐れ入ったわ」
「ひ……!?」
溶解液によって赤く爛れた彼女の顔。
それがレティシアの目の前で、瞬く間に再生されていった。
レティシアにとって、白神紋所有者が使う回復魔法は使い慣れた身近なものだ。
これだけはどんなに使っても万象紋を暴走させることがなかったから、自分なりに何度も練習を重ねたりした。
だから、断言できる。
(回復魔法の力じゃない……!)
その現象からは、何の魔力も感じられなかった。
レティシアはごくりと喉を鳴らし、プリムラに問う。
「プリムラさん……それは、いったいどんな神紋の力なんですか……?」
「これが、私が欠陥品である証し」
プリムラは片手で顔を覆い、そっと離す。
するとその下には元通り、可愛らしい少女の顔立ちが戻っていた。その肌には傷ひとつなく、毒液を浴びた痕跡などもわずかにも残っていない。
それを、彼女はひどく忌々しいものであるかのように吐き捨てた。
「私は……絶対に死ねないの」
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